第1回、第2回に続き、最終回となる今回では、Intel Macの展望やコンピューター業界全体の未来について熱く語られた。米アップルコンピュータ社、そしてパソコン業界がよりよい方向に向かうために、巨頭2社の元トップが提言する秘策に注目だ。
*この対談はMac miniとBoot Campの発表前、2月上旬に収録されたものです。
左・インテル(株)元会長・西岡郁夫氏、右・マイクロソフト(株)元会長・古川 享氏 撮影:(有)パシャ 篠原孝志 協力:九段会館 |
紆余曲折を経てアップルと成就
――米インテル社とMacはもともと、関わりが深かったんですよね?
【西岡】 ええ、インテルはMacを片思いし続けていた会社で、ずっとラブコールを送り続けていましたね。
1993年に米国で開催された“COMDEX”(コムデックス)というコンピューターの展示会で、アップルはインテルCPUで動くMac OS(コード名“StarTrek”)を招待客だけに見せてくれました。「やっとMacが世界標準になる」と喜んだんですが、当時のアップルCEOのジョン・スカリーはこの開発計画を中止したんですよ。あれは本当に残念だった。
その頃のWindowsはネットワーク対応が弱かったし、あのOSがそのまま完成して世に出ていたら、ビル・ゲイツは今の地位にいなかったのでは、とも思います。1995年に『Windows 95』が出たときも「なんだ、こんなのもうとっくにMacでできていたよ」というのが率直な感想でしたから。
――私はその5年後くらいにスカリーをインタビューしました。「アップルは儲けの大半をハードの売り上げから得ていたものの、MS-DOSやWindowsに対抗するには倍近い値段をOSに付けて、さらに社員も大幅に削減しないといけなかった」と振り返っています。
【西岡】 そう、アップルは徹底的にハード依存の会社だったんですよね。
【古川】 ただ、私はそこはやり方次第だと思いますよ。アップル日本法人の社長就任の話を持ちかけられた際、クパチーノの本社に「OSのライセンスだけで料金を徴収せずに、互換機メーカーからハードウェアのライセンス料も徴収するようにすれば、自分たちで製造するよりも儲かるのでは」と提案したんです。でも、露骨に「日本法人の仕事はMacを売るだけだ」と言われてね(笑)。
もし、互換機戦略を展開するなら、ソニー(株)とかの日本企業との橋渡しもできると言ったのだけど、「われわれが探しているのはMacを売ってくれる人物で、それ以外のことは期待していない」と言われて、そこで話が終わってしまった。あとから聞いたら、ソニーの出井さん(出井伸之元会長)もMacの互換機を作りたいとアップルに声をかけていたけど、実現しなかったらしいですね。
【西岡】 インテルもそうやってラブコールを送り続けては無視されてきたんですよ。
――でも、それが長い紆余曲折の末、今回、ようやく実ったんですね。
【古川】 新しいインテルMacのテレビCM、あれを見て驚いたんですけど、普通、CPUの製造ラインは横に流れているはずなのに、CM内のシーンではまるでCPUが別世界へ昇天していくかのようにスーッと上がっていくじゃないですか。それで、iMacの中に入る。
スティーブ・ジョブズもあのCMがよほど気に入ったのか、たった90分の基調講演で2回も流していたけど、今回の提携における、アップルの期待の大きさみたいなものを感じますよね。