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3月27日「パソコンの元祖TK-80・実演とシンポジウム」開催

2010年03月25日 14時24分更新

文● 遠藤 諭/アスキー総合研究所所長

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 「電子立国」といわれる日本の産業構造を語るときに、絶対に外すことのできない製品のひとつが、1976年にNEC(日本電気)が発売した「TK-80」である。2010年3月27日(土)に、その製品責任者だった渡邊和也氏、開発者の後藤富雄氏、そして、『復活!TK-80』(小社刊)著者の榊 正憲氏を招いて、実演を含めたシンポジウムが開催される。

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NECがマイコンキット「TK-80」を発売した理由とは

 このシンポジウムは、東京理科大学近代科学資料館が、情報処理学会の「分散コンピュータ博物館」に認定されたのを記念して行なわれる一連の催しのひとつとして開かれるもの。ゲストによるトークセッションの後、別会場にて“懐かし”の機械を体験できる(参加者は、TK-80本体やその周辺・関連機器、あるいは他メーカーの古いコンピューターを自己責任にて持ち込みデモが可能⇒詳しくは文末を参照)。

USBメモリの用途

7セグの8ケタディスプレーと、RUNやLOADを含む0~9、A~Fの16進数を入力するキーボードが特徴のマイコンキット「TK-80」

 マイコンキットというのは、現在のパソコンのように家電製品然として箱に入って電源を入れればすぐに使える、というコンピューターではない。基板がむき出しになり、そこにCPUなどの部品が搭載されて、実験的にプログラムを稼働させることを目的とした製品である。海外でも、きちんとしたパソコン――後に“初期のマイコン御三家”と呼ばれる「Apple II」、「Commodore PET2001」、「Tandy TRS-80」が発売されるのは、翌1977年のこと。

 1976年といえば、オイルショックの影響で景気は低迷、大学卒業者の内定取り消しや自宅待機、さらには、丸紅からロッキード社に渡された“ピーナッツ100個”の領収書など、あまりいいニュースはなかった。しかし、そんな時代だからこそ世の中には“あっと驚くカリスマ”が現われ、“世代交代”というものが起こる。

 高校野球で前代未聞の活躍(ノーヒットノーラン9回、完全試合2回など)をした江川 卓、弱冠25歳で芥川賞を受賞した村上 龍、あるいはモントリオールのコマネチ選手がたたき出したオリンピック史上初の10点満点。そしてこの年は、マイクロエレクトロニクスが一気に一般大衆、実生活の中に入り込んできた時期にも重なる。

 日本で「スペースインベーダー」ブームに火が点いたのは1978年の秋からだが、都市部を中心にゲームセンターが定着したのは1976年頃。当時をご記憶の方はよくご存じのとおり、初期のテレビゲームの代表作である「ブロック崩し」(Breakout)が大ヒットしたのが1976年なのである(ただし、ブロック崩しはロジックのみで構成)。

USBメモリの用途

NECが自社開発したマイクロプロセッサ「D8080A」。動作周波数は2MHzだった

 そんな年に登場したのが、NECの「TK-80」(Training Kit μCOM80)だった。NECが自社製マイクロプロセッサを開発したのは、世界最初のマイクロプロセッサーであるインテルの「4004」の翌年となる1972年。1973年には8ビットの「μCOM8」を発売している。ところが、技術開発は進んでも使ってくれる産業が出てこないことには販売に繋がらない。

 そこで、マイクロプロセッサーの理解と普及のために考えられた商品が、TK-80だったのだ。そして、企業の技術者を当て込んで発売されたこのTK-80が、秋葉原などで学生たちにも売れに売れた。いわゆる「マイコンブーム」の到来である。


アキバの学生たちを魅了したマイコンキットが
半導体立国ニッポンの礎に……

 パソコン入門書で有名な著者・村瀬康治氏は、『月刊アスキー』通巻250号に寄せたコメントで、「マイコンに直接手を触れたのは、この種の人間に共通の《TK-80》。1976年にNECから発売された《マイコントレーニングキット》と称する組み立てキット。それを組み立て、RAMを1KB〈1KBだよ!〉増設し、アドテックシステムサイエンスのディスプレイボードを接続して、超原始的なTVゲームなどをプログラミングして遊んでいた」と書いている。

 村瀬氏が「この種の人間に共通の」というように、TK-80が日本のエレクトロニクス産業の発展に寄与した部分ははかりしれない。もちろん、TK-80と前後するように、国内でもさまざまなトピックはあったが、NECという大電機メーカーが発売したことが大きかった。翌1977年までには、10社ほどのキットが出そろうことになる。

 日本のエレクトロニクスは、1970年代末以降、コンピューターだけでなく「マイコン搭載」の家電製品や電話、カメラなどに組み込まれて発展。1980年代の日本を象徴する大小さまざまな製品が、いかにマイコンによって世界市場で戦い得たか? そうした時代の流れのすべての原点がこのTK-80にあるとは言わないが、それを代表する象徴的な製品のひとつが、TK-80であるのは間違いない。

 そんなTK-80について、これを展示物のひとつとして収蔵する東京理科大学の近代科学資料館と機械式計算機の会(関連サイト)の渡辺祐三氏のお話の中から今回のシンポジウム開催が決まった。ここまで述べた背景について、改めてTK-80の当事者をお招きして、より詳しく、あるいは今だから話せる未公開のお話も聞こうというものだ。日本のモノ作りやマイクロエレクトロニクスの魅力に触れる1日になるはず。

 詳細は、以下のとおり(敬称略)。

開催概要

日時
2010年3月27日(土)13:00~17:00
会場
東京理科大学神楽坂校舎1号館17階記念講堂
第一部:
パネルディスカッション「TK-80とは何だったのか?」
 登壇者
後藤富雄(TK-80開発者)
渡辺和也(TK-80プロジェクト責任者)
榊 正憲(『復活!TK‐80』著者)
 司会
遠藤 諭(元『月刊アスキー』編集長/アスキー総合研究所所長)
第二部:
持ち込みマイコン大紹介/実演体験会
(パート1) オンステージ
(パート2) ワークショップ
入場無料
参加の事前申し込みも不要

 第二部のワークショップは、「TK-80、その他のマイコン持参実演歓迎」としており、参加者が自由に機材を持ち込んでデモできます(会場で主催者側がすべて管理できないようです。持ち込んだことによる故障・紛失などは自己責任になりますのであらかじめご了承ください)。

 会場の関係ですべてを動作できない可能性もありますが、特に注目すべき機材については第二部パート1のオンステージで紹介させていただく予定だ。“これは!”という製品は、あらかじめTwitterにて @hortense667宛にハッシュタグ #TK80nokai を付けてつぶやかれたし。


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