PCだけでは終わらない ATOKが描くIMEの将来像

文●松本淳

2009年12月25日 12時00分

ジャストシステムのIMEソフト最新版「ATOK 2010 for Windows」。2月5日発売で、価格は8400円(税込)

 1983年の商用版DOS対応版登場以降、マイクロソフトの標準搭載IME(MS IME)の登場など、様々なプラットフォームの変遷を生き抜き、日本語入力の分野で揺るぎない地位を占めているジャストシステム社の「ATOK」シリーズ。

 近年、Mac OSのIME・ことえりは「愛/し/て/い/る」といったように言葉を最小単位まで解析する「形態素解析」に対応。さらに標準搭載IMEとの競争が厳しくなってきた中、今月3日に発表された「Google日本語入力」の登場によって、ATOKの存在意義が危うくなったのではないかという意見も聞かれる。

 一方、仕事で文書を作成するプロユースの場合はATOKを優位と見る向きもある。Google日本語入力でサジェストされる候補に、一般に広まっている誤用も抽出されることや、校正機能の有無などが分かれ道となっている。

 Google日本語入力により、これまでプレイヤーが固定されていたIMEに再び注目が集まり、2月に新バージョンを予定しているATOKが果たしてどのような一手を打ってくるのかに関心が集まっている。新バージョンのプロジェクトメンバーにさっそく話を聞いた。


「はてな村」など、ネットのフィルタリング効果は大切

―― Google日本語入力に対する「一手」という形となったATOK 2010ですが、バージョンアップのポイントについて聞かせてください。

コンシューマ事業部の井内有美氏

井内 毎回のバージョンアップで行なっていることですが、やはり変換精度の維持・向上には注力しています。2010では特に同音異義語の処理精度の向上と、入力効率を改善しています。

 カタカナ語で綴りを入力してしまった単語でも、正しく英単語として変換できるという機能を加えました。校正機能では、重ね言葉の指摘も強化しています。またウェブ連携の部分では、以前から備わっていたウェブ辞書「ATOKダイレクト」のユーザビリティを改善しました。

竹原 ATOKダイレクトは、はてなキーワードなどが提供するRSS配信のAPIを利用して、現在変換を行なっている文字列に対し、その結果をATOKの中でダイレクトに表示する機能です。

―― なるほど。ネット上の流行語などをローカルの辞書としてダウンロード提供する「はてなキーワード辞書」はどんな形で更新しているんですか?

竹原 辞書については、はてなさんから定期的にキーワードの提供を受け、それをこちらで辞書データに加工し、ATOKバリューアップサービスで公開するということをATOK 2007から行なっています。

はてなキーワード辞書。「草食系男子」のような時事用語が強み。Google日本語入力が強みとするネット用語のさきがけでもある

―― 更新の頻度はどのくらいでしょうか?

コンシューマ事業部 企画部の佐藤洋之氏

竹原 はてなキーワード辞書については現在、年1回ですね。ジャストシステムが独自に収集し作成した、たとえば野球選手や漫画家の名前辞書などのデータは、ほぼ毎月何らかのテーマで提供しています。

佐藤 これは5年ほど前に提供して好評だった「2ちゃんねる用語辞書」以来続けている取り組みです。

―― はてなキーワード辞書はGoogle日本語入力のようなフレーズも含めた内容となっているのでしょうか? たとえば「ただしい」と打つと「ただしイケメンに限る」がサジェストされるといったことはあるのでしょうか?

コンシューマ事業部 開発部の竹原宗生氏。今回はテレビ会議で話をうかがった

竹原 現在のところ、フレーズは対象ではありません。単語単位となります。ただし、すでに「ただしイケメンに限る」ははてなキーワード辞書に含まれていますので、変換は普通に行なえます。

佐藤 実は私たちはいわゆる「はてな村」(はてなダイアリーを核とした文章を書くことが好きなコミュニティ)による、キーワードのフィルタリング効果にも期待している部分があります。ダイアリー内での出現頻度が高いものを辞書に反映しているのです。

―― なるほど、確かに検索ボックスに入力される文字列の出現頻度と、実際に文章を「書く」際のそれとは結果が異なってくるようにも思えます。

辞書に対する提案は「みんなでつくるATOK辞書」(http://www.atok.com/collect/)で受け付けている。またATOK 2010からは単語登録の際、単語をジャストシステムに送信し提案できるオプションも用意される

個人だけではなく、法人向けのソリューションも

―― Google日本語入力はかなり絞り込んだ設計も相まって、動作速度が軽快に感じられます。ATOK 2010はいかがでしょうか?

竹原 変換精度を上げるということは、それだけ計算処理が多くなりますので、処理速度が下がってしまいます。しかし、Windows 7が、かなり動作が機敏になったということもあり、ATOK 2010ではプログラムを全面的に見直しました。

 特にプログラム全体をUnicode化した結果、プログラム内での文字列の受け渡しの際、文字種を変換する必要がなくなりました。その結果、約10%の処理速度の向上に成功しています。「今度のATOKは速い」と思っていただいて良いと思います(笑)。

―― インターネットからもう少し範囲を狭めたイントラネット、特定業種などの分野についてお伺いします。同じ会社の中でしか通用しない用語など、集合知からは辞書を生成しづらく、けれども特定のメンバーの中では登場頻度が高い言葉もありそうです。

ATOKビジネスソリューションの概念図(http://www.justsystems.com/jp/services/abs/product/images/index04.jpg より)

佐藤 「ATOKビジネスソリューション」がそれに対する答えになるかと思います。個々のパソコンにインストールされたATOKをクライアントと見立て、サーバーから辞書を配信する仕組みです。

 校正支援ソフト「Just Right!」もその共通辞書を参照することで、ドキュメントの用語統一もできます。たとえばジャストシステム社内では、社員の氏名で変換をかけると、メールアドレスや内線番号なども参照できるようになっているんですよ。

 変換効率はそのまま業務効率に直結します。「便利なことが、不便になる」というパラドックスに陥ることもビジネスの現場では起きますが、ATOKでは各種設定やソリューションパッケージによって、それを制御することもできるのが一つの強みです。

 制御という意味では、先ほど竹原も説明したUnicode対応が各所で進んでいますが、一方ではまだShift-JISの環境で統一している企業もあります。「Unicode環境でしか表示できない文字列を、そもそも変換候補に表示させないようにする」といった制御ができるのもATOKならではと言えます。社内専用の外字を変換対象として運用している例もあります。


ネットの「集合知」を最適化し、「個」に対する製品を提供

―― 「インターネットユーザーが使いやすい」という状態が必ずしも、「個々のユーザーにとって使いやすい」わけではない、と言えそうですね。

佐藤 実際、個々の嗜好や目的は様々ですが、ネットの集合知を最適化し、個に向けた製品として提供するのが、ATOKのミッションと考えています。

―― 個々への最適化がATOKの存在意義ということになるのでしょうか?

井内 最終目的ではありません。最も大切なのは「辞書の洗練」です。

竹原 使う人にとってノイズが増える場合もあるので、ATOKは「語彙が増えるほどいい」という方針をとっていません。簡単に辞書を切り替えられるので、用途にあった語彙を使うことが出来ます。

ATOK監修委員会は、座長に作家・評論家の紀田順一郎氏を迎え、辞書学者の鳥飼浩二氏ら4名を委員として監修にあたっている

佐藤 辞書を切り替えて使える、というのが我々の一つの答えと言えるかも知れません。

―― 確かに、ある一人のユーザーの1日の生活を考えても、日中は会社で専門用語の辞書を頻繁に使い、帰宅後オフタイムはカジュアルな辞書でくつろぐ、というスタイルをATOKで完結できるということにもなりますね。

iPhoneで使える「ATOKアプリ」、登場はまだ?

佐藤 Google日本語入力の登場でにわかに注目を浴びていますが、実はまだインターネットのそれもコア層が取り上げているにとどまっていると感じています。一般の人たちはIMEの存在やそれを選べることさえ認識していません。そこには歯がゆさもありますね。

―― そういう意味では、一般層にもシェアを拡げつつあるiPhoneへの対応への期待は高く、それがきっかけになるのではないでしょうか?

佐藤 そうですね。すでに「まだ出ないのか?」というお叱りの声をいただいています(笑)。

iPhone版は、登場を待望するユーザーから「お叱りの声」まで受けているという

佐藤 iPhone上でパソコンと同じようなユーザーエクスペリエンスを提供しようとすると、なかなかハードルも高いのですが、別のアプローチでATOKの変換精度を活用してもらうこともできるのではないかと、様々な提供方法の可能性を考えているところです。

―― それはかなり期待が持てそうですね。

佐藤 パソコンの話に戻りますが、ATOKのユーザーさんには大きく2つの層があります。1つは古くからATOKを愛用していてその資産を活かしたいという方たち、もう1つはこれは最近のユーザーさんに多いのですが、電子辞書などを参照しながら日本語入力をしたいという方たちです。

井内 私も用例はよく調べますね。ある言い回しに続けるのに良い表現を入力中に調べながら文章を打ったりしています。

佐藤 実際のところATOKの購入者の約4割は電子辞書のついたプレミアム版を選んでいます。IMEというよりも統合的な日本語入力ソリューションを求めていることの現れなのかも知れません。

「翻訳ブレイン 実用翻訳2」。価格は9240円(税込)

―― ATOK 2010 プレミアム版では8ヵ国語ウェブ翻訳機能も搭載されます。Twitterの人気もあり、海外の人ともやり取りが増える際に役に立ちそうです。

井内 2011年5月までの期間限定ではありますが、弊社からリリースしている翻訳ブレインでもともと提携があったクロスランゲージさんのウェブと連携したサービスとなります。オンラインであれば、入力した日本語の文字列の変換結果を得ることができるというものです。

佐藤 オフラインでも利用したい、あるいは外国語を日本語に翻訳したい場合は「翻訳ブレイン 実用翻訳2」をおすすめします。


これからは「1本8400円」と「月額300円」が両立する時代に

―― 広い意味での信頼性や新機能に対するユーザーの期待もありつつも、これはソフト業界全体に言えることですが、無償で提供されるGoogle日本語入力に対して、有料パッケージは不利ではないでしょうか?

佐藤 確かに、すでに開発予定を明らかにしたAndroid版ATOKについてもどのような価格戦略で臨むかについて議論を重ねているところです。もともと無償で提供されるOSに対して提供するアプリケーションの価格がどうあるべきなのか。

―― 1つの考え方としては最近iPhoneのアプリでよく見られるようになった、アプリ自体は無料で提供して、付加サービスを有料とする方法も有効ではないでしょうか。たとえば辞書を追加する場合にはそれを有料とする、といったような?

佐藤 まだなんとも言えませんが、そういう選択肢もあり得ると考えています。パソコンの分野でも月額300円の定額制は好評です。かつてはパッケージでしかソフトウェアは売れないというのが当たり前でしたが、ずいぶんユーザーさんの意識も含めて変わってきました。ビジネスの観点からは、体験版や定額でソフトを提供することが、ユーザーの裾野を拡げることができるので全体としてはプラスです。そういった販売方法や決済手段なども大切で、クリアしなければならない課題は多いのです。

著者紹介――松本淳

 ネットベンチャー、出版社、広告代理店などを経て、現在は東京大学大学院情報学環修士課程に在籍。ネットコミュニティやデジタルコンテンツのビジネス展開を研究しながら、IT方面の取材・コラム執筆、映像コンテンツのプロデュース活動を行なっている。デジタルハリウッド大学院デジタルコンテンツマネジメント修士。著書に「できるポケット+Gmail」など。公式サイト 松本淳PM事務所[ampm]

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