世の中の大前提を疑うところから
錯覚に興味を持った
―― ちなみに、柏野さんが錯覚に興味を持ったのはいつ頃からなんですか?
柏野 難しい質問ですね。本当にさかのぼると、根の部分は物心がついた頃じゃないかと思います。最初は錯覚そのものというより、「見ているものや聴いているものは、どれくらい絶対的なものなんだろう? 信じていいのかな」という疑問ですね。子供の頃、ユークリッド幾何学の解説みたいな本を読んで衝撃を受けたのを覚えています。
ユークリッド幾何学は、証明なしに受け入れる5つの前提(公準)に基づいて、次々といろいろな定理を証明していくわけですが、その前提のひとつに、「平行線公準」というのがあるんです。ユークリッドの言い回しとは違いますが、要は、「ひとつの平面上で、ある直線上にない1点を通って、その直線と交わらない直線(平行線)はただ1本引ける」というものなんですね。それは日常的な直感からすると当たり前じゃないですか。
ところがその本によると、その後の時代に、「平行線公準ではない前提から出発しても、やはり矛盾のない幾何学の体系が構築できることが示された」と書いてあったんです。つまり「そういう平行線は1本も引けない、あるいは2本以上引ける」という世界がありうるんだなと。それがもう衝撃で。
―― 世の中には大前提があって、それは仮説の可能性があると。……しかし、哲学的な子供ですね(笑)。
柏野 変といえば変だったかも(笑)。でも、それが思考の原点ですね。数学や物理的なところ以外でも、バブル景気があったじゃないですか。あの当時は「土地の値段は上がり続ける」と皆信じていました。それに、宗教団体によるテロ……あれも集団がひとつの世界観を信じていたわけですよね。そして、私自身もそういう思考から完全に自由になることはあり得ないと思うわけです。疑う余地のある大前提の上に立って、今こうして生きていると。
突き詰めていえば……今ここに机がありますけど、ものすごく小さな虫から見たら、穴ぼこだらけなわけです。でも、われわれは突き抜けることのできない平らな遮蔽物と思って使っているわけじゃないですか。そう信じて暮らしているけども、立場が変わればとても遮蔽物なんて思えないと。そう考えると、見えているもの、聴いているものというのも、確実じゃなくて、けっこう危ういものかもしれない。意識が囚われていたとしても、とりあえず不確実なんだと知っておいたほうがいい。そう思うようになって、錯覚に興味を持ったんです。
―― なるほど。それは研究職に就かれてからですか?
柏野 学生時代ですね。錯覚に興味があって、この道に進んだというところはあります。現職の人間の感覚や知覚の研究にしても、その入り口はやっぱり錯覚なんですよ。まずは見たり聞いたりした感覚を疑ってみるという。錯覚があったらそこから、「なんのためにそういう錯覚があるのか」と考えてみたりするわけです。
―― サイトのイントロダクションで解説されている、「錯覚は感覚の不正確さの例ではなく、ヒトが生き残るための仕組み」というメッセージとつながりますね。
柏野 あれは、まあそうですね。人間には錯覚があることで、世の中に適応して暮らせているところがあるので、錯覚は間違いや不正確さを示すものじゃないんですよというのを主旨にしています。
でも、私の根幹にあるのはそこから先の話。世の中に適応するために錯覚は必要だけど、だからこそ、そこから逃げられないというところなんですよ。客観的な情報を無意識に編集してしまう仕組みが人間の中にあって、その設定をオフにできないといいますか。不快ではなくて、一種の諦念と言いますか、そのどうしようもなさを受け入れているところがあるんですよね。
(次ページに続く)
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