「プレミア」と「コモディティー」のコンテンツ
── Google、Apple、AmazonのようなITプラットフォーマーの存在感が年々高まる中、メディア産業全体に目を向けるとまさに「100年に一度の変革期」に突入したという印象を受けます。角川グループは出版社からスタートした企業です。今後の出版社の役割をどう位置づけていますか。
角川 ぼくの本を読んでくれた中に「珍しい経験をした」と言ってくれた人がいます。「この本、暗くないよね」って。僕は根が楽観主義だから、どっかでそういう匂いがするのかも知れない。でも現役経営者が「暗いね」と言ったら、その会社はどうなっちゃうのか。だから僕はすごく楽観的なんだよね。
Googleの検索が出てきたときに、「これで編集者はいらなくなる」って話も聞いたよ。僕もそのときには「困ったなぁ」と思ったけど、今、あれを見て編集者がいらなくなると思う人なんていないんじゃないか。編集者の仕事って、これからも重要なものとして残っていくんだよ。
著作権法は全部を対象に守らなきゃいけないのは大原則だよ。だけど原石であるコンテンツと、磨かれたコンテンツは違う。僕は「プレミア・コンテンツ」と「コモディティー・コンテンツ」と呼んでるんだけどね。
── 先ほどの話で言うと、プロと素人のコンテンツを著作権法で分ける必要はないけれど、コンテンツの種類という切り方では分けたほうがいい、分けられるということでしょうか。
角川 そういうこと。原石は分けられる。原石をプレミア・コンテンツにしていく作業には、当然編集者が介在するわけだよ。そこには編集者の責任や創作行為が含まれているし、何なら著作権の中にそういうものが「伝達権」として定義されてもおかしくないと僕は思ってるよ。
同じように、ニュースなどでも、プレミア・ニュースとコモディティー・ニュースが存在する。新聞が危ないって言うけれども、日経新聞やWallStreet Journalなんかは、プレミア・コンテンツとして売ってるわけ。非常に分かりやすいよね。経済紙というのは生き残って行ける。
それ以外の、産経、毎日、読売、朝日というのは生き残れないのかと言ったら、やっぱりそんなことはない。コモディティーレベルから質の高いレベルに切り替えていく作業を彼らがきちっとすればいいのだから。今日事件が起こって、それをあたりまえに伝達することまで有料でなければいけないとしたら、国民は知る権利を放棄させられるんだから、これこそおかしいよね。
起こった事件を伝えなきゃいけないという公共性の中で無料で流していくものとは別に、みんなが価値を理解してくれる分析・解説した記事にはお金を払ってもらう。ここで支えていくというのが、ポスト・ウェブ2.0的だと思うよね。
── 無料といえば、今回、本書を事前にウェブで無料公開されていましたよね。この意図は何ですか?
角川 今回、無料で出すという行為と、コモンズ(共有財産)にする行為と2つ考えたんだよね。頭ではコモンズにしたほうがいいかなとも思ったんだけど、まず実体験の中で無料にすることでコモンズに入っていく入口にしたかったんだよね。コモンズはイヤだけど無料はいいよってわけじゃなくて、将来的にはコモンズって言いたかったんだ。
僕には伝えたいという思いがあるんだけど、「クラウド時代と<クール革命>」というタイトルはハードルが高いよね。かといって、いたずらに煽りの題にしたくない。どうしても僕の矜恃が許さないんだよね。
これを読んでもらって「なるほど」と分かってもらうためには、まず無料で試してほしかった。「ああ、つまんなかった」というなら無料でいい。もちろん「これは手元に置いて読まなきゃいけない」と思ってもらえるような内容にしたつもりだよ。
── 息の長い本になると思います。
角川 そう思ったんです。だから、入口は広い方がいいということで無料にした。
── 意地悪な質問になっちゃうかもしれないんですけど……。この無料配信は画期的だなと思いつつ、ムダなDRMの制限が厳しすぎて、読んでいるときにコピー&ペーストでメモできないことが気になりました。
本の中に印象的でメモしたいフレーズがたくさんあるんですよね。そういうものを読者がTwitterとかほかのソーシャル・メディアにアップしてフレーズを共有しながら議論できるようになると、新しい「本の形」が生まれるんじゃないかと思ってるんです。
角川 それ、ぜひしたいですね。アナタに間に入っていただけたら。
── そういう形の新しい電子書籍ってあってもいいと思うんです。わざわざ電子書籍にするんだから、もっとデジタルならではの付加価値があっていい。電子書籍といっても、単に紙の既刊本のアーカイブが電子化するだけじゃ意義は薄いと、僕は思ってるんですね。
角川 じゃあ、次の段階でやりましょう。