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歴史を変えたこの1台 第4回

リモートアクセスサーバの元祖を探る

日本をネットにつないだ影の立役者「Ascend MAX」

2009年05月07日 09時00分更新

文● 大谷イビサ/TECH.ASCII.jp
Ascend MAX写真提供●サーバプロラボ・網元しめ鯖屋 別館

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そもそもPRIがなかったのでニーズがなかった

 後述する通り、アセンド・コミュニケーションズはすでにルーセント・テクノロジーズ(現アルカテル・ルーセント)に買収され、当時のメンバーも資料もすでにほとんど残っていない状況だという。

 そこで今回は、当時のアセンド・コミュニケーションズの日本法人のメンバーが多く在籍しているファイブ・フロントの流博昭氏、進藤資訓氏、伊藤敦氏にお話を伺った。ファイブ・フロントは、最新インフラ技術を提供するために設立されたベンチャー企業で、6人中5人が元アセンドのメンバーとのことだ。

ファイブ・フロント株式会社 取締役 事業開発推進部長 伊藤敦氏(左)、代表取締役社長 流博明氏(中)、取締役CTO 進藤資訓氏(右)

ファイブ・フロント株式会社 取締役 事業開発推進部長 伊藤敦氏(左)、代表取締役社長 流博明氏(中)、取締役CTO 進藤資訓氏(右)

 米アセンド・コミュニケーションズは、ISPや企業向けのリモートアクセスサーバ「MAXシリーズ」のほか、ISDNルータ「Pipeilneシリーズ」、複数のWAN回線を束ねる「Multibandシリーズ」、買収したカスケード社製のフレームリレー/ATMスイッチなどの製品を展開する米国の通信機器ベンダーであった。AOLやアースリンクなど大手ISPで採用された米国での勢いを買って、1996年に設立されたアセンド・コミュニケーションズジャパンは、当時雨後の筍のごとく増えた国内ISPに対して売り込みをかけた。主力商品は「Ascend MAX 4000」だ。

 とはいえ、当初はAscend MAXシリーズの出番はあまりなかった。「最初はどのISPに行っても門前払いで、PipelineというISDNルータのほうがメインでした。技術的に製品のメリットを理解できる方が少なかったのに加え、そもそもPRIを使うINSネット1500自体がほとんど使われていなかったからです」と語るのは、アセンド・コミュニケーションズジャパンを立ち上げたメンバーの1人である流博昭氏だ。当時、高価なPRIの回線は局同士の通信くらいにしか使われてなかったため、Ascend MAXシリーズのニーズがなかったのは当たり前だった。

空前のインターネットブーム到来
市場の8~9割を席巻

 しかし、半年くらい経って局側の交換機が整備され、ISPのインフラに対する投資が上向くと、問い合わせが増えてきた。またアセンドも、処理速度を向上させた上位モデルのAscend MAX 6000シリーズ、そしてマルチシャーシ対応で16のモジュールスロットを搭載する大型筐体の「Ascend MAX TNT」などを市場に投入した。

写真2 代表製品Ascend MAX 6000

写真2 代表製品Ascend MAX 6000

 この結果、1996年の後半からはピーク時は電話やメールなどで1日に100~200 本という問い合わせが殺到した。ISP向けということもあり、Ascend MAX 4000や6000などは定価で数百万円という高価なものだったが、在庫が次々はけ、出荷待ちという状態が続いたという。

 もちろん、需要が大きくても、製品やサポートが良くなければ、継続的にモノは売れていかない。その点、ワールドワイドで大きな成功を収めていた米アセンドの経営方針やカルチャーを受け継いだ日本のアセンドは、非常にスピーディなビジネスを展開していた。「とにかく決断が速かったですね。私も、受けた質問はとにかく24時間以内にお客様に返答するというルールを徹底していました。上司や本国に聞くというのも、すべてそのスピード感で対応していました」(流氏)という「アセンドイズム」とも呼べるスピーディなビジネスは、もはや体に染みついているという。

 正直、製品のトラブルも多かった。しかし「普通の外資のベンダーだと、セールスオフィスに過ぎない日本のメンバーが、直接本国のエンジニアと話すことなんてありえません。だけど、私たちは本国のメンバーとも信頼関係があったので、対等に話せて、素早く問題解決にあたることができました。とにかくエキサイティングな時期でした」と、エンジニアの進藤資訓氏は振り返る。

 5分、10分の休みが作れない当時の新宿のオフィスは、常時電気が点いているような不夜城であったという。

 もちろん、リビングストンやシスコ、USロボティックス、シバなど競合ベンダーも次々と製品を投入したが、Ascend MAXの勢いは止まらなかった。「競合はありましたが、結局はアセンドの製品を選んでいただけたケースが多かったです。日本のISP市場に関しては8~9割くらいのシェアを持っていたと思います」(進藤氏)ということで、市場を完全に席巻した。


次ページ、「アセンドはなぜ日本で成功したか?」へ続く


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