なぜアメリカでは“オバマ”で、日本は“炎上”なのか
―― 最後に、日本独自のように思える「情緒を共有する≒空気を読む」感覚についてお伺いしたいと思います。その感覚はウェブ/リアル相互のコミュニケーションにどんな影響を与えているのでしょうか。なぜ日本では「Twitterからブログが炎上」してしまい、アメリカでは「オバマ大統領がTwitterで広報活動」をできるのか、その違いはどこにあるんでしょう。また、2000年代から日本人の「承認欲求」、誰かに認められたいという強い欲求が急速に高まったとされています。その志向は確かに日本のネット文化そのものにあらわれているように思えます。承認欲求と、現在の社会倫理の関係性について、あわせてお聞かせください。
荻上 まずはウェブ以前に「どういう政治行動に対してインセンティブが働きやすい状況にあるのか」というところに違いがあるでしょう。
また、様々な属性を紐帯可能な「公共的なもの」を討議する振る舞いよりも、「中間層」の領域を分厚くするために「共像的な情緒」を監視する振る舞いの方が機能しやすいです。それが「日本独自」かはさておき、相対的な傾向とは言えるでしょう。
また、ネット上の言説を、「何へのカウンター」として意味づけているかによっても、その行動のトレンドは変わるでしょう。日本の場合、サヨクと位置づけられた「マスゴミ」に対するアンチという物語が共有されやすい。
日本ではずっと自民党が与党で、実際自民党支持者が多かったわけですが、権力を監視する役割を担うマスメディアは、そうした政治に対するカウンターとして「左」にまわっていました。そのマスメディアへのさらなるカウンターとして位置づけるがゆえに、「炎上」的なものが目立つのかもしれません。
そうだとしても、それをどう評価するのか。アメリカ的なものが「あるべき姿」で、日本は「半開=半壊」の状態と位置づけるのか。
僕は日本では、日本のリソースを使って「政治」をしなくてはならない以上、まずはその核となっている前提条件を露にするのが重要だと考えます。ウェブ上の集合行動を分析し、比較することも、そのための示唆を与えてくれるでしょう。
「承認欲求」が急速に高まっているかどうかは、僕には分かりませんし、なかなか実感もわきません。
それより高まっているのは、生活への希求だと思うので、まずはまっとうな経済学思考に基づいた、経済政策と貧困問題の手当てをしたほうがいいのではないかと思います。って、どんどんウェブの話からずれていますが(笑)。しかしネットも現実の一部ですからね。だから僕は、ウェブ/リアルという表現も極力使わないんです。ウェブは「リアルではないもの」ではありませんから。