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古田雄介の“顔の見えるインターネット” 第67回

「日本のネットを開国したい」非モテSNSえがちゃん本気で語る

2010年03月13日 12時00分更新

文● 古田雄介

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プログラマーとしての挫折が非モテSNSを生んだ

―― まずは永上さんのネットとの出会いから非モテSNSスタートまでの流れを教えてください。かなり前からウェブサービスを開発していますよね。

永上 中学2年のときにケータイで学校裏サイトを運営したのが最初なので、9年前の2001年頃ですね。それからすぐにパソコンのインターネットでもサイトを立ち上げました。当時ネットラジオにハマっていたので、ラジオDJも参加してもらえるようなファンサイトやネットラジオサイトを作っていたと思います。もう高校生だったんですけど、2ちゃんねるに「伝説の厨房」という僕のスレが立っちゃって、今も消えないという悲しい状況です(笑)。

―― プログラミングを始めたのも中学生の頃ですか?

永上 18歳からですかね。ちょうど上京してテレビの専門学校に通っていたんですが、趣味でプログラミングの勉強がてらに始めて、画像.inプロフ.inなどの「.in」シリーズを量産していきました。それで一時期、週に1個サービスを作るという異常なテンションになっていて、はてな界隈でもかなり叩かれましたね。

画像検索サービス「画像.in」。サイトのコンセプトや自身の宣伝色の強さが波紋を呼び、はてな界隈での騒動のきっかけとなった

―― それが2008年の秋頃ですね。騒動が収まった後の2008年11月に「非モテSNS」をオープンさせていますが、これはどんなきっかけからでしょう。

永上 最終的に30人くらいのプログラマーさんと直接会って説教をもらいました。直後はさすがに疲れちゃいましたけど、寝れば直る性分なのでスグ復活して。ただ自分自身プログラマーには向いていないと分かったので、別の切り口を考えてみようと思いました。

 直接会った人のうち、あるプログラマーの方に「ウェブサイトには3つの方向性がある」というアドバイスをもらったんですよ。コンテンツのジャンルで切るものとセグメント(ターゲット層)で切るもの、そしてmixiやTwitterみたいにプログラムを主体としたものだと。そこで自分のサービスの主体をジャンルにシフトしようと考えました。プログラム主体のものは本当に経験豊富な人がちゃんと作らないと当たらないですが、ジャンル主体ならアイデアやアプローチ方法、プロモーションによって成功する余地があると気づいたんですね。

 僕はRSSリーダーに100件くらい登録していて一日2000記事くらいは読む習慣があるんですけど、それからは毎回ニッチなジャンルを軸に新サービスのヒントを探ったわけです。そこで「非モテ」という言葉が徐々に一般化していくのを感じて「これだ!」となりました。

永上裕之氏。非モテSNSに関しては「今は世の中が恋愛至上主義に染まっているので、そうじゃない価値観が広まっていくのがゴールだと思います。恋愛そっちのけで、仕事バリバリしている人って格好いいじゃないですか。別にモテなくてもいいと思うんですよね」という

―― mixiと同じSNSながら、運営者側が打ち出す色を武器にするという意味で「ジャンル」というわけですね。当初はどんなカラーを用意したんですか? また、1年以上経った現在はカラーに変化はありますか?

永上 最初に考えていたのは、じめじめしたネガティブなコミュニティですね。実際、初期の頃は「俺モテない。キモオタだ」みたいな人が多かったです。だけど、最近は「彼氏彼女とかいらないし、異性の友達がいればいいや」という人が増えていますね。オフ会でもそういう空気の変化を感じます。なんというか、草食系という感じの。

 おそらく、若い世代の人がたくさん会員になってくれたのが大きいと思います。あとはテレビでも5回くらい採りあげてもらえたので、「自分は潜在的に非モテだ」と思っている人たちが参加してくれるようになったのもありますね。ネットのコア層が定義する非モテではなく、より一般的な意味での非モテになっていった感覚です。

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