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【INTERVIEW】規模より質を求め、北の空にさやかに光れる星影1つ--ビー・ユー・ジーの若生英雅社長に聞く

1999年04月09日 00時00分更新

文● 聞き手、文:尽田 万策

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札幌市やその近郊は、'80年代前半から、パソコン、通信、ゲームなどを業務分野としたソフトハウスを輩出し続けた、コンテンツ先進地域である。現在、日本各地に増えているリサーチパークの類のはしりでもある。月並みな解説ではあるが、北海道大学という技術の源泉と、クラーク博士の言葉に典型的にあらわれる進取の気性とが響き合った結果といえるだろう。

札幌郊外の森の中にそびえるビー・ユー・ジー社屋
札幌郊外の森の中にそびえるビー・ユー・ジー社屋



ビー・ユー・ジーは、そうした企業群の先頭を切った老舗である。'77年の秋に個人経営の形で創業、'80年秋に株式会社ビー・ユー・ジーとして設立された。北海道大学の電子工学の教員や学生を中心に'76年夏に発足した“北海道マイクロコンピュータ研究会”が母体となった。同研究会の3回目の会合からは、ビー・ユー・ジーの前社長である服部氏や今回インタビューした若生氏が参加している。

建設や酪農経営に、かげりが見える今日、情報通信産業は、北海道の経済を復興するキーだといえる。北海道のベンチャーの星、ビー・ユー・ジーの若生英雅社長に、現状と展望についてうかがった。


ISDN TAの『MN128』を普及機と高級機の2本立てに

--社長就任後、2年弱の振り返りなどについては、後でお聞きしましょう。20年前の創業からの数年間に開発されたシステムには、計測、遠隔制御、画像処理といったものが多いですね。現在主力のISDN回線用TA『MN128』についても、印刷会社で使っている例を多く耳にしますから、広い意味でその路線上にあると認識しています。MN128の現状をどう捉えておられますか?

ビー・ユー・ジーの若生英雅社長
ビー・ユー・ジーの若生英雅社長



「当社にとって恵まれていたことは、受注ベースの業務の中で研究開発を進められたことです。アフターファイブの時間の中で、それぞれのテーマや遊び心に基づいた研究プロジェクトを進めるといったことも可能でした。そうした中から社内に技術シーズが生まれ、それが社外のニーズとうまくマッチしたときに、魅力的な製品として市場に投入できました」

「'94年に発売したISDNターミナルアダプターの『LinkBoy』からMN128に至るまでのネットワーク関連製品は、そうした環境の中から生まれたと認識しています」

数名ずつのプロジェクトですべてまかなう

--MN128の今後の開発戦略についてお聞かせください。

「最近、家庭におけるホームメディアサーバーの主導権をめぐる動きが賑やかです。MN128の将来像に思いをいたすとき、最終的にそうした方向性はもちろん考えています。しかし、これまでそうしたうたい文句で発売された商品で、成功したものが1つもないのも事実です。当然のことながら、商品がヒットするためには、市場環境の成熟度が必要です。現在はまだホームメディアサーバー(?)なるものが求められている状況ではありません」

「3年先のビジネスモデルよりも、今そこにある市場に対して半年先の姿を提示する商品を出すことが大事だと考えています。ただ、家庭におけるターミナルアダプターの需要は十分に育ってきています。MN128に関しては、より低価格で扱いやすいタイプと、より高機能で特化したタイプの2本立てにすることを考えているので、ユーザーの皆さんには期待していただきたいと思います」

--MN128にこだわらず、今後のビーユージー全体に範囲を広げると、開発戦略について、どうお考えでしょうか?

「基本的にこれまで同様、システムソリューション、ソフトウェア、ファームウェア、ハードウェアの4本を開発の柱として、バランス良く資源を配分します。戦略的にどこか一ヵ所に集中するような、大規模な開発体制は考えていません」

オフィス内の吹き抜けのような風通しのよさが信条。数名のプロジェクトチームで迅速に動く
オフィス内の吹き抜けのような風通しのよさが信条。数名のプロジェクトチームで迅速に動く



「というのも伝統的にビーユージーでは、SE、プログラム、コーディングなどの個々の業務を分散せずに、5名程度のプロジェクトチームですべてまかなうという体制で開発を進めてきたからです。これは一見、非効率的なように思われるかもしれません。しかし、技術屋あるいは職人的な集団の中に技術蓄積を図るにはこの方がベターであり、今後もそれを大事にしていきたいと考えます」

--収益の源泉となる分野は、特に変わらないのでしょうか?

「これまで培ってきた、テキストと画像の処理技術をデータベースで統合する印刷関連分野、ハードウェアの開発を含めた映像処理分野、ネットワーク関連分野、そしてそれらを総合的に請け負うソリューション分野をより強固にします。それとともに、同一プロトコル(現段階ではIP)ですべてのコンテンツ形式を扱うマルチプラットフォーム分野を開拓していきたいと考えています」

規模ではなく質の向上を追い続ける

--'97年7月に社長に就任されてから、2年弱、経ちました。最近の業績は、いかがですか?

「 売り上げは、'97年度が約49億円、'98年度が約63億円、'99年度が見込みで約50億と推移しています。(赤字は絶対出したくありませんが)経営年度にまたがるプロジェクトも多く、年度ごとの売り上げはあまり気にしていません。そもそも、環境変化が著しい情報通信の世界で、過去を振り返るのは、あまり意味がないと考えます」

--'80年10月に設立してから、かれこれ20年近くですね。

「ビー・ユー・ジーを設立してから、20年経過しました。しかし、現在の会社の状況について、成功したとは、まったく思ってなくて、むしろ何とか生き延びてきたという感じです。ただしそれは、会社の売り上げや従業員規模に照らして言っているのではありません。実際、20年かけて120名という会社規模は、この業界では恐ろしく歩みののろい部類になります」

創業20年といっても、学生のときに起業しているから若い。4月21日に43歳になる若生社長
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--規模を大きくしようとして、経営してきたのではないが、規模ではなく、まだ足りないところがあるとおっしゃるのですね?

「ビー・ユー・ジーの基本コンセプトは“モノ作り”と“きっちりした仕事”の2点です。良いもの作りができて、それが社員と顧客の満足度につながります。それがビー・ユー・ジーの社是である“Success is Mutual”であり、その観点から、まだまだやるべきことがたくさんあると思っています」

人材育成にエネルギーを注ぐ

--社長に就任して、現在一番力を入れていることは何でしょうか?

「 今の自分に課せられた最大のテーマは、顧客が求めるニーズに対して確実に応えられる“組織作り”と“事業の継続”と考えています。そして、そのために最も力を入れているのが、中堅社員に対するモチベーション教育です。教育といっても特別なカリキュラムを用意しているわけではありません。“これから10年間のあなたのキャリアプランをどう考えているか?”といったように、社員に常に自覚を促すように日々働き掛けています」

「いわゆる社長としてのマネージメントには、2割程度しか時間を割いていないぐらいです。企業にとって人材が最も重要であり、個々の社員が自分をモチベートして、その中から次代を担う人材が育っていくことを目指しています」

--そもそも北大の方が中心になって創業したという経緯がありました。いまでも、北海道出身の方が多いのでしょうか?

「現在120名のうち、約90名がエンジニアで、その内の6、7割は道内大学の卒業者です。それに北海道出身のUターン者も含めると人材の9割程度を地域に依存しています。しかし別に、北海道に固執しているわけではありません。採用にかかる手間やコストを考慮すると結果的にそうなっているということで、優秀な人材であればもちろん出身地は問いません」

ビー・ユー・ジーの社屋。都ぞ弥生の雲紫に・・・。モダンと自然の溶け合う石狩の大地そのものが人を呼ぶのか
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--店頭公開の予定はありますか?

「よく、何年何月に店頭公開を目指すといった経営者の言葉を聞きます。しかし、株式の公開という本来手段であるはずの部分が、往々にして、事業の目的となってしまうようです。当社はそういう文化の企業ではないし、身の丈の範囲で背伸びをしたいと考えます。将来、資金計画の中で、株式公開という金融手法がベターであれば、そのとき合理的に判断すればよいと思っています」

「おかげさまで、社長交代による顧客との関係悪化や社内的な混乱もなく、乗り越えることができました。それも、社員に共通する“モノ作り”への愛着と、その結果が正当に評価されていることの証だと考えています」

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