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蝉丸Pの法話に泣いた! ニコ動「動画供養」レポート

2010年04月20日 21時00分更新

文● 広田稔

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思いやりの心を育むのが供養

 「ニコニコしてはいけない」場面から、今度はシリアスで心に染み入る蝉丸Pの法話が執り行なわれた。テーマは「供養」だ。

供養の核心を説く蝉丸P

 そもそも供養とは何か。蝉丸Pは、仏教でいう供養について「心のトレーニング。他のものに対する思いやりや慈しみの気持ちを育てていくこと」と語る。

 「手を合わせて拝んでいただきますときに、亡くなられました方を始め、自分や自分の身の回りの人、生きているこの世の中で他に関係あるすべてのものが、皆、どうか幸せで苦しみから逃れますようにと。こういう風に自分の心を養っていただく(ことが本来的な意味での供養)」(蝉丸P)

 供養というと「先祖が……」「水子の霊が……」と怪しい宗教の脅し文句に使われることもある。「そんなの自分は絶対に引っかからないよ」と思いがちだが、そうした人々に対して、蝉丸Pはニコ厨(?)に分かりやすい表現で説く。

 「今、生放送を見ている方の中にも『自分だけは引っかかれへんで』と考えている方もおるかと思いますが、人間、『アイドルマスター』の2が発売になるとか、いや取りやめだといった情報がTwitterに流れますと、一気に心の隙を突かれて右往左往してしまう。自分の情報リテラシーを過信している方もおられますが、案外、簡単に釣れるものでございます」(蝉丸P)

 供養の心は日常的に育むものだ。それはニコニコ動画を見ているときにも当てはまる。

 「消えては浮かび、本当に諸行無常のようなこのニコニコ動画で、縁があって動画をクリックしたわけでございます。もちろん自分の気に入る、気に入らないがあって、指摘や批判をしたいこともある。でも、それをいったあとに、ツンデレ風に『グッジョブ』『お疲れ』と言っていただきましたら、みんながニコニコしながら動画を作成していけるんじゃないか」(蝉丸P)

 顔の見えにくいインターネットだからこそ、相手を思いやる心が大切──。すべてのネットユーザーに聞いてほしい言葉だろう。


最初はコンセプトが違った

 動画供養が終わったあと、蝉丸Pに話を聞いてみると、実は当初はコンセプトが違ったという。

 「当初は、削除動画の供養をするという話が来たんですよ。消された作品の中に好きなものもありましたので、一も二もなく引き受けました。途中から、歌供養に倣って日の目を見ない動画を供養するというスタイルに代わりましたが、どちらにしろ『ありがとう』というエールを送る気持ちに関しては変わらないので、そのまま引き受けました」(蝉丸P)

 ちなみに、蝉丸Pに供養したい動画をたずねてみたところ、「手元にマイリストがないので一つ一つは挙げられませんが、普段お世話になっているアイドルマスターのMAD」と答えていた。

 動画供養の様子はアーカイブから見ることができる(関連リンク)。ぜひ蝉丸Pの言葉を聞いて、ニコ動だけでなく、ネットとの付き合い方も考えてみてはいかがだろう。


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