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ついに上陸解禁! 日本一有名な廃墟、軍艦島に行ってきた!【後編】

2009年04月19日 21時00分更新

文● 伊藤 真広

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上陸ツアーでは見えない北部の建物

旧船着場。閉山の頃には使用されておらず、ゴミ捨て場になっていたという
旧船着場の上には、51号棟と16号棟を結ぶ渡り廊下が見える。軍艦島の建物同士は、地下や渡り廊下で繋がっている所が多く、雨の日でも濡れずに移動できたという当時の写真。この界隈は個人商店が軒を連ね、かなり賑わっていたとのこと(写真提供:長崎市)
写真手前から51号棟、鉱員住宅の59、60、61号棟、鉱員独身寮の66、67号棟。まさに住宅密集地!島の北端。岸壁の色が違うのは、波によって岸壁が決壊したところを修復したからだ
島の北部(軍艦に例えると艦尾側)。65号棟の一部が出っ張っている(写真右)が、ここには住宅で唯一エレベーターが設置される予定だった(屋上にはエレベーター機械室も見える)。だが実現はしなかった
島民の健康を支えた端島病院。写真右は2007年に長崎市が調査した際の端島病院
人が住んでいた当時の病院
現在は錆びつき、手術室の無影灯も無残に変色している
上陸中は南側からしか見えなかった端島小中学校。船から北側からの姿も見ることができた。写真右は人が住んでいた当時の学校の様子
小中学校の基礎部分はご覧のありさま。1991年の台風で学校横の堤防が決壊し、埋め立てた土が波に流されてしまったのだ一周した我々を乗せた舟は、長崎半島を目指すべく東に進路をとった。徐々に離れていく軍艦島。朝はすっきりとした姿を見せていたが、帰路にはうす靄がかかって、まるで幻を見ているに感じられた

取材を終えて

 廃墟マニア垂涎の軍艦島を訪れて、自然の力強さと人間の作り上げたものの儚さを感じずにはいられなかった。30数年という月日が流れただけで、まるで戦争でもあったのではないかと思わせるほど崩壊し荒れ果てた姿には恐れを抱かずにはいられない。
 上陸解禁にあたり元島民のなかには、軍艦島を観光資源化することに反対する人がいるという。過去の思い出の詰まった場所を見世物として見られたくないという気持ちもわからなくはない。
 今後、この記事を読んで島を訪れる人がいると思うが、上陸のルールは守るよう願うばかりだ。なお、島に行った際には、鳥たちの鳴き声に耳を傾けることも忘れずに。静寂に包まれた軍艦島では、生き物の鳴き声が心地よく聞こえるはずだ。

 さて、軍艦島と上陸取材はこれで終わるが、長崎市の協力により、上陸解禁後も立ち入りが禁止されている区域の写真を入手した。次ページでは、その貴重な写真を掲載しよう。

(次ページへ続く)

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