このページの本文へ

四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 第94回

伝説の電子楽器をツマミに酒を飲む~浅草エレキスポット巡礼

2012年05月19日 12時00分更新

文● 四本淑三

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

ヱレキな大正モダンを集めたショップ
「東京蛍堂」

東京都台東区浅草1-41-8
金、土、日、祝日のみ営業 11:00 ~ 20:00
http://www8.plala.or.jp/hotaldou/


 浅草駅からオンド・マルトノカフェの途中、「モボモガ御用達」の看板がある。平成生まれの皆さんのために説明すると、モボはモダン・ボーイ、モガはモダン・ガールの略で、大正末期から昭和初期にかけ、西洋文化を取り入れて生まれた若者文化を指す言葉だ。

 で、何だこれは? と、その看板に導かれて路地に入ると、「東京蛍堂」という日本の大正・昭和初期をテーマにしたアンティークショップが現れる。一見して音楽とは関係なさそうだが、オンド・マルトノが生まれた1928年は、日本では昭和3年。まさにモボモガの時代である。そんなエレキの黎明期を知るにはちょうど良い。

浅草に突如「モボモガ御用達」の看板が見えてくる。

大正文士のような出で立ちで出迎えてくれた店主は、大正時代愛好家たちと地方活性化にも取り組んでいる、稲本淳一郎さん。39歳。

―― このお店の内装はご自分で作られたんですか?

稲本 オリジナルの感じを残したかったので、修復しながらやったんですよ。自分で漆喰塗ったり、床を塗ったり。

―― あ、やっぱりご自身でやられたんですね。

稲本 僕の友達で大正時代を勉強していて、氷冷蔵庫で生活している人がいて。検索すると出てくると思うんですけど

※ 日本モダンガール協會 淺井カヨさん。ブログでは普段も現役モガとして暮らすカヨさんの姿が。

―― おお、淺井カヨさん! しょっちゅういらっしゃるんですか?

稲本 10年くらい前からの同志で、大正時代を研究していて。モダンガール用の帽子も監修していただいてます。僕は元々音楽をやっていたんですけど。

デスメタル出身という稲本さん。

―― あ、やっぱり。

稲本 でも滝廉太郎で止まっていることに気づいたんです。

―― それはまたずいぶん昔で止まってますね。

稲本 でも、昔はデスメタルだったんですけど。

―― えっ!

稲本 そこから更生しようと、ルーツを探っているうちに大正時代までさかのぼったんです。

―― なるほど。デスメタルと大正時代には相当な隔たりがありますが、なぜそこまでさかのぼったのですか。

稲本 せっかく日本にいるのに、日本のことをやらずにいてもしょうがないと思ったんですね。今の最先端と、昔のいい部分を組み合わせたらいいんじゃないか。小さいコミュニティでもいいから、地域と共存共栄しながら、好きなことをやって、死ぬ。それが理想です。

―― 死ぬ。デスメなだけに。ところで、このお店の品物はどうして集めましたか?

稲本 地方の市場に行ったり、蔵に行ったり。宝探しがやりたかったんですね。週に半分しかお店を開けていないのはそういうことです。それで修理や掃除をしながら、週末にお店を開けて。すると若者がルーツを探ってやって来るわけですけど、そういう彼らに「こんなところにいる場合じゃない、田舎に帰って田舎のために何とかしなさい!」というアプローチをするための、これは餌なんです。

着物、洋服、人形、雑貨、ラジオや電話まであらゆるものがある。

もちろん古物商としての買取もしているので「蔵や古い家の備品を処分する際はお知らせください」とのこと。

―― もしかして国を憂いてらっしゃるのですか?

稲本 せっかくの自分のルーツである日本を見殺しにしないでほしいということです。でも昔に戻すというのではなくて、ダフトパンクとかも好きなんですけど。

―― ずいぶん唐突ですが僕も好きです。

稲本 そういうものを融合しながら、柔軟に成熟したものを作っていきたい。でも日本でやると、だいたい和風になっちゃう。でも何ですか、風って? 「お前、和だろう! なんだよ風って!」そう思うわけです。畳の精神性の上で洋で遊ぶ、そういう明治時代みたいなのがいい。たとえばガンプラを漆塗りにしたりとか。

―― またどうしてガンダムですか。

稲本 ガンダムのデザインも、元を探っていくと武士じゃないですか。そしてアンティークの世界では日本と言えば漆なんですよ。それで日本の精神性と技術を世界に示していけばいい。そこを強みにしないといけない。

―― なるほど、ただのおしゃれな店ではないことは良く分かりました。

稲本 がんばってください、日本のために。日本をよろしく、お願いします。

 はい、分かりました! と元気に返事をしてみたものの、その迫力に終始押され気味の我々であった。このお店に寄って80年ほどのタイムワープを経てから、オンド・マルトノ・カフェへ行くのも悪くないのではないか。あるいはその逆でもいい。同じ時代の洋の東西を簡単に行き来できるのはおそらく浅草だけである。トップダウンのクールジャパンなぞ甘いのである。

カテゴリートップへ

この連載の記事

注目ニュース

ASCII倶楽部

プレミアムPC試用レポート

ピックアップ

ASCII.jp RSS2.0 配信中

ASCII.jpメール デジタルMac/iPodマガジン