やりたいと思ったらやる、そしてやり続ける
宇川 これすごいでしょ。
野村 鼻ぐり塚の。
宇川 はい。真鍮でできた牛ですね。これも、鼻ぐりを溶かして作ってるみたいなんですよ。だから、すごい念がこもってるというか。情念漂ってる場所なわけですよ。これが結構笑えないというのが……。
(会場へ)この中で肉食べる人、手を挙げてみてください。やっぱいますね。ベジタリアンの人、手を挙げてください。数人いますね。僕もサンフランシスコに住んでたんですけど、あそこはビーガンとかベジタリアンたくさんいるじゃないですか。
野村 多いですね。
宇川 同じ哺乳類を殺傷していくという行為に抵抗がある、例えば「痛みを伴うから」とかいう人もいるし、純粋に健康のためにベジタリアンになっている人もいるし、それぞれ思想が違うじゃないですか。肉を食べる行為自体を、どうリアリティを持っているのかという話なわけですよね。
「生け贄」になった牛がいるということを、(鼻ぐり塚で)目の当たりにするわけです。子どもの頃ってそれはあまり考えてなかったんですけど、そのための供養なんですよね。実際に足を運んでみたら、リアリティをもって「生きているものを食べてる」という感覚を自分のモノにできたというのはあるんです。そこからハードコアパンクへ繋がっていくんですけど。
野村 すごい飛躍(笑)
宇川 でもやっぱりハードコアもアティテュード(姿勢)として、「No War」を掲げてたり、「Anti-Vivisection」──反動物実験を掲げていたりするじゃないですか。やっぱり心のひだに引っかかってるものは、すべてが繋がっているっていうか。で、それをパズルのワンピースを拾い上げてくように、かつて影響されていたものを大人になってまとめ直すことはかなり重要なんじゃないかと。自分の創作の原点を探るということですね。
野村 そうすると、宇川さんは、ひとより心のひだにかかってた昔のことが尋常じゃないぐらい……。
宇川 あるんですよ。昔の記憶、異常にあって。野村さんどうですか?
野村 僕は消せない方なんで……。
宇川 やっぱ消せないほうでしょ。俺も消せない方なんですよ。
野村 じゃあ、一生ぶん作れるだけの(心の)ひだに残るものがあるくらい。
宇川 残ってますね。振りほどけないぐらい。幼少の頃の体験って、まだ脳味噌が柔らかい時期に──HDDの空き容量がたくさん残っている時期に入ってきてるものなんで、なかなか取り払えないものがあると。
さらにそこには、やっぱり両親から受け継いだDNA、お父さんお母さんの情報を得てそこから発展させていくのは本人じゃないですか。その後に蓄積された情報をいったん整理した方が、創作の原点って探りやすいのかなと。
で、ここに「夢を叶えるためにしたことは」って書いてあるんですけど、僕が書いたのは「空想から現実への入出力回路」と「情報から行為への入出力回路」、それと「体験から日常への入出力回路」。
野村 どういう意味?
宇川 「フィードバック」ですね。頭の中で空想するじゃないですか。それってクリエイティブの源ですけど、その裏っかわにあるのは、かつて入れた情報だったり体験だったりするわけです。そこの空想から現実へ……。
簡単に言えば、頭の中で「今からシャケ食いたい」と思うとするじゃないですか(笑) シャケ食いたいと思うだけじゃダメ。本当に食べないといけない。食いたいと思う信号があるなら、それを食べないといけないってことなんですよ。
だから頭の中で思い描いた世界観があったら、(シャケを)食べるのにどうすればいいのかと考えるのと同じで、(世界観を)行為として具現化しないと形にされないというか。
野村 空想で終わらせちゃいけない。
宇川 簡単なことなんですよ。食べたいなと思ったら食べるというのと同じで、やりたいなと思ったらやる。そうそう、ナイキじゃないんですけど「JUST DO IT」。
野村 でもこう……大人になると、自分でアイディアが浮かんだと思うと、ついつい「他の人もやってるかな」とか思ってやめちゃったりする。その空想を具現化するということはだんだん減ってきてしまう気がするんですよ。フィルターをかけて。
宇川 でもそれはやり続けないといけないと思いますね。そこでやっぱ重要なのが、情報と行為の入出力のファンクションというか。怪獣から影響を受けて鼻ぐり塚という記憶がある、それって情報ですよね。そこに足を運ぶと。それは行為(アクション)なわけですよ。その入出力。お互いのフィードバック作用。
いったん現場へ行ったらまたもう一度見てみて、かつて自分がその情報を手にしたときの気持ちを振り返ってみると。精神分析じゃないんですけど(笑) そうしていったら、より強固に、なぜそれが記憶に残ってて、自分の創作のその後に繋がっていったのかが判ると。