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電脳コイル・磯監督とセカイカメラ・井口代表が語る、新しい現実

2009年04月24日 16時00分更新

文● 編集部

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発想の原点は技術よりも「世界観」だったんです

 「電脳コイル」制作初期の企画書を拝見させていただいたんですが、このイラスト(下)でオバケが「ケータイ」を持っているのは何か意図があったんですか?

「電脳コイル」制作時の企画書より、ケータイを持ったオバケのカット。「むしろケータイが廃れる時代の話を描こうと思った」 (C)MITSUO ISO 2000

プロットやキャラクターデザインなどをまとめた企画書の一部は「電脳コイル企画書」(磯光雄・著/徳間書店刊)として刊行されている

 ケータイが普及しはじめたころだったので「むしろケータイが廃れる時代の話を描こう」と思ったんです。そのとき初めてARの技術に触れ、現実とリンクしたパラレルワールドを描きたいという発想があったので「あ、これならオバケが見えるな」とイメージがふくらみました。

 「メガネを覗くと異世界が見える」というアイデア自体は小学生の頃にはもうあったんですよ。そのときは「絵が描けない」と挫折してしまいましたが。

 実際にARを使ったストーリーの全体像が出来上がったのは1年前くらいですね。その頃にはARの研究そのものも進んでいましたし、映画「マトリックス」もヒットしていたので、仮想現実やARというイメージそのものは普及していたと思います。

電脳コイル企画書より。ヤサコ、イサコはともにややキツ目の顔つきをしていた。明太子のような容姿でおなじみのサッチーもまだかなりクリーチャーらしい描写だ (C)MITSUO ISO 2000


 テクノロジーから「オバケが見えるな」と発想できるのが監督ならではですよね。ぼくの方は監督のように具体的な完成像が見えていたわけではなく、ただただ新しい「世界観」をイメージしていただけだったんです。正直言うと、セカイカメラの開発にとりかかったときはARなんてまったく知らなかったんです。

 大学時代に理工学部の友だちがいて、彼からプログラムを教えてもらったことがきっかけになっているんです。学生寮で延々とプログラムに熱中していたある日、ふと外に出たとき「世界のすべては演算可能なんじゃないか」というひらめきがあったんですね。

 それはたとえば「磯監督」を押すと「アニメのプロット」が出てくる。さらにクリックしていくと、ブラッドベリの小説が出てくる……と言うようなイメージでした。他人との思いや記憶ともハイパーリンクでつながっているという。

 ぼく自身が専攻していたのは哲学で、卒業後には社会科の先生になるくらいしかないと思っていたんです。そんな中、当時ようやく出始めていたパソコンを通じて「仮想の何か(思考とか感情とか)を可視化する」ことで、世の中に貢献できるんじゃないかと。そんな思いがありました。

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