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角川会長が語る「クラウド時代と<クール革命>」(前編)

2010年03月11日 14時45分更新

文● 津田大介/ジャーナリスト 撮影●三井 公一(サスラウ)

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ネットは「親の総取り」ではたしていいのか?

── YouTubeと戦略的提携をされて、公認MADの動画などから広告収入が入るようになりました。提携にはメリットもデメリットもあったかと思うんですが、提携から1年以上経過した今、率直な評価を聞かせてください。

角川 まだ合格点ではないよね。「労多くして益少なし」という感じかな。理念的にはこの提携ができたことで僕らはある種の満足感があるんだけど、ビジネスとしてはまだ十分じゃない。

 GoogleやYouTubeは、彼ら自体がアメリカン・ドリームを体現してるけど、彼らが作った仕組みに参加した人たちがアメリカン・ドリームになってないなぁと。まだまだささやかなレベルでの成功でしかない。日本の携帯電話はよく「ガラパゴス」とか揶揄されてるけど、ドコモのiモードができたことで、さまざまなコンテンツプロバイダーが生まれて、中には上場したところもある。iPhoneやYouTubeの世界からは、そういう大きな会社が生まれてきていない。それは実は、次の電子書籍リーダーをどうすべきかという問題にもつながっている。

「彼らはアメリカン・ドリームを実現したけど、参加した人たちはアメリカン・ドリームになっていないかなと。非常にささやかな話は伝わってくるけどね」と角川氏

── まさに親の総取りみたいな世界だと。

角川 それが言いたいんだよね。Googleやアップルは儲け過ぎているんじゃないかっていう。「オープンだよ」とか「参加しやすいよ」とか「ハードルが低い」とか「99ドル払ったらできるよ」とか言ったってねぇ……。こっちはそれで大成功したみたいな例を探したいじゃない。1000万円とか1億円とか儲かったみたいな例はあるかもしれないけど、お小遣い稼ぎみたいなものだよね。

 しかも、小遣い稼ぎをしたい人たちがすごく苦労して作ったゲーム会社のゲームを真似たアプリを販売して、無料や値段の安い方に客が流れちゃうっていう現象も起きてる。そういう問題をどう捉えるかってこともあるよね。


── 現状では、Google、Apple、Amazonという3社がプラットフォームを押さえてしまって、日本企業の貴重なデータもクラウド型サービスを提供する米国企業のプラットフォーム上で管理しなければいけません。

 角川さんはデータの安全保障の観点から、クラウドについては国策として日本でやるべきだと提言されています。それはクラウドの部分だけなんでしょうか。それともビジネスプラットフォームも日本企業である方が望ましいということでしょうか。

角川 両方なんだよね。


── ただ、プラットフォームビジネスやクラウドを日本でも盛り上げていくべきという話をするときに、日本の場合は法律や制度の壁も大きいですよね。

 そのあたりは本書でも触れられていますが、コンテンツ振興や知財推進というと、日本の場合、すぐ規制強化や産業保護の方向に行ってしまいますよね。そうした規制や産業保護だけですと、角川さんが本の中で定義した「知のグローバリゼーション」の波に対抗できないのではないかと感じています。

角川 一番問題なのは、アナログの時代には独占はいけなかったのに、ネットの時代は独占をよしとするところなんだよ。

 僕の問題意識は、健全なコンペティター(競争相手)を育ててほしいってこと。一社総取りで残りはすべて敗者っていう環境じゃ不健全。お互いが競争する中で、次への発展につながる環境が作られる。そういう面で日本企業が良いプラットフォームを作ることを国策として支援していいんじゃないかと僕は思ってる。


── この本でも繰り返し述べられている「クール革命」を実現するには、大衆の意思を反映し、ユーザーの利益を重視する知財政策や振興案が必要になると思います。今の日本の政策形成過程ではそうしたものが反映されにくいというのも現実ですよね。

角川 うん。だから僕はそれを越えるために「ネット法」と言ったんですよ。


── 「ネット法」は、途中からあの言葉だけが一人歩きしちゃった印象はありますが、この本で書かれている、今までの「所有」という概念が「利用権」に変化するというところが一番のポイントですよね。

 例えば、iPhoneのApp Storeでアプリケーションを買うと、iPhoneをなくしたり、初期化してしまっても購入履歴が残ってるからもう一度同じアプリを無料ダウンロードできる。この仕組みがまさに僕は「所有じゃなくて利用権を買ってる」と感じました。こうした仕組みが、今後あらゆるコンテンツに適用されていくということですか?

角川 そうなんです。僕はよく「一次利用・二次利用・三次利用」という話をしています。映画で言えば、まず映画館に行くのが一次利用。それがDVDという形で「有体なものを持つ」のが二次利用。その先にネットで「無形なものを持つ」ということを三次利用ということ。

 三次利用では所有感が少ないので、今後もパッケージへのニーズはたぶんなくならない。手元に残しておきたい人は二次利用、バーチャル空間で利用権だけ欲しいって人は三次利用でOKみたいなすみ分けができていくんじゃないかと。

 一次利用の体験は代え難いものだから、いくらホームシアターで見ようと思っても完全には再現できない。「アバター」を大きな映画館で見たいという人はたくさんいます。

 もっと言っちゃえば薬師丸ひろ子さんの「セーラー服と機関銃」が好き過ぎて、それが欲しいばっかりにビデオデッキも持ってないのに映画のパッケージを買って「触っていたい」みたいな人もいる(笑)。そういうパッケージに対する愛着みたいなのも、僕は愛おしいんだよね。それを否定しちゃいけないと思うんだ。


── すべてが三次利用、つまりデジタルに置き換わるわけではない、と。

角川 置き換わるわけないよ。コアなユーザーはパッケージ、ライトユーザーはネットでいい。実際一次利用のところでは、映画館には行かないって人も随分増えているし、書店に行かない人も増えてる。でも、利用の形態が変わることで裾野が広がればいいんじゃないかな。

── 「アバター」には3D体験というわかりやすい付加価値がありますが、従来のパッケージも「パッケージを買わなければ得られない体験や付加価値」をうまい形で消費者に提示して、ネットと差別化していけばいいですよね。

角川 そう。すべては編集者の知恵だと思う。

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