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古田雄介の“顔の見えるインターネット” 第85回

人気サイト「ひろぶろ」が極めた、スゴい動画を探す技術

2010年12月07日 12時00分更新

文● 古田雄介

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YouTubeが登場して、
「終わったな」と思った高校時代

―― ひろぶろの開始にあたって、サイト開設と画像や動画への興味はどちらが先に立っていたんですか?

nejire 動画と画像の収集ですね。中校生の頃にネットにハマって、国内外のサイトで動画や画像を見て回る生活を送っていました。

 その中で、ものすごいロボットダンスの動画を見つけたんですよ。デビッド・エルスウェアというダンサーで、今はテレビCMに出演するほど有名な方ですが、当時はグーグルで検索しても全然ヒットしないくらいで。「こんなすごい人が世に知られていないなんて」と、ショックだったのを覚えています。

 それで、とにかく皆に知ってもらいたいという衝動に駆られたんです。まずは学校で見せたりして、高校の友人に勧めまくりました。でも、友人からは「まあ、すごいね」程度の反応しか返ってこなくて、思い描いたようなリアクションは得られず……。

 「それならネットだ!」ということで、いろんな掲示板にスレッドを立てて、「こんなすごい奴がいるんだよ」とURLを貼ったんですね。すると今度は結構評判がよくて、「もっと教えてよ!」などと、いい感じの書き込みがたくさんもらえたんです。

 そこで舞い上がって、ダンス以外にもストックしている動画のURLをスレに貼りまくるようになりました。2003年から1年くらいは、ずっとそんな毎日でしたね。

nejire氏。サイト名は同年に「はじける一夜」に変更し、読者のアドバイスから翌日には「ひろぶろ」としている。当時を振り返り、「別に『はじける一夜』という名前もそんなに悪くないと思うんですけど、思い出すと何かすごく恥ずかしい。なぜでしょう」と話す


―― そして2004年5月に「拾ったものを紹介していくブロG」を立ち上げた。

nejire はい。当時はちょうどブログそのものが話題になっていた時期で、これなら僕のスキルでも作れると思って。だから、スレッドで海外サイトを直輸入するみたいな感じで紹介していたときとまったく同じコンセプトでした。そのときはまだ高校生でしたね。


―― そこからブレイクするまではどれくらいかかりましたか。

nejire ありがたいことに、けっこう最初からアクセス数が上がっていった記憶があります。当時はYouTubeがまだ日本で流行っていなかったので、海外の怪しげなサイトからネタを拾ってくるというサイトがまだ少なかったのが要因なのかもしれません。


―― 動画紹介サイトからみると、YouTubeの存在は大きそうですね。YouTubeのスタートは2005年前半でしたが、注目を集めるようになったのは2006年頃でした。

nejire YouTubeが話題になったときは、「あ、終わったな……」と思いましたね。YouTubeに行けば観られるんだから、僕のサイトいらなくなるじゃんと。

 ところが、そうじゃなかった。YouTubeは想像をはるかに超えるスピードで成長して、「何か面白いものないの?」と、膨大な動画の中から探し出すのに苦労するレベルまで、一気に駆け上がってくれたんです。

 だから、むしろYouTubeの中で面白いものを紹介してほしいというニーズも生まれて、動画紹介サイトは終わるどころか、ブーム到来という感じになったんです。

(次のページに続く)

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