言うのは簡単、やるのは大変。
だったらお前がやってみろ
そんな私に転機がやってきます。1998年、新卒入社から7年。今度こそコンサルタント。動機は、もっとビジネスに関わりたいというものでした。ITはビジネスの手段ですが、目的であるビジネスそのものに関わっていきたいと考えたのです。グローバルな戦略コンサルティング会社に転職し、狙いは実現できた……かと思われました。もちろん、学ぶことも多く、大きく成長させてもらったと今でも感謝しています。一方で、どうしても理論先行、あるべき論先行になりがちなコンサルの負の側面も見えてきました。
そこで2000年には自分自身で納得のいくコンサルティングを提供するために、コンサルティング会社を起業。小さな会社でしたが、自分が納得できることを納得がいくまでやることができるようになりました。当初は強みであるIT戦略が中心でしたが、徐々に企業再生や企業成長支援などを手掛けるようになりました。ちなみに、弥生との出会いはこの起業時。ユーザーとして、弥生会計と弥生給与を使い始めました。それまで数億円から数十億円の大規模システムに関わっていた人間としては、わずか数万円でこれだけ機能が充実し、使いやすいシステムがあるということは正直驚きでした。
2007年秋、今度はコンサルタントとして弥生と接することになりました。ご存知の方も多いかと思いますが、弥生は以前ライブドアの傘下にありましたが、2007年にライブドアから独立。ライブドア傘下を離れ、新しい会社としての成長戦略を考えるために雇われたのです。
人もそうですが、企業も成長のためには進化する必要があります。そういった提言をしたところ、「言うのは簡単、やるのは大変。だったらお前がやってみろ」と。ビジネスに関わりたくてコンサルになり、さらに机上の空論ではないコンサルを求めて独立した私ですが、追い求めた結果、実業、それもソフトウェアベンダーに戻ることに。まるでぐるっと一周したようなものです。
ということで、本当にこれはご縁としか言いようがないのですが、2008年4月、弥生の代表取締役社長に就任しました。そして社長として最初に取り組んだ課題は、開発の「再生」。一度はコンサルタントとして開発の現場から離れた私が、何の因果か、今度は社長(兼開発本部長)として開発の陣頭指揮を執ることになったのです。
予めお断りしておくと、弥生の製品はどれも素晴らしいものです。これは胸を張って言えますし、これだけ多くの方にご利用頂けていることは、その何よりの証拠です。弥生の登録ユーザーの数は約75万。名実ともに日本でもっとも多く使われている業務ソフトです(現在絶賛発売中の弥生 10シリーズも是非宜しくお願い致します)。一方で、長年に渡ってシステム保守を続けることの難しさとその弊害は、ITに携わっている読者の皆さまはよくおわかりかと思います。弥生もその弊害から逃れることはできていませんでした。
ノウハウの属人化、コード疲労(金属疲労をもじった造語ですが、大体意味するところはわかりますよね)、品質の不安定さ、エンジニアの疲弊……こういったところが、長年に渡るシステム保守の典型的な弊害かと思います。次回からは、いよいよクライマックス。弥生がこういった課題にいかに立ち向かったか、についてお話させて頂きたいと思います。
岡本浩一郎
1969年3月、横浜生まれの横浜育ち。
野村総合研究所、ボストン コンサルティング グループを経て、2000年6月にコンサルティング会社リアルソリューションズを起業。
2008年4月、弥生株式会社 代表取締役社長に就任。「かんたん、やさしい」そして「あんしん」な弥生シリーズを広めるべく、全国行脚中。
ブログは弥生社長の愚直な実践。Twitterはkayokamoto。
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