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【特別企画】「真の敵が現われている。自由を守るために行動しよう」─Richard Stallman氏が立教大学で講演

2003年05月01日 23時11分更新

文● 編集部

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(独)産業技術総合研究所と(特)フリーソフトウェアイニシアティブの招きで来日した、米Free Software Foundation代表のRichard M.Stallman氏が、25日、立教大学で“The Free Software Movement and the GNU/Linux Operating System(フリーソフトウェアとGNU/Linuxオペレーティングシステム)”と題する講演を行なった。講演ではおよそ3時間にわたり、GNUプロジェクトを始めた経緯から、著作権や特許などの法的、社会的な問題まで熱く語った。ここではその概要を紹介する。

米Free Software Foundation代表のRichard M.Stallman氏
米Free Software Foundation代表のRichard M.Stallman氏

“自由なソフトウェア”と“GNU/Linux”という言葉

Stallman氏が講演全体を通じて特に強調していたことの1つに、用語の問題がある。Stallman氏は、一般に“Linux”といわれている、Linuxカーネルとフリーソフトウェアを組み合わせたLinuxシステムは、GNUのソフトウェアなしには成立しないものであり、“GNU/Linux”と呼ぶべきだとしている。

また、“Free Software”についても、「日本語には“Free”という、自由と無料という2つの意味を持つ言葉ではなく、“自由”という言葉がある。あいまいな“フリーソフトウェア”ではなく“自由なソフトウェア”と呼んでほしい」と主張している。本記事では、Stallman氏の主張に従い、フリーソフトウェアを含むLinuxシステムについては“GNU/Linux”、“フリーソフトウェア”については“自由なソフトウェア”という用語を用いることとする。

GNUプロジェクト開始の経緯

Stallman氏がGNUプロジェクトを始めた直接のきっかけは、MIT(マサチューセッツ工科大学)で勤務していた頃の体験にあるという。同氏が勤務していた当時、MITは「ハッカーの精神に基づいて、コミュニティで知識を共有していた」という。「お互いに『それは何?』と聞けば『これはここのftpサーバにあるよ』といった情報を共有し、ソースを見てプログラムの動作を知ることも、バグを自分で直すこともできた。ソフトウェアは人類の財産であり、私も人類に貢献していると思っていた」そうだ。

ある時、MITはXeroxのレーザープリンタを新規に導入した。「それは毎秒1ページ印刷できるすばらしい機械だった。よく紙詰まりすることを除けばね。ハードウェアの設計が悪かったのだろう。それまでのプリンタもよく紙詰まりしていたから、印刷が終了したときにユーザーにメッセージを表示するシステムを作り、プリンタの前で待たなくていいようにして使っていたんだ。でも、新しいプリンタのドライバはソースコードがなかった。だから、紙詰まりの問題が起きても、私達はそのまま放っておかれることになった」。

その後、CMU(カーネギーメロン大学)がこのプリンタドライバのソースコードを持っていることを聞き、ソースコードのコピーをもらえないかと訪ねたという。しかし「(NDAを結んでいるから)コピーはあげられないと言われた。私は頭に来て、どうしようもなくつらい経験をしたんだ。カーネギーメロンの人は、困っている私達を助けてはくれなかった。多分、立教大学の皆さんが行っても同じように助けてもらえなかっただろう。NDA(機密保持契約)のせいで、私達は被害者になったわけだ」。このときの経験から、プログラミングの倫理的な側面について考えるようになったそうだ。

「ほとんどのプログラマは、自分がNDAにサインするときに、倫理的な背景を考えることはないだろう。だって、『自分がサインしなくても、ほかの誰かがサインすれば同じことだし、仕方がない』と考えるから。でも私は、非常につらい思いをしているので、自分の良心に逆らうことはしたくなかった。自分と同じようなつらい思いを誰かにさせてしまうことはできなかった」。

その後、米Digital EquipmentのPDP-10が1983年に製造が打ち切られ、MITの人工知能研究所で開発された、PDP-10用にアセンブラで書かれたタイムシェアリングOS“ITS”などのリソースはすべて将来のないものになってしまった。そのころはすでに、UNIXなどの近代的なOSはすべてNDAに基づいて配布されており、Stallman氏は「世界は変わってしまっていた」と感じたそうだ。「私はここで、重大な決断をせまられた。世界は変わってしまったことを受け入れて、NDAにサインしてプログラムを作り続けるか、完全にプログラミングをやめてウェイターになるか─ウェイターなら食べるものには困らないから─非常に悩んだんだ。でも、プログラミングは続けたかったし、そのせいで誰かを傷つけたくもなかった」。

悩んだ末、「OS開発者としてのスキルを生かして世界に貢献できる仕事はないかと考えたときに、誰もが自由に使えるコンピュータシステムを作ることが、私の使命ではないかと考えたんだ。そんなことは誰も考えていなかったし、私には十分なスキルもあったからね」と、自由なソフトウェアの開発を始めることを思い立ったそうだ。

自由なソフトウェアのデザインについては「まだ誰も同じことを考えていなかったから、デザインに少し時間をかけることができた。まず、PDP-10のような1つのマシンだけのためにコードを書いても、マシンがなくなると無駄になってしまうから、ポータブルなシステムにしたかった。また、ユーザーは互換性のないシステムは使いたがらないだろうから、広く使われているUNIXと互換性のあるものにしようと考えた」そうだ。次はプロジェクトの名称が問題だ。「なにか面白い、“あれではないこれ”というようなネーミングにしたかったんだ。そこで、“~はUNIXではない(~ is not UNIX)”の~の部分にアルファベットを順番に入れてみて、“GNU”まで来て、これは面白い─英語では“ヌー”は割と面白い意味で使われるから─と思い、これに決めたんだ」。Stallman氏はこのような経緯で決まった“GNU”という名前にはこだわりがあるといい、そのためLinuxシステムについてもGNU/Linuxと呼ぶことにこだわっているのだという。

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