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池田信夫の「サイバーリバタリアン」第102回

ネットで盛り上がる的はずれの「検察リーク」批判

2010年01月27日 12時00分更新

文● 池田信夫/経済学者

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表現の自由は守秘義務より重い

 そもそもリークを批判する人々は、どうしろというのだろうか。上杉氏のように「検察は記者会見をしろ」という人が民主党にもいるが、厳格に解釈すれば、検事が捜査について少しでもコメントすることは守秘義務に違反する。情報漏洩を批判している民主党が、捜査の最中に記者会見で捜査情報を明かせというのは矛盾している。民主党の対策チームは「匿名の情報で報道することを規制するつもりはない」というが、それなら何のために騒いでいるのか。

 野党だったとき、民主党はメディアの未確認情報や堀江貴文氏の「偽メール」のように根拠の怪しい情報にもとづいて政府を追及した。その民主党が、政権についた途端に報道に干渉するような言動を繰り返すのは、ダブル・スタンダードである。非公式の捜査情報の報道を禁じたら、政治家の疑惑は起訴されるまで何も報道できなくなり、野党は追及の材料を失うが、それは国民の利益になるのだろうか。

 起訴される前から、いろいろな容疑が「関係者」の話として報道されることには人権上の問題があるが、それはリークの有無とは無関係である。むしろ週刊誌やワイドショーのように、憶測で犯人扱いするほうが問題だ。司法クラブの記者が検察のものの見方に同調する傾向はあるだろうが、それは報道の内容を批判すればいいことで、情報源の性格とは別の問題である。

 匿名の情報にもとづいて報道するのは、記者クラブの是非とは無関係の問題だ。ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件で、捜査情報を提供した「ディープスロート」と呼ばれる匿名の情報源は、当時のFBI副長官、マーク・フェルトだったことが後に判明した。これは明らかに守秘義務違反であり、それを報じたワシントン・ポストの記者もその「共犯」だ。やろうと思えば、彼らを逮捕して情報源を聞き出すこともできただろうが、米政府はそれをしなかった。憲法修正第1条に定める表現の自由は、行政上の守秘義務より重いからだ。

 ところが日本ではメディアが権力と闘って表現の自由を勝ち取った経験がないため、取材対象に配慮して報道を「おさえる」ことが多い。メディアが捜査情報を報道することより、政治家に遠慮して疑惑を闇に葬ってしまうほうが重大な問題だ。もちろん一方的な情報にもとづいて犯人扱いすることはよくないので、人権に配慮する必要はあるが、それは情報源が匿名か実名かには関係ない。たとえ情報源に違法の疑いがあっても、それより大きな公益のために必要だと考えれば報道することがジャーナリストの使命である。

筆者紹介──池田信夫

池田氏

1953年京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。1993年退職後。国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は上武大学大学院経営管理研究科教授。学術博士(慶應義塾大学)。著書に、「希望を捨てる勇気―停滞と成長の経済学」(ダイヤモンド社)、「なぜ世界は不況に陥ったのか」(池尾和人氏との共著、日経BP社)、「ハイエク 知識社会の自由主義」(PHP新書)、「ウェブは資本主義を超える」(日経BP社)など。自身のブログは「池田信夫blog」。

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