「はやぶさ」の危機に、真田ぁ~ず「こんなこともあろうかとッ!!」

文●秋山文野 撮影●小林伸ほか イラスト●shigezoh 協力●JAXA/ジャンプトゥスペース

2010年06月15日 12時00分

■前回までのあらすじ

 小惑星「イトカワ」到達。打ち上げから2年強、プロジェクトマネージャ 川口氏が「一番嬉しかった」と振り返る「はやぶさ」ミッションのポイントでもあった。このとき行なわれた観測をもとに執筆された論文は、科学雑誌「Science」に特集として掲載されている。そして、いよいよイトカワへのタッチダウンフェーズが開始された。


第一回タッチダウン「はやぶさはどこだ!?」――2005年11月20日

 2005年11月19日、21時から開始されたイトカワへの降下では、地上の運用室で「はやぶさ」の動作がわからなくなる緊急事態が起きた。後に得られた記録では、「はやぶさ」は障害物を検知して試料採取シーケンスを停止し、20日7時ごろ、地上からの指示で離脱を開始するまでイトカワ表面にバウンドして2回到達したことがわかっている。

 しかし当時リアルタイムで得られたデータは速度計のみ。延々と降下を続ける(ように見える)「はやぶさ」の動作に対し、「まさかイトカワ表面が柔らか過ぎて、ずぶずぶと潜り込んでいるのでは!?」「イトカワ表面を回り込んで探査機が失われてしまうのでは」といった懸念で運用室は緊迫した空気に包まれたという。最終的に、試料採取はならなかったものの、「はやぶさ」は小惑星から離陸した初の宇宙機となった。


吉川 非常に重要なときだったので、アメリカのアンテナも借りて、アメリカの担当者もこちらにいて24時間監視していました。

 ただ、リアルタイムで監視できるのは速度だけなので、最初のうちは予定の振る舞いをしていたのに、いつまでたっても上昇しないものだから、何が起こったのかまったく、まったくわかりませんでした。まさか着陸しているとは誰も思っていなかった。

 さすがにイトカワに潜ってしまった、というのは冗談でしたけど、あり得たのはイトカワにぶつからず通り過ぎてしまう、ということですよね。「イトカワ星人が引っ張ってたんじゃないか」という冗談まで出ました。

 後になってデータを降ろしてやっとわかったのは、実は着陸していた。接近し続けているように見えたのは、イトカワも自転していますから、その速度が見えていたんだと。

 何が起きているかわからない状態ではありましたけど、ひとつ確信を持って言えたのは、「電波は出続けている。探査機は生きている」ということです。その点は安心していました。


「判断ミスしたら、僕が最後のスーパーバイザーになってしまう」

矢野 7年間、スーパーバイザーを担当して一番強烈に印象に残っていて、厳しかったのはこのとき。何が起きているのかわからなかった。わからないけど判断はしなくてはいけなくて、しかもその判断が間違っていたら、僕が「はやぶさ」の最後のスーパーバイザーになってしまうのが明々白々だった。

 まるで探査機が地下に潜っていくように見える状況で、でもそんなことあるわけない。じゃあこれは一体なんなんだ、そして次の一手はどうするんだ、早くしないと通信できなくなってしまうという状況で、川口先生から「ちょっとひとりで考えてみて」と言われたんです。

 絶対時間としてはそんなに長くなかったと思います。10~15分くらいだったかもしれませんが、僕にとってはとても長い時間に感じられました。僕は理学の人間ですから、ネジ一本まで探査機を知り尽くしているわけではない。だけど、トレーニングの甲斐もあって、宇宙機を扱うすべてのシステムについて大枠は知っていて、自分はどこまでがわからなくて、わからないことは誰に聞けばいいのかはわかっている。

 そして状況はわからないけど、「はやぶさ」に何が起きていると考えられるだろう、そのケースに沿って「はやぶさ」を救うとしたら何をすればいい、と僕なりに考えて出した答えは、川口先生と同意見でした。

 最終決断をするのは川口先生と、探査機を熟知しているNECのシステム担当の方。どちらも考えはまとまっていて、川口先生は僕の答えを聞いて、「そうだよね。じゃあ、やろうか」と。最大能力で緊急離脱。持てる力で、とにかく地球側にジャンプさせようと。

 その次は、大急ぎで探査機の捕捉です。なにしろ全速力で小惑星から遠ざかっているわけですから、一生懸命止めないと一週間後のタッチダウンに間に合わなくなってしまう。やっと止めたときは100kmくらい離れてました。それでもとにかく探査機は生きていたし、地球との通信も回復した。健康状態もそんなに悪いわけじゃないことがわかった。

 あのときはなんと表現すればいいのか……スポーツの試合中、決定的な場面で『次はどう動くべきか』と考える瞬間が延々続いているような状態でした。終わった後、振り返ってみてやっと『これは絶対、一生忘れない日だな』と思いました。次につなげられてよかった。


安部 スーパーバイザー担当ではありませんが、タッチダウンのときには運用室にいました。航法誘導や姿勢系のチームがスラスタを吹くタイミングを決定するんです。降りていくと小惑星の重力に引っ張られるのですが、それがあまり速いスピードだとぶつかってしまうので、ほどよく逆噴射、上昇するためにスラスタを吹いて降下速度を下げる。

 私は噴射量を聞いて、タイミングを合わせてミネルバをリリースするとか、そうした分担のなかに入っていました。「次、吹かないと降下が速すぎる」「あまり吹かすと上がっちゃう」とか、ワンコマンドごとの指示を出すために必要な情報を揃えて「今こういうことが予想されます」とやりとりして。非常に緊張感を持って関わったことが思い出されます。

第二回タッチダウン 試料採取まで戻るに能わず――2005年11月26日

 そして11月26日、「はやぶさ」は、再度の着陸を実施する。ターゲットマーカの誤認識を防ぐため、2回目の投下は中止、障害物検出の機能を制限するなど各種の調整が行なわれての再挑戦だ。26日午前6時25分ごろ、地上からのGOコマンドを受けてホバリング、着陸と試料採取を試みた。弾丸(プロジェクタイル)発射から一連のシーケンスを実行、サンプラーホーン変形から弾丸発射まで一連の作業を示す「WCT」の表示が現われた瞬間、管制室はどよめいたという。


「WCTは弾を撃ったという証拠じゃない」

吉川 リハーサル含めて全部で5回、着陸のシークエンスをやりましたが、1回につき2日ぐらいかかるんですよね。我々というかJAXA側は、人数が少なくて交代する相手がいないので、私はその間ずっと寝ずにモニターする日が続きました。


齋藤 泊まり込みというか、みんな近所だから寝には帰っていたと思うのですが……それでも結構忙しかったですよ。


矢野 2回目の着陸は最後のチャンスでしたから、あえて中止項目を外して、リスクを取って、とにかく着陸しようと。サンプラーホーンもちゃんとたわんで、着地して、「弾を撃て」というコマンドが発行されたところまでは事実です。

 僕は、サンプラーホーン担当と同時に、第一回、第二回のタッチダウン、接触後に離脱するときのスーパーバイザーでもありました。スーパーバイザーは8時間交代で、リハーサルからタッチダウンまで3人のメンバーで繰り返し担当していました。降下からタッチダウンまではリハーサルもできるのですが、最後のひとり、離脱を担当している僕は(タッチダウンの際に何が起こるかわからないので)毎回シナリオがないんです。

 一応、頭の中に流れを全部入れて臨むのですが、常に「今できることは?」「探査機を壊さないようにするには?」ということを考えないといけない。

 僕、すごくよく覚えてるんですけど、「WCT」の表示が現れて、周りが「わーっ」と盛り上がって握手したり抱き合ったりしていたとき、一番奥の管制卓にいた僕はそうなってないんですよ。なぜかというと、「WCT」は弾を撃てというコマンドを発したという印に過ぎなくて、弾を撃ったという証拠じゃないんです。

 コマンド発行と、コマンド実行との間には、凄く大きなギャップがありますよね。コマンドを発行して、着火されればさすがに弾は飛び出しますから、僕はずっとそれを待っていたんです。


帰って来い「はやぶさ」、しかし燃料漏れ発生――2005年11月26日

 成功裏に終わったタッチダウンから一転、「はやぶさ」にトラブルが起きた。第二回タッチダウンと同日の11月26日、離陸後に化学エンジンから燃料漏れが発生。28日には、いったん通信リンクが途絶える。

 29日には低利得アンテナでの通信が回復し、徐々に「はやぶさ」の状況が明らかになるも、弾丸射出データは確認できず、試料採取シーケンスのなかでイトカワ表面の砂礫を巻き上げるための弾丸(プロジェクタイル)が発射されなかった可能性が高いことも明らかになった。


矢野 弾丸を射出する部分は、点火球に電気を走らせて火薬を爆発させ、弾を加速させるわけですが、点火球がちゃんと導通したかどうかを「はやぶさ」は記録していたはずなのです。しかしそのデータは一時メモリに入っていたので、探査機と通信断絶後、復旧しても再生できませんでした。

 また最後の部分は人間が判断をくだすわけでなく、ロボットが条件に沿って自律的に判断するのですが、そのときに実際は不用な弾丸発射中止のコマンドが残っていた可能性があります。

 最大の原因は、第一回と第二回の間に1週間しか時間がなかったため、地上側でじゅうぶんなシミュレーションができずに臨まざるを得なかったこと。

 すべてのエラーをつぶしてからできればよかったとは言えると思いますが、あのときのメンバーは日本で最も探査機の運用が上手い人たちで、それでもミスがあったとすれば、誰でもミスするレベルだったと思います。

 僕にとっては、とにかく「事実を知りたい」ですね。WCTの表示が出て、コマンドが発行されたその結果を一時メモリから再生する前に、「はやぶさ」は姿勢を失って、リカバリしたときには結果は失われていた。

 一方で、温度に関係するデータを集めてみました。降下する際、探査機は小惑星からの照り返しを受けて、おおよそ決まったレートで温かくなっていくのですが、火薬が爆発するとその周囲の温度が急に上がるはず。温度のデータは取得できたので、調べてみました。

 ごくわずか、数ディジットのレベルですけど、上がっているようには見えるんです。それが弾を撃ったことによるのか、熱慣性の問題なのかわかりませんが、弾を撃ったから温度が上がったと考えても矛盾のないデータではあります。とにかくあのときは「探査機を壊さないように」というのが最優先で割と淡々としてはいたのですが、事実を知りたいという気持ちはずっとあります。

さらなる燃料漏れと通信途絶、今度は約1ヶ月半――2006年1月

 ともかく「はやぶさ」の姿勢を立て直すため、本来燃料であるキセノン生ガスを噴出するという方法で姿勢制御を行なった。さらに探査機のヒータを使って漏れた化学燃料の排出(ベーキング)を行なっていたところ、ガス噴出がさらなる姿勢異常を引き起こす。

 「はやぶさ」はコーニング(みそすり)運動と呼ばれる回転状態に入って通信できなくなってしまった。地球への帰還は、当初予定の2007年6月から2010年6月へと延期され、「はやぶさ」救出運用への移行が発表される。

 プロジェクトチームの意思は固く「コーニング運動はいずれ終息する。半年以内に通信復旧と電力回復が同時に満たせる可能性は高い」と地上から補足のためのコマンド送信を定期実行する日々が続いた。

 翌2006年1月23日、7週間を経てついに「はやぶさ」と通信が復旧。2月からは探査機の状況も確認できるようになった。その結果わかったことは、太陽電池からの電力供給が途絶え、一度は完全に電源断、バックアップ電源であるリチウムイオン電池は完全に放電して、一部セルが使用不能、化学エンジンは燃料・酸化剤ともに喪失という非常に厳しい状況だった。


吉川 通信が途絶えている間も、1年くらいは計算された方向に臼田宇宙空間観測所のアンテナを向けていれば、「はやぶさ」からの電波を捉えられる見込みがありました。1カ月半くらい、スペクトルアナライザーにはノイズしか出なかったのですが、あるときピコっと小さなピークが立った。だんだんこれが「はやぶさ」からの信号であることがわかって。これは感激しますよね。


救出運用の裏で――2005年9月~2006年1月

 その間、チームメンバーの交代もあった。初期からプロジェクトサイエンティストを務めていた藤原教授が引退。吉川真氏が後を継いでいる。


吉川 藤原先生が引退されるとき、なぜか後を継げ、と言われまして。1998年に宇宙研に入ったときからずっと関わっていた「はやぶさ」プロジェクトで、サイエンスの取りまとめをやることになりました。もともと理学系で小惑星をやっていたのですが、宇宙研での所属は「軌道決定」というグループでこちらは工学。両方がわかっているということで選ばれたのでしょう。


齋藤 9~12月の間、私はプロジェクト側の広報担当でした。JAXA側の広報担当は寺薗君(元カメラ科学観測及び広報担当 寺薗淳也氏)。当時、ISAS対外協力室のボスが的川さん。こうした人たちがチームになって広報活動を担いました。

 最初は、毎日「今日の一枚」を出していました。そうしたら、ホームページにアップした画像を使って、外部の科学者がどんどんサイエンスの議論を始めちゃうんですよ。

 これには困ってしまいまして。そこで対応を検討して、サイトに「この画像はすでにJAXA側で一次処理をしてあります。こちらをベースにした議論には、JAXA側は一切責任を持ちません」という但し書きを付けることでやっと収まりました。

 そういう意味では、画像ってちょっと怖いですね。そんなこともあったので、タッチダウンのときに撮影したクローズアップの画像は、早く公開してほしいという要望もかなりあったのですが、相当時間を置いてから公開しています。

「はやぶさ」の姿勢を正せ――2006年1月~2007年8月

 通信が回復し、「はやぶさ」を帰還させるための準備が始まる。再度のベーキングは、新たな姿勢喪失につながらないよう慎重に行なわれた。そしてイオンエンジンBとDの2基の駆動試験も行なわれ、動作に問題ないことが確認される。

 次に、太陽電池が太陽を追尾して十分な発電量を維持するためには姿勢制御が必要だが、姿勢を変えるため頻繁にキセノン生ガスを使うと、帰還のための燃料が足りなくなってしまう。そこで、太陽輻射圧(太陽光が持つ圧力)を利用して姿勢制御する方法が取られた。

 さらに、貴重なイトカワの試料を持ち帰るためには、試料の容器を再突入カプセルに収納し、形状記憶合金を使った部品にバッテリから電力を供給してふたを閉めなくてはならない。

 リチウムイオン電池は11セル中4セルに不具合があるという状態だったが、バイパス回路を使い微小充電電流で充電することで、不具合のある4セルの発熱・発火を避けることに成功。そして2007年1月18日、当初予定より遅れること13ヵ月、容器の外ふた密閉が完了した。

 その後2007年3月には、イオンエンジンの運転を開始。残燃料30kg強と、帰還には十分な量を残していたことが明るい材料だった。4月25日には、地球帰還に向けた本格的巡航運転を開始。状況は厳しいながらも「はやぶさ」は復路の旅を開始した。2007年8月には、テストを延期していたイオンエンジンCの動作も確認。残存寿命の調整を図りつつ、慎重な運用を開始したのだった。


吉川 バッテリのグループが非常に上手かった。壊れているバッテリに充電すると爆発の危険性がありますが、慎重に時間をかけて壊れていない部分に充電したわけです。充電しないとカプセルのふたが閉まらないので。無事、試料の容器はカプセルに輸送されて、密閉もできた。せっかく取った試料ですからね。


帰還は3年延びたけど、「はやぶさ」は還ってくる!

 2007年10月には、第一期軌道変換を完了、復路の旅は予定を順調に消化していった。弾道飛行による2008年2月の遠日点通過、6月には地球から最遠となる2.5天文単位の位置に到達と進み、2009年2月には、再びイオンエンジン点火。徐々に加速して、3億kmの距離を還ってくるはずだった。


イオンエンジン点火せず――2009年11月

 2009年11月4日、地球帰還を目前にして、イオンエンジンに不具合が起きる。スラスタDが自動停止してしまったのだ。

安部 帰路のなかで私がスーパーバイザーを担当したのは……IES(イオンエンジンシステム)のCとDが動かなくなった、あのときの当番だったんですよ。通常のように切り換えて点火して、加速しようとするのだけれども、立ち上がらずに止まる状態になってしまった。

 普通は、そうなっても慌てないでもう一回点火すれば付くのですが、そのときはたしか付かなかった。このときはそばに西山先生(IESチーム 西山和孝氏)という電気推進担当の方がいて、いろいろやってみて「これはちょっと深刻だね」ということで國中先生に来ていただいた。そしてバックアップの運用に入ったわけです。


國中 ちょうど韓国滞在中にスラスタCが調子悪くなったという情報を得て、急遽帰国してオペレーションしました。それまでの考えとしては、CとDを一台ずつ使って地球まで持って来ようとしていたんですけど、スラスタCの中和器の部分が電圧上昇してしまい、最大推力を出すことができなくなっちゃったんですね。それがわかったのが10月の中ごろです。

 そこで新しく軌道計画をもう一回練り直しました。10月からスラスタCかD、一台ずつで推力を絞って12月まで運転する。12月になったら、探査機がだいぶ太陽に近づくので、電力供給が回復しますから、スラスタCとDを低推力で二台同時運転して、一台分以上の推力を出して、10~12月に足りなかった分を12月、1月、2月と二台運転で補うと。

 それが10月下旬のことです。その計画に基づいて、スラスタDの低推力運転を始めたのですが、今度はスラスタDが故障で止まってしまった。その時点で計画は変更を余儀なくされ、しかも使えるのはスラスタCの推力の80%くらい。この状態では、地球帰還できないという事態に追い込まれました。

「こんなこともあろうかと」――2009年11月

 ここで打ち上げ直後、推力の安定しないスラスタAは運転しないまま、ずっと温存されてきたことを思い出してほしい。イオンエンジンは、ガス化したキセノンをマイクロ波でプラズマ化する「イオン源」、プラスに帯電したイオンを静電加速する「グリッド」、マイナスの電子を加えてプラズマを電気的に中性にする「中和器」といった部分で構成されている。スラスタA全体は使えなくとも、部分ごとに分けて考えれば利用できるのだ。


國中 AとBのクロス運転という機能があるので、それに挑戦したのが11月頭のこと。それがうまく動くめどを得たのが11月12日かな。13日くらいから連続運転を始めています。

 11月頭のころはまだ電力が足りず、難しいオペレーションをせざるを得なかったんです。普通の人工衛星ならバッテリがあるので、短時間なら太陽電池からの電力が途切れてもバッテリから自動的に電力供給されるので、完全に機能停止してしまうことはありません。しかし「はやぶさ」の場合、バッテリーはもう使えないので、現在発生している電力を使うしかない。

 一瞬たりとも電力不足が生じると、コンピュータが止まっちゃうんです。コンセント引き抜かれたような状態になっちゃう。だからイオンエンジンを二台運転すると消費電力が上昇して、そのときに発生した電力を踏み抜くと、制御コンピュータが停止してしまう可能性があるんです。

 太陽電池にはいろんな機械がぶら下がっていて、一式の太陽電池から同時に電力を供給してるわけですけど、電圧が下がってそれぞれ設定した値になると、各機械が自動停止していく機能が織り込まれているんですよね。

 イオンエンジンですと、70Vになると自動で落ちます。さらにコンピュータのほうは、たしか50Vくらいで電源が落ちるように設定されている。ですから、電圧が順番に下がっていくと、計画通りに動けば先にイオンエンジンの電源が落ちて消費電力が下がるので、電力不足にならないはずなんですけど、その切れるタイミングが少しでもずれるとコンピュータまで止まってしまう。

 すると「はやぶさ」は機能停止です。そうならないように、なんとか電力消費を下げるオペレーションをして、イオンエンジンに電力をまわしてですね、テスト運転を行ないました。

 具体的には、トランスポンダ(送信機)を切ります。そうすると100Wくらい電力が余っるので、余った分の電力をイオンエンジンにまわしました。ただその場合、送信機を切ると「はやぶさ」からの情報が受信できないので、いわゆるブラックアウトするわけです。

 そこで、「何時何分に送信機を切って、何時何分にイオンエンジンを立ち上げて、10分程度運転して、イオンエンジンを停止させて、トランスポンダのスイッチを入れる」という予約コマンドを登録して、実行させる。当然、イオンエンジンが動いている間は、何が起きているかわかりません。

 トランスポンダがオンになって、そこで初めて状況がわかる。そのときにレコーダのデータを再生して、見えていなかった10分間のデータを確認することで、イオンエンジンが動いていたかどうかを確かめると。そういう運用を行ないました。

 これだと1サイクルは、まあ2時間くらいかかりますね。それを何サイクルかやって、動く組み合わせを見つけて、ABクロス運転を実現したんです。11月4日に事象が起きて、復帰させたのが11月14日くらいですから、1週間~10日くらい、これをやってますね。


的川 大変な頭脳ですよ。次から次へと非常に工夫をして、よく危機を突破するようなアイデアが出てきたと思ってね。チームの連中はそれぞれが大したもんだと思ってます。


國中 このときは地球と探査機との位置関係のために、夜中の追跡でした。昼間は対策会議に追われ、夕方くらいに寝られればいいかな、という感じでしたね。それでもまだとりあえず動き始めただけで、残りのノルマは3000時間ほど残っていました。その間ずっと動き続けるという保障はないのでまだヒヤヒヤしてますね。まあ、でも印象としては「お正月は越せたかな」と思いました。


吉川 「はやぶさ」の場合は、特にイオンエンジンが大変でしたから、ぜひ次はイオンエンジンをはじめとして普段の運用をもっと自動化できる体制を考えていかないと、運用メンバーが疲れてしまいますね。今回は、世界初ということもあって皆がんばれた。でも、「もう一回、同じことをやれ」と言われたら……。かといって、人員を増やすのもなかなか難しいですけどね。


川口 イオンエンジンのあの運転形態は、長い間動かすためにあるわけじゃない。本当に臨時の動かし方、専用のスペアタイヤで走っているようなもの。この6月まで運転できるか、それが一番心配ですね。


吉川 川口先生が「中和神社」というのを見つけまして。中和と書いて「ちゅうか」と読むのですが、ちょうど中和器と同じ字を書く。そこで岡山まで川口先生自ら参拝しに行って、お札をもらってきました。今でも置いてあります。


「真田さん」とは「中の人」の総体なのだ

 一時はプロジェクトマネージャの川口氏をして弱音を吐かせたというイオンエンジンの異常だが、驚愕の二台同時運転によって、推進力を維持することができた。このときの記者会見で、ふたつのエンジンを繋ぐ回路設計は、こうした事態を見越してのものか、という問いに國中教授がそれを肯定して見せたのも印象的だ。また、地上では臼田局のアンテナ改修を延期し、「はやぶさ」運用をバックアップする体制がとられた。

 ネットでは「はやぶさ」の危機を乗り越えるプロジェクトメンバーを称えて宇宙戦艦ヤマトの登場人物・真田技師長にたとえるが、ここまでのあらましを読めばわかるとおり、賞賛すべきはクロス運転のアイデアを組み込んだ技術者だけでなく、運用・バックアップする「中の人」全員の努力と機転で得た復旧だということがわかるだろう。

 「真田さん」を体現するような特定の個人がいるわけではない。メンバー、そしてJAXAのバックアップ体制こそが、アニメ顔負けの逆転劇を現出してみせたのだ。


あまりの人気に「はやぶさ」公式プラモデル発売開始

 通信途絶からの復旧、そしてエンジン停止からクロス運転による再始動という「はやぶさ」の不死鳥ぶりはネットを中心にたびたび報道され、その「勇姿」を称えるべく擬人化イラストや動画が矢継ぎ早に発表された。

 そんななか、ウォーターラインシリーズなどスケールモデルの雄で、近頃は痛車のプラモ化でも有名な青島文化教材社が、なんと「はやぶさ」のプラモデル化を発表した。

 もちろんJAXAロゴが入った公式商品だ。本来、探査機に商標登録などはないため自由に製作販売できるのだが、「ぜひともJAXAさんのお墨付きをいただきたい」という担当者の熱意で今回の公式商品化が実現したという。

 今年6月発売、価格は2100円(税込)。SPACE CRAFT SERIES No.1と銘打ち、イトカワを模した台座と探査ローバ「ミネルバ」が付属する。


次回予告!

 危機を乗り越え、地球帰還の旅を続ける「はやぶさ」。これならカプセル回収まで大成功か? 周囲の期待はいやが上にも高まる。しかし、最後まで気を抜くことはできないのだ。


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