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古田雄介の“顔の見えるインターネット” 最終回

アンサイクロペディア“中の人”が語る、ユーモアの難しさ

2011年11月02日 12時00分更新

文● 古田雄介(@yskfuruta

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アカウント登録の3週間後に管理者&シスオペに就任

―― まずはアンサイクロペディアとの出会いから教えてください。

Muttley 元をたどると……2006年頃に見つけた「Web永浜商店」ですかね。

 その頃は仕事がある程度落ち着いて時間が取れるようになったので、趣味で色々なサイトを見て回っていたんですよ。なかでもWeb永浜商店の「ご当地踏み絵」が面白くて、そのつながりで不特定多数の人がご当地ネタを追加できる「Chakuwiki」に入り浸るようになりました。そうやってChakuwikiで遊んでいるうちに、同じWikiソフト「MediaWiki」で作っているアンサイクロペディアの存在を知ったという流れです。ちなみに、ウィキペディアを見るようになったのはその後です。

Muttley氏。Chakuwikiの利用者ページによると、昭和30年代後半生まれで、ネット歴は1994年にNIFTY-Serveから始まったという。「IT系企業で働いているので、パソコン通信やインターネットには当時から興味がありました。まあ、その後ITバブルで仕事が忙しくなって、10年近く個人活動から遠ざかりましたけどね」とのこと。


―― そこから2006年5月にChakuwikiの、2006年12月にアンサイクロペディア日本語版のシスオペと管理人に就任されたと。すごく早くですね。

Muttley どちらもならされた感じなんですけどね。まずChakuwikiでは最初の1~2ヵ月はアカウントなしで色々書き込んでいましたが、荒らし報告のためにIDを取得してサイトオーナーにメッセージを送ったんです。そのやりとりの流れで、取得から3日後に「じゃあ、シスオペやってください」と言われまして(笑)。

 当時のChakuwikiは管理者やシスオペが全然足りていなかったので、たぶん猫の手も借りたいということだったんだと思います。アンサイクロペディアも同じような感じで、こちらはアカウント取得の3週間後に先輩のビューロクラットから、いきなり「サイトに貢献がありましたので、あなたを管理者にします」とメッセージが届きましたし。

ビューロクラット : 利用者を管理者に就任させるという特別な権限を持つ管理者のこと。


―― 運営側に「戦力になる」と察知された感じですかね。当時はまだWikiサイトの運営スタイルを理解している人はかなり貴重だったでしょうし。

Muttley かもしれません。ただ、個人的にはWikiサイトを難解に感じたことはないんですけどね。細かい部分は別にして、要は掲示板やチャットと似たようなものなんですよ。書き込んで完了ボタンを押せば何かしらのコンテンツに反映される。そして管理者は、何か問題が起きたら対応して、なるべく同じようなことが起きないように、話し合ってルールを作っていく。シスオペはそれを土台のところでやる。


―― となると、運営側にとっては「管理の面倒を分かった上で無償の労働を続けてくれそう」という点がより重要ですかね。

Muttley そこが大きいでしょうね。私自身はChakuwikiまでサイト運営もしたことがなかったですけど、よく訪れるサイトで管理側が大変な思いをしているのをよく見ていたので、感覚的にはそこが重点だったと思いますね、やっぱり。

 そういう意味で、わりと向いたところはあるんだと思います。確かに記事を精査して削除したり荒らしユーザーをブロックしたりすると疲れますけど、入り込んじゃうクチなもので、あまり苦にならないんですよ。とくに荒らし対策は面倒も多いんですけど、「こんな楽しいサイトを荒らしやがって」と無駄に正義感を燃やしてしまうところがあって……。

Chakuwiki。不特定多数の人の思い込みを元に日本地図を作る「バカ日本地図」などで知られる、谷口一刀氏の個人サイト「借力(ちゃくりき)」のWikiバージョン。2005年頃にスタートしている。Muttley氏によると、一刀氏を含め、管理者は31人登録されている(2011年10月時点)

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