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現地で事件に遭遇した日本人が、事件直後から数日間のネットワーク環境の変化をレポート

米国同時多発テロ その時ネットワークは? ――政府がNew Yorkのバックボーンを災害用に専用化!? 多くの企業がインターネット回線を失う。

2001年09月25日 16時00分更新

文● 『VividCar』編集長永山辰巳

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米国同時多発テロが発生して2週間が過ぎた。発生当時New Yorkのネットワーク状況はどうなったのか? インターネットはすでに社会のインフラとして活用されている。都市が大規模ダメージを受けた際、インターネットはどうなったのか?

事件当日New Yorkに勤務し、事故発生直後からのネットワーク環境の推移を身をもって体験した、輸入車総合自動車Webマガジン『VividCar』編集長永山辰巳氏のレポートをお届けする。

永山辰巳氏プロフィール

1988年 ~ 2000年 日産自動車勤務 2000年 ~ (株)インスピレーション社代表取締役 2001年 ~ VividCar 編集長

永山氏によるVividCar紹介

VividCar

日本初の輸入車総合自動車Webマガジン。

著名な執筆者を揃え、月刊誌レベルの情報提供を日々発行しています。 Webの構造を徹底的に考え直しWebコンポーネントと意味構造でポータル設計がなされています。

慣れてくると、とても情報から情報への移動がスムーズになります。

現在、この編集システムを個人の方々に提供し、1万人でつくるVividCarを考えています。それは、まるでリアルタイムWebパブリッシングの実現であり、個人の環境を全体の環境の中に最適化するという新しいホームページの概念を提供します。ご期待ください。

2度目の長期滞在で事件に遭遇

すでに初秋の香りのするニューヨークで、私は、今年二度目の長期滞在をすることとなった。

ニューヨークのホテル代は、とても高く、各安の月極めのアパートなどを探していたら、仕事先の好意で役員用のアパートを貸して頂けることになった。場所はウオール街の裏手にあり、世界の金融の中心地だ。だが夜はむしろ人気の無い寂しい街になる。

11日、その日もいつもと変らずに出勤の準備をしていた。と、ドーンとやや長い爆発音と次に襲ってきた衝撃波。ただの事故じゃないと直感したが、ガス爆発かなにかだろうと思い通りにでた。ここから3時間の信じがたい体験へと踏み出してしまうのだが、その詳しい記事は、VividCarの私のページ、 http:// www.vividcar.com/1.0/garage/ tatsumi/をご覧になっていただきたい。

12日、テロの次の日だが朝からオフィスで外へのネットワークが使えない。テロ当日は夕方まで使えていたのだが……。

11日

災害当日、外へのネットワークは正常だった。午後からWTCビルへの旅客機の激突のシーンが、各ニュース系サイトからムービーデータで流れて、オフィス中の人間が釘付け状態となる。それも夕方になると、人々がホームムービーで目撃した映像が、いろんなサイトにアップされさまざまな角度からの衝撃映像がどんどん増えてきた。

オフィスでは終日その映像の話題で持ち切りで、わずか数キロ先で起ったことだが、むしろインターネットのほうが臨場感があることにあらためて驚くことになる。

私もいろいろ考えあぐねた末、VividCarの編集システムにログインして、ニューヨークから直接目撃記事を書くことにした。

12日

朝、出社するとネットワークが使えず、社内的なトラブルかと思い担当が調査するが、結局外との繋がりがだめだということが午後になり分かる。社内の電話は正常なので、アナログモデムでダイアルアップ接続を試みるが社内の電話網がデジタルなので使えない。アナログ回線を引き出すのに担当は1時間もバックヤードで格闘していた。

結局アナログ回線で繋ぎながら日本との仕事をこなした。

13日

今日も復旧しない。未確認の話で、政府がNYCのバックボーンを災害用に専用化したとの噂が流れる。

14日

契約している回線業者から当面回復しないとの連絡。これは政府の緊急処置だと回答があり、別の方法での接続には対応出来ないと言われ、社内は激怒する。

15日

別の会社の人達も同じ状況であることがはっきりとする。だが同じコンピュータ業界でもネットワークに対するビジネスの依存度は各社違っていて、この政府の処置に関して反応がさまざまであることが分かった。また日系のネットワーク関係会社に問い合わせてみると、もともとNYCは回線がパンク気味だった。そこへきてあの災害で何回線か失い、回線状況が極めてクリティカルになり、非常処置として政府と軍がバックボーンを占有化したらしいとの談話。

17日

友人からの情報で、NYCへのアクセスがパンクしており、実は災害の当日には政府が世界中のインターネット管理者に対し、非常処置としてリルートを依頼したことを知る。ムービー等のデータを個人サイトから大量に放送されたことで問題を深刻化させたんじゃないかと話し合った。

18日

現在、まったく状況は変っていない。ワイアレスなどを使いどうにか外部との接続を考えると言っているが、皆は諦めている。

永山氏の考察

阪神神戸地震において災害時のインターネットの有効性は確認済で、その後も世界のインターネット技術者は災害時のアプリケーションを検討した。私も実は自動車会社にいてサンダーバード計画を提案した。実現はしなかったが、サンダーバード1号、2号といったコンセプトを実際にクルマで造り上げ、災害地、被災地へ逸早く到着して、器材、衛星アクセス、データ観測など行ない、回線の回復だけでなくその後の分散化に対しても考えを巡らせたことがことがある。

今回のNYCでのテロ事件では、事件の衝撃性からして、多数のホームムービがサイトにアップされ、それを世界中の人間が見に来てしまうことは、避けられなかったと思う。実際、夕方遅くにはまったく回線が機能しなくなり始めていたという。事件後のジュリアーニ市長へのインタビューでも、携帯電話を含めて災害時の通信網をNYCはどう考えているのか? などといった質問が突きつけられている。インターネットだけではなく、災害時の通信網は、ことメディアが世界中に浸透している状況だけにより深刻化している。

コンピュータネットワークの基本的な技術指針である分散処理設計は、ハード、ソフト、ネットワークのすべてに及んで重要な案件だが、Webの時代を迎えて早10年、いまだにこれといった問題解決がなされていないのが現実だろう。
むしろ対処療法の繰り返しだ。従って、今回の事件(政府と軍がバックボーンを占有化)は、状況的に避けれれないこととなってしまった。むしろ別の意味では、Webの時代は集中化を産み出しているので、80年代半ばから90年代初頭に開発が進められた分散技術は、退化したのではないかと思えてしまう。

NYCと政府、軍がどれだけ今後を考えているかは知るよしもないし、単に回線の確保だけでなく、インターネットテロを恐れてのことなのかもしれない。だが現状多くの企業がインターネット回線を失っている状況下で、エンドユーザからみれば、政府や市は、ある程度NYCから外へ逃げてほしいと思っている節すら見える。多くのデベロッパーや、金融、そしてユーザー達にだ。

我々ユーザは、当然ながら災害やトラブルに対して善後策を持っているが、政治、金融の中心地が狙われたらどうなるか、そしてそのためのバックアップに対して何を考えなければならないかが今回の一件で明らかになったと思う。

たぶん、ネットワークやOSレベル、そしてオブジェクトレベルで何かをどうしようと考えるよりも、一斉にNYCから離れて同じような機能を保てる場所に避難し、平常化するというのが今のところの解決策ではないのか。これでは一昔前のホストと同じ発想になってしまうのだが。

今後のNYCの復興はその意味で重要なモデルだと思われる。

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