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【LinuxWorld Expo/Tokyo 2002レポート】(その1) 基調講演

2002年05月30日 20時20分更新

文● 阿蘇直樹

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「Linuxイノベーション」をテーマに、「LinuxWorld Expo/Tokyo 2002」が5月29日よりスタートした。基調講演は、「e-Japan時代に於ける、長野県の戦略」と題し、長野県知事の田中康夫氏が行なった。ここではその模様をお伝えする。

開会挨拶-(株)IDGジャパン代表取締役 玉井節朗氏

基調講演に先立って、(株)IDGジャパン代表取締役である玉井節朗氏が挨拶し、Linuxシステムの今後について語った。

(株)IDGジャパン代表取締役 玉井節朗氏
(株)IDGジャパン代表取締役 玉井節朗氏

玉井氏は、日本企業のLinux導入が欧米と比べて進んでいない点を指摘し、Linuxベースのシステムを企業が導入する際の障害として、具体的な事例が足りないことや、OS自体の操作に不安があること、IHV、ISVのサポートに不安がある点などが理由であると語った。一方で、多くの企業にWebサーバなどの用途でLinux導入計画があるとし、2004年までにはサーバ出荷台数でUNIXベースのシステムを上回るとの予測を示して、今後の成長が期待されるとした。

「e-Japan時代に於ける、長野県の戦略」

長野県知事 田中康夫氏
長野県知事 田中康夫氏

「物質主義から脱物質主義へ」

田中氏はまず、長野県のこれまでの県政と、その結果である長野新幹線などのインフラ整備が必ずしも県民の生活を大きく変えたわけではないとし、そういった「物質主義的」な政策ではなく、「脱物質主義的」な政策が必要になるとした。その上で、具体的な取り組みとして、自らが掲げている「脱ダム宣言」や「脱記者クラブ宣言」など、現在の政策を紹介した。

「脱ダム宣言」は、国からの補助金を目当てとした、必ずしも環境保全に役立つわけではないダム建設をやめようというもの。田中氏によると、ダム建設などの公共工事では、実際には補助金のほとんどが大手の建設会社に流れており、地元にはほとんどメリットがない。さらに、長期的に見た場合には、むしろ環境への悪影響が懸念されるものだという。また、「脱記者クラブ宣言」は、独占的な情報発信の場である記者クラブ主催の記者会見を廃止し、記者クラブにこれまで独占的に与えられてきた特権を廃するとともに、記者発表を「すべての表現者」―個人でWebサイトやメールニュースなどを利用して情報発信している人も含む―に解放するとしている。田中氏によれば、公共工事への依存や、記者クラブでの発表に依存する体質は「他律的な社会」であるとし、個々人が自律的に判断する「自律的な社会」が目指されなければならないと語った。

Linux的生きかた

「社会」と対になる言葉は? と田中氏は問う。人によってはそのまま漢字を入れ替えて「会社」であると答える人もいるそうだが、田中氏は「個人」であると考えている。ここで田中氏が想定している「社会」は、同質性に基づいた連帯で構成される「農耕民族型」の社会であるようだが、それに対する「個人」は、いわゆる自立した「市民」を想定していたようだ。従って、「社会=We」と「個人=I」は自己責任の観点から見て対立するものであるという。

田中氏によると、「Linux的な生きかたはIndividualな生きかた」であるという。それはLinuxを利用する場合に、そこに従わなければならないマニュアルがあるのではなく、個々人が自分の裁量で利用し、運用できるということだ。運用者は自分の責任でシステムを管理しなければならないが、それは田中氏のいう「自律的」であることと同義だ。

一方で田中氏は、社会と個人といった二項対立のゼロ・サムのモデルではなく、第3の道が必要であるとも語り、自立した個人が特定の目的のために連合するという「United Individuals」モデルを提唱した。そのために必要なこととして、福祉など自治体のサービスを小規模分散型にし、いつでもどこでも、誰でもが利用可能なものとする「ユビキタス的」なものにすること、農産物などの情報を公開し、責任の所在を明確にする必要があることを挙げ、長野県政においても、産業政策や福祉政策など、自律的で小規模分散型なものとする「脱ハコモノ宣言」を紹介した。また、今後の長野県が目指すものとして、半導体がすべて県内でそろうこと、大容量の通信回線を独自に用意することなどを挙げ、既存の大企業などの「権威」を脱し、正しい意味で「権力」-個々人が合理的に受け入れられる影響力ーを行使する必要があると語った。

そして最後に、Linuxに代表されるオープンソースのモデルが、このような「United Individuals」モデルそのものであると指摘し、それはアメリカ的なものから脱することであり、「分をわきまえる」ことであると語った。そして、二項対立のカウンター的革命ではなく、第3の道であるオルタナティブなものが、これまでの社会にあった壁を破壊するのではなく、いつの間にかとけてなくなるような変化をもたらすようにしたいと語った。

田中氏と玉井氏と「ヤッシー」
田中氏と玉井氏。中央にいるのは田中氏のマスコット「ヤッシー」。

オープンソースコミュニティのガバナンスを考えるときに、そこにいる人々が自覚的に自立した「Individuals」であるということは非常に重要なことであろう。一方で、玉井氏の話の中にあったような、大手企業の先例という「権威」があるからLinuxを利用する、という人々も今後増えてゆくことになると考えられる。日常の生活でも、地方自治体の活動などを通じて人々が自立した「Individuals」としての意識を持つようになることに期待したい。

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