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デジタルデザインに続け!、設立4年、寺井和彦社長が語る、ナスダック上場への道程 ――第5回iMedioサロンより

2000年08月07日 23時24分更新

文● 服部貴美子 hattori@ixicorp.com

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去る8月5日に、ソフト産業プラザiMedio(イメディオ)の主催するiMedioサロンが開催された。今回のサロンは、本施設の入居企業でもある(株)デジタルデザインの寺井和彦社長を講師に迎えた5回目にあたるもの。会社創立から今年6月の“ナスダックジャパン”上場までの道程を中心に、これから上場を目指すベンチャー経営者たちに向けて、熱いメッセージを語ってもらおうという趣向である。会場は、大阪・南港WTC20Fにあるソフト産業プラザMADO・プレゼンテーションルーム。

iMedio は、デジタルコンテンツやネットワーク技術を活用するベンチャーを支援する施設として、昨年4月にオープンした。主催するセミナーや講演会には、経営者のみならず、学生や監査法人の参加も目立つ。
司会は、iMedioの下江裕子氏
(財)大阪都市型産業振興センターの鳥岩誠治専務理事も挨拶にかけつけた。同財団は、大阪市と産・学・官の産業振興関係機関が協力して設立。iMedioに続き、来年1月の“大阪産業創造館”の開設準備にもあたっている

大企業では実現しにくい“オリジナリティー”を追求

'84年CSKに入社した寺井氏は現在38歳。約12年間にわたってSI業界での経験を積み、'96年に仲間4名が力を合わせて、(株)デジタルデザインを設立した。サラリーマン時代は、管理部門の業務を経験した後、システム開発の新規顧客開拓を担当する辣腕営業マンだった。

寺井氏は、ジャストシステムやアキアといった実名を挙げながら「日本の製品やビジネスは、欧米から入ってきたものをアレンジし、使えなくなったらおしまいというものがほとんど。一時的にうまくいっても、長続きはしない」と説明。創業時から現在にいたるまで、常に“オリジナルな製品・サービス”が目標であったと述べた。

ダウンサイジングの流れで、あっという間に汎用機の技術が影をひそめてしまったように、明日のことは分からないのがIT業界の常。そのことを経験で知っている寺井氏は、「朝の9時から夕方6時までは翌月の給料を捻出するための仕事をして、それから後は、好きなことを必死でやった」と、徹夜続きの創業1年目を振り返った。

話題になっても利益はでない、技術はあっても仕事はこない

'96年4月に発表した“インターネット個展”は、面白いほど新聞各誌にも採用されたが、「売上はわずかに50数万円。しかも問い合わせの対応に、大きな時間と労力を費やした」と、話題が先行するばかり。同年の秋には、東京からリクルートのインターネット事業スタッフが訪れるが、人員といい予算といい、ケタ違いのスケールをみせつけられ「同じ土俵で戦うのは無理」と痛感した。

2年目に入り、社員も10名前後に増えていたが「このままでは、(辞めた)CSKに勝てない、寺井についていって大丈夫か?――という不安がスタッフから伝わってきて……」プレッシャーを感じつつ奮起。赤字も勉強という覚悟でウェブコンピューティングの案件に着手し始めたことが、'96年11月の日本オラクルとの出会いにつながった。

「当社には、マルチデータベース対応のコネクターを作る技術はあっても、販売する力はなかった。オラクルは打倒マイクロソフトを考えて日本全国数百社を行脚(あんぎゃ)していたそうですが、技術を提供する代わりにマーケティングの面でバックアップしてもらうことになりました」

Linuxに対応したデータベース接続ミドルウェア“ファーストコネクター”は、データベースとの接続時間を、最大10分の1までに短縮する通信用のソフトウェアである。'98年には、CSK経由でNTTの全社システムに採用され、年末には阪急百貨店への大規模案件も受注。「日本では取引の前に、“まず実績ありき”という慣習があった」との悩みも、次第に解消されていった。

公的施設への入居と株式上場で信用力がアップ!

受注の伸びとともにスタッフも増え、事業所が手狭になってが、キャッシュがなければ大きなテナントには入れない。そこで、大阪市が母体となっているiMedioへの入居を決定。「大企業を辞めて独立したら、相手の対応が違うどころか、会ってもくれないところが多くて愕然とした。しかし、大阪市の審査をくぐった企業という看板が助けてくれた」

さらに、2000年度決算での株式公開を目標に掲げた理由について、「案件が大きいほど、資金回収に時間がかかり、手元資金のやりくりは難しくなっていた。一方、製品は生モノだから、実現へのスピードが大切という先輩の進言もあり、オープンソースの夜明けとなるであろう2000年に事業の器を作っておきたかった」と語った。当時は、ベンチャーキャピタルが日参し「億単位の小切手をおいていく人もいた」が、株主重視の観点からすべての申し入れを断ったとか。

上場審査について、寺井氏は「知識だけでなく、経験も必要。それから、ナスダックジャパンだったからということもあるでしょうが、IT業界なら語学力は必要です」と、公的な場でのコメントの難しさを述べ、制作から配布までに半年近くかかってしまう“目論見書”の作成は「ビジネスモデルの変化が早い業種なのに、後から変更できないのが辛かった」と苦労話もチラリ。昨年11月から公開までの短期間に「営業8名、管理4名のスタッフも配置しました。以前はどちらも私が兼任していたのですが」と、組織そのものが生まれ変わった様子を生々しく語った。

 

また、「自分の意志というよりも、周りの力でIPOを考えてしまう若い経営者もいるのでは? 主幹事証券と上手につきあえば公開はできるだろうが、コストと労力も必要なので、本当に直接金融での資金調達が必要なビジネスモデルかどうか、いま一度考え直してみて欲しい」と、IT銘柄の狂乱相場についての辛口なコメントもあった。さらに、P.I.Mやインフォキャストの事例を評価し、「これからは、M&AもIPOと並ぶ経営戦略になるだろう」と述べた。

寺井氏は、「上場して最も大きく変化したことは、認知度。大会社からアライアンスの申し込みが舞い込むようになり、ビジネスチャンスが格段に増えた。ただし、営業に行っても公開のことばかり質問されるので、やりにくい」と苦笑い。これからは、そのチャンスを売上に変えていく努力をすべき時期に来たといえるだろう。

会場は、150名の定員いっぱいの盛況ぶり。講演の後の懇親会には、3倍を超える競争率をくぐりぬけ、iMedioの第2期募集での入居を決めた16社のスタッフも顔をみせていた。1期目の入居企業と合わせた30のベンチャー企業の中から、デジタルデザインに続く上場企業が生まれるだろうか!?

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