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【COMMENT】「KDD研究所のフィルタリングソフトに疑問あり」と編集プロダクション代表が主張

1999年05月10日 00時00分更新

文● 土屋 勝 

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編集プロダクション、(株)エルデ代表取締役の土屋勝氏が、「KDD研究所のフィルタリングソフト『HazardShield』に疑問あり」と主張している。土屋勝氏の寄稿をお届けする。

アダルトでもないのにフィルタリングされる

先日、(株)KDD研究所が“アダルトコンテンツなどの青少年には好ましくないと思われるコンテンツへのアクセスを禁止するフィルタリングソフトウェア”『HazardShield』をリリースし、その体験版をウェブ上で公開している(URLを末記した)。

この製品は「好ましくないと考えられるURLをURLリストに登録しておき、この登録されたURLへのアクセス要求を禁止する処理(URLチェック処理)と、URLリストを通過したコンテンツに対してはコンテンツ内の単語・語句から有害性を判定する処理(コンテンツチェック処理)とを組み合わせてフィルタリングを行っています。コンテンツチェック処理では、統計的手法に基づいた有害性判定手法を用いることで、高いフィルタリング性能を達成しています」ということになっている。

公開されてさっそく、いくつかのURLを入力して試してみたのだが、驚くべきことが起きた。ぼくが運営しているメイプルソープ裁判関連のウェブにある「関係法令条文」、「FLMASK作者の不当逮捕に抗議する」、「Kさんの拘留事由書」がブロックされてしまったのである。

もちろん、これらのページにはアダルトコンテンツも、青少年に有害なコンテンツも含まれていない。関係法令条文にいたっては、日本国憲法21条【集会・結社・表現の自由、通信の秘密】、関税定率法21条【輸入禁制品】、刑法175条【わいせつ文書頒布等】、電気通信事業法3条【検閲の禁止】、同4条【秘密の保護】の条文が掲載されているだけである。

“有害”(?)な言葉を羅列しても通る

また、有害サイトとして登録されてしまうと、これまたどのような内容であってもブロックされる。 たとえば、遊撃インターネットに掲載されている“在ペルー大使公邸占拠事件クロノロジー”は、外務省対策本部作成の資料を基本とした事実経過資料なのだが、アクセスすることができない。

その後、数日して自分のサイトチェックしてみると、今度は無事にアクセスできた。どうやら、KDD研究所ではブロックされたURLをチェックし、処理プログラムに手を加えているらしいのだ。ところが、逆にどんなに有害(?)な単語ばかりのコンテンツを作ってもブロックされない。「美少女レイプ裏ビデオ」、「顔面シャワー」、「フェラシーン」などいったおぞましい文字だらけでも大丈夫。

いったい、このフィルタリングソフトは何なのだろう。

そもそも、単語の並びを分析して有害かどうか判断するというが、「ロリコンビデオ規制反対」と「ロリコンビデオ規制賛成」と「ロリコンビデオ規制の動き」をどう区別するのだろうか。

フィルタリングソフトが入ると判断停止になる

ぼく(土屋)自身、ロバート・メイプルソープの写真集持ち込みをめぐって6年近く国と裁判をやってきたのだが、最高裁判決では5人の裁判官のうち2人が「取締りは違法」という意見を出している。性器がはっきりと写っている写真集についても、わいせつかどうか、輸入を認めるかどうかについて判断が分かれているのだ。それをコンピューターに自動判断させるのは不可能である。プログラムの出来不出来、精度の問題ではないのだ。

フィルタリングソフトの恐いところは、規制された先を“チラ”とも見ることができなくなってしまう、つまり判断停止をやむなくされるというところにある。もしも、こんなシステムが一般のプロバイダーに導入されることになれば、かなり恐ろしい状況となるだろう。

HTMLの規格などについて標準化を進めるW3Cでは、フィルタリングなどウェブのアクセス規制を行なうレーティングについて、「世界の多様性をユーザーが享受することを妨げず、フィルターの基準について透明性をもち、規制されることについて説明責任をはたす」という声明を出している。

臭いものに蓋をするのが教育か

簡単にいうと
●フィルタリングやラベリングが表現の抑圧につながったり、多様な意見・コンテンツへのバリアーとなってはいけない
●レーティングの基準を開示し、コンテンツ作成者は自分のサイトがレーティングされているか調べることができ、誤っていれば訂正要求をだせる
●ユーザーはフィルターの基準、システム設定の情報に容易にアクセスできるべき
--というもの。

『HazardShield』は、上の3項目のいずれも満たしていない。むしろ多様性を妨げ、透明性がなく、説明責任を果たしていない。これは技術的に未熟だとか統計処理上の限界などといって逃げられるものではないのだ。製品設計思想が別の方向を向いている。

確かに、インターネットにはアダルト表現、暴力表現、犯罪の手引き、ネズミ講、カルトなどの情報が少なくない。だが、それをフィルタリングすることで子どもたちの前から“世界にないもの”として葬ることができるだろうか。臭いものに蓋をし、思考停止に逃げ込むことは、教育でもなんでもない。社会と向き合って、どう判断すべきかを考えていく、付き合い方を体験していくことが教育であり、その手助けをするのが教師ではないのだろうか。

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