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【年始特別対談 Linux編 Vol.2】求められるのは、顔が見えるサポートビジネス--Oracle 8 for Linuxの次に来るLinuxビジネスは?

2000年01月05日 00時00分更新

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対談のVol.1では、'99年にLinuxがブレイクしてきた過程と理由に焦点が当てられた。今回のVol.2では、日本オラクルが切り開いたLinuxビジネスの光明、そして今後のLinuxビジネスに求められる要素について、企業とコミュニティーの両面から意見が続出。Linuxビジネスに欠けているものは? そこに潜むチャンスはどういうモノなのか?

<対談参加者>

風穴江氏(Linux Japan編集長)
佐渡秀治氏(金沢経済大学、日本Linux協会理事)
鈴木大輔氏(日本SGI(株)、日本Linux協会理事、Project Vine代表)
宮原徹氏(日本オラクル(株))
やまだあきら氏(日本SGI(株)、日本Linux協会理事)
吉岡弘隆氏(日本オラクル(株))

大きくなったLinuxユーザーの三角形、だが頂点と底辺ばかりで中間がない

編集部「Linuxの普及を求めるというのは、ユーザー=お客さんがたくさんいてくれる状況が望ましいわけですよね。たとえば、Windowsを使っている人は世の中にいくらでもいて、でも Windowsのコードがどうしたとか、レジストリーがどうしたなどとわかっている人はごく一部で、普通のユーザーは単に使っているだけです。それでWindowsにお金を出してくれる人はたくさんいるから商売になる」

「Linuxが普及するということは、“Linuxのコードのことなんて全然知らないけど、安定してるっていうから使ってるんだよ”というお客さんがたくさん増えていくことを、Linuxのコミュニティーの人とかは望んでいるんでしょうか ?」


やまだ「そのへん、お金のかわりに口を出すということでも、それはそれでいいんじゃないかという気はするけど。コードがどうこうじゃなくて、“使いにくいよ、こうしてよ”って言ってくれれば、それはそれでやっぱりうれしいかな」

鈴木「だから、それはお客さんじゃない。“何これ、使えない”って言ってくれるのがお客さん。“何これ、使えない、こうなるといいのに”って言ってくれるのはありがたい。コードを書けとは言ってない」

やまだ「書いてくれれば、それはうれしいけど」

鈴木「こういうのがほしいっていう要望を出してくれるのはありがたい」

宮原「何かを言う人っていうのは1人じゃなくてもいいと思うんですよ。全然わかってない人が、ちょっとわかってる人に言って、さらにそれがポップアップしていってというふうに」

「ただ3月というのは、頂点の辺りにいる狭い三角形のところと、一番下の底辺のところだけで(笑)、中間がほとんど存在しない状態。とりあえず大枠としてはこれぐらいになりそうだなとという大きな三角形は見えたんだけど、中間が抜けているんですよ」

鈴木「8年前にこういう三角形ができて、それから3~4年間このままで来て。いきなりボーンとここ1年で大きくなって」

日本Linux協会理事の鈴木大輔氏。日本SGIでもLinuxを担当しているが、JLAにはProject Vineのメンバーとして関わっている日本Linux協会理事の鈴木大輔氏。日本SGIでもLinuxを担当しているが、JLAにはProject Vineのメンバーとして関わっている



編集部「頂点は昔からあったわけですよね」

鈴木「頂点は、昔から使っているこの辺にいた人たち。で、ずっと使っているとだんだんわかってきて」

編集部「上に上がってきますよね」

宮原「でも、中間に相当している人が全然できないで。利用したいって思う(底辺の)人たちが、突然ガーンとこういうふうにできた」

鈴木「で、間が生まれなくて」

やまだ「ギャップはしょうがないよ、悪い意味ではね」

予備知識ゼロの参加者が続々--3月のLinuxWorld

宮原「今までのモデルだと、まず頂点はパートナーに対して“うちが持っているものをこういうふうに提供しろ”って言って、さらにこの下にいって、最終的な利用者にたどりつくんだけど。作ってて使ってる人たちと、ただ使いたい人だけがいるっていう、中間のない状態が3月にできた」

編集部「ただ使っている人たちというのは、歓迎されざる客なんですか?」

鈴木「いや、全然そんなことはない」

編集部「そういう人はたくさん増えてほしいわけですよね」

やまだ「それは一つのあり方として、それを否定しちゃうと」

宮原「“よくわかんないけど使いたい”って思わせるものができるっていうのは、すごいいいことなんです」

佐渡「結局3月のLinuxWorldっていうは、そこまで考えなくちゃいけないという時期にもういっちゃってるというのが」

宮原「もうあからさま、混み方でポテンシャルを見せつけられたという」

佐渡「本当に見せつけられてますよね。カンファレンスのほかのセッションだと、裾野を広げるという目的でやってるからそこまでは見えなかったんですけど、BOFだとね。BOFっていうのは、テクニカルなことをわかってるヤツだけで話しあうっていういうスタンスでいたんだけど。それでも、情報収集したいっていうことでやってきて、よくわからないなりにもずっとボケーッと聞いている」

宮原「あれだけ人がたくさん来てるんだとしたら、やっぱり真剣にやらなきゃいけないのかなと思わされちゃうじゃないですか。考えなきゃいけないなと」

編集部「それまでは真剣じゃなかったってことではないですよね」

佐渡「やっぱり3月の時点では、そこまで考えてませんよね」

やまだ「それまでは、しゃべる側もお互いにやり取りしながらだったから。準備しっかりして、資料をちゃんと作って、要するにプレゼンテーションとしての作業っていうのは……」

鈴木「それが必要だとは思ってなかった。相手がそんなものを望んでるとは思ってなかった」

やまだ「材料を持っていて、受け答え、やり取りができるような状態にはもちろんしていくんだけど、ショーではないから。“こうやって見せていって”というのとはちょっと種類が違ったはずだったんだけど」

編集部「それまでは予備知識ゼロの人を対象にした話し方は含まれていなかったわけですね」

宮原「テクニカルタームとかね。パッケージとか」

佐渡「だからそういうのを BOFという枠でくくっても、それだけの人が、そういう人たちが来てしまうという状況もあると考えざるを得ない」

鈴木「たとえ文句をダーッと言われても、言ってくれるだけいい。何もしないで聞いている人っていうのがイッパイいるとは思ってなかった」

宮原「だから3月のLinuxWorldは、間違いなくビッグバンだった」

前座だったはずのLinuxWorldが大ブレイク !

編集部「LinuxWorldがターニングポイントだと」

佐渡「それを肯定的に考えれば、そこで爆発的に裾野が広がってという証拠にはなるので。そこでとにかくLinuxを、ビジネスとかを立ち上げる、立ち上がってくるような気配は感じてしまう」

吉岡「3月のLinuxWorldっていうのは、量がね、質を転換しちゃったわけです。域地を越えちゃって、なんか新しいことが始まったと。それが3月のときにね、量を取れると言ってたのは、宮原さんぐらいでね、それは少数意見だったと思いますよ、LinuxWorldがあれだけ活況を呈するっていうのはね」

宮原「ボクは完全に狙ってましたね。まあ、10大ニュースの中で『Oracle 8 for Linux』出荷というのが入っているんですけど、出荷日を3月18日に合わせたんです。まちがいなくこのLinuxWorldがターニングポイントでビッグバンになるからということで、その日に出荷したんですよ」

編集部「なるほど」

宮原「というのは出荷しようと思えば3月1日にも出荷できたんですね。がんばれば2月中にも出荷できたんです。けど、間違いなくここが、Linuxビジネスのスターティングポイントに必ずなると信じてたので、賭けですけどね、一種の」

編集部「それが見事に当たったと」

宮原「必ずなるからというので、ゴールドスポンサーで、ちょっとねじ込んで、オラクルの話も30分させてもらって」

佐渡「一応、予測はしてたんですよ。そこまでいくという予測はしてたんだけど、確信は持てなかった」

宮原「確信を持てる人はいないよね」

佐渡「LinuxWorldは、一番最初に話がきたのはボクのほうだったんだけど、ボクはそのころLC98のほうに関わってたんですけど、それでも漠然とした数字は浮かんできても確信は持てないというところでね。それでIDGのほうは、“日本で初めてやるんだから、それなりに成功させないといけないよね”っていう感覚は伝わってきてたので。いろいろ確信はあったけど、今思うとうまく保険を掛けたいなというのはあったかな」

日本Linux協会理事の佐渡秀治氏。対談中の発言からもわかるように、JLAにおける“イベント屋”的な存在。Linux関連イベントの裏側には、必ず佐渡氏が関わっているといっても過言ではない日本Linux協会理事の佐渡秀治氏。対談中の発言からもわかるように、JLAにおける“イベント屋”的な存在。Linux関連イベントの裏側には、必ず佐渡氏が関わっているといっても過言ではない



宮原「まあ、何しろ3ヵ月空いてたからね、あそこでね」

佐渡「だから、“LinuxWorld Conference”というのと、9月にあったLinuxWorld Expoという、カンファレンスとエキスポという名前の違い。3月にわざわざカンファレンスという名前にしたのは、カンファレンスというので、エキスポの前段階の前座。前座的な集まりにしたかった。あとからすれば、多少保険をかけておくというのがあって」

宮原「展示会場がね、ガラガラじゃつまんないよね」

佐渡「“人が来ないんじゃ、かっこ悪いよね”とかというのがあって、結局うまく保険を掛けて、“人は来るだろうな、来るだろうな”っていうのはあったんだけど、保険を掛けてやってみたら、まあ、保険を掛けなくてもよかったかなという状況ですよね」

大会社の対応がこの1年で多く転換

鈴木「去年は、どこの会社もほとんどやってなかった。Linuxもビジネスになるなんて誰も思ってなかったと思うのね、去年の時点で。だから今年が初めてなの」

やまだ「出版社だけだったよね」

佐渡「すごいせつなかったよ」

やまだ「出版社っていっても、某A社(笑)」

鈴木「出版社っていえばいっぱいあるけど、そういう感じの人もいなかったし。日本でLinuxを商売している会社っていったらCD-ROMを売ってるだけの会社とか」

編集部「ディストリビューターだけだったと?」

鈴木「ディストリビューターとは言えない。CD屋。Red Hatっていう会社がアメリカにいて、それをくっつけて売ってるだけの会社。変な言い方すると、あれだけど」

宮原「言い方、シンプルにすると危険だよね」

鈴木「いや、前はそうだった。で、とても名前の知れている大きな会社があったりしましたが、やってくれそうにも見えなかった」

やまだ「ある種、相手にされなかったりね」

鈴木「そうそう。大きい会社は相手にしてくれなかった」

佐渡「LC98のときはやっぱり、何とかうまく、Internet Weekの実行委員会にいろいろ取り計らってもらって、会場とか押さえてもらって、ほとんどタダ同然でやらせてもらったんですけど、それでもいろいろ経費がかかるんですよ」

「それで、そのわずかな金を何とか工面するようにスポンサーを集めようとして、いくつもの会社を歩いて回ったわけですよ。宮原さんとこ(日本オラクル)は、まだわりかし対応はよかったんですけど」

宮原「うちはね」

編集部「そのいくつかの会社というのは、今、この時点ではLinuxビジネスをやっているわけですね?」

佐渡「やってるんですよ(苦笑)」

宮原「じゃあ、イニシャルトークで(笑)」

佐渡「イニシャル言えばわかるような会社ですから(笑)」

宮原「それって10月ぐらいでしょう、去年の」

佐渡「10月ですね。10月と11月」

宮原「それはもう、年明けてからとの温度差は、推して知るべしであって」

編集部「そういう会社が、Linuxビジネスに入ってきたのは3月よりあとのことですか?」

佐渡「いや、そのときは入ってましたよ。入ってましたけど、本格的にやろうとはしなかった」

鈴木「でも、本当に、本格的に本腰入れてやってるかって言われると。Linuxでメシが食えると思って入れるような会社は、今いる会社のほかに、あんまり見えなかった」

佐野社長の“ツルの一声”で日本オラクルがスパーク

吉岡「少なくとも、日本でのプレゼンスを高めたというのは日本オラクルが、1月に『Oracle 8』を発表してね、3月にLinux対応版をやって、佐野社長がスゴイなんか花火打ち上げてね」

宮原「NTを駆逐するとか言ってましたけど(笑)」

吉岡「それはやっぱりエポックメーキングだと言わざるを得ないと思うんですよ。で、佐野さんが言うと、日本のハードベンダーの大手に対して、ある程度マイクロソフトともう一つっていうカウンターっていうところで、そこはやっぱりビジネスに関してはけっこうインパクトあったと思うんですね。日本で一番、花火を打ち上げていたのはやっぱり宮原さんの部隊なんですよ、どう考えても」

宮原「たとえば3月にアメリカ行ったときに、カルデラがプレゼンテーションしていたけど、アメリカにおいても“ なぜLinuxをビジネスで使わないんですか?”っていうのに対して、“著名なアプリケーションがLinuxで動かないから”っていうのがアメリカでもやっぱり言われていたんです」

日本オラクル(株)でLinux事業推進を担当する宮原徹氏。『Oracle 8 for Linux』の伝道師とも呼ぶべき存在だ日本オラクル(株)でLinux事業推進を担当する宮原徹氏。『Oracle 8 for Linux』の伝道師とも呼ぶべき存在だ



「たまたま偶然にも5年ぐらい前に日本オラクルっていう会社に忍び込んでね、Linuxっておもしろいなと思っていたところに、いいタイミングできたから。もうダイレクトに社長のところに1人で乗り込んでいって、“やらなきゃダメですよー”ってプレゼンして」

吉岡「佐野社長に?」

宮原「それはもう、星の巡りだと自分では思っていましたね。たまたまLinux触ったことあって、かつオラクルって会社にいて、自分でもLinuxでOracleが動いたらおもしろいよねって、開発にいたころに思ったわけですよ。テストするときにNTでやらされたりすると、いやだったんです(笑)」

全員「(笑)」

宮原「で、年明けですよね。すぐに社内ミーティングをガーンと開いて、社長としてはやると決めてたから“やれ”っていう一声で決まって。最終的に決まってから発表まで1週間です。年明けてすぐにトップディシジョンで決まって、記者会見やりますよって連絡して、プレゼンテーションを1週間一生懸命作って、詳細は何も決まってない状態で」

風穴「逆に私の印象だと、8月にOracleがアメリカで発表されてから、日本の対応が全然煮え切らなかったんですよ」

吉岡「遅かったですよね」

風穴「それが年末から年明け前に突然変わって、動き始めたら早かったというのがありますが、そこは何か?」

佐渡「12月にLC98のパーティーのとき宣言してたでしょう? そのほんのちょっと前は、“何とかできないの、Oracleは何とかなんないの?”ってメールして。まあ、“ちょっとだめだよね”という返事がきて、それがいきなりLC98になってみたら当日にいきなり何人か乗り込んで来て、いきなりパーティーで“日本語版Oracle出すぞ”宣言してたんだよね。なんかそのへんでうまく何があったんだろうな、とは分かる」

宮原「まあ、別にオフレコにする話でもないんで。やっぱり10月から11月ぐらいですね。ちょうど1年ぐらい前に、やらなきゃいけないよっていうような話を社長に対してプレゼンテーションして、それで“やりたいのはわかったし、やるべきだと思うから、もうちょい練れ”というような話になって、けっこう内部的には練って。パートナーに対してのリサーチとかもやって、どこがやれそうかっていう感じで見ていって。大体、LC98のときには、まだ別に決裁降りてたわけじゃないから」

風穴「一番最初はたぶん、東京ビッグサイトでオラクルがデベロッパー向けというか、フォーラムというか、なんかイベントをやって、そこで初めてたぶんCD-ROMを配ったんじゃないかと思うんですけど、日本では」


Linux Japan編集長の風穴江氏。12月24日には『さわってみようLinux -Live Linux Lite体験ツアー-』(アスキー刊、1280円+税)を上梓。CD-ROM付きで、“インストール不要で本物のLinuxが動きます”がキャッチフレーズ。Linux未体験者は、これをキッカケにLinuxの世界を体験したいところだ

吉岡「12月でしたっけ?」

風穴「あれが本当に一番最初だったという気がするんですけどね、私は」

宮原「仕掛けとしては、9月ぐらいにターボさん(ターボリナックス ジャパン)にお願いして、トライアル版みたいなのを作って。あれが1万枚ぐらい作って、配って。で、大きい問題ないと、ベータ版だし。そもそも今見るとわかりますけど、“出荷を保証するものではありません”って(笑)」

佐渡「あれはね~(笑)」

宮原「CD渡したことによって出荷するって決まったわけじゃなくて、いわゆるベータ版じゃなくてリサーチ版。それで使ってもらって、だってインストーラーついてなくて、シェルスクリプトでインストールするっていう(笑)」

佐渡「あれ見たときは、一瞬“オラクル、すげえ本気だよー”と思って、よーく見ると(笑)。本当にやってくれるのか、大丈夫なのかって(笑)」

宮原「あれもターボさんに、たまたま家に帰り道だったから、けっこう足繁く通って、やりましょうって話をして、ちょうど1枚のCDに収まるように限定版を作ってもらって、バンドルパッケージ、9月ぐらいかな? で、とりあえず社内的に、保証しなくても何でもいいから配らせてくれと(笑)。とにかく反応見ないと始まらないよね、とにかく新しいマーケットだから反応見ないと始まらないという、大きい手形だけ切ってもらって、あとは勝手にやった(笑)」

「あれでトラブル報告出なくて。その裏側でOracle forLinuxのメーリングリストが動いてたんですよ。そこでみんな使ってもらって、問題のレポートがほとんど挙がらなかったんです」

編集部「それは実際に問題がなかったと?」

宮原「問題がなかったということですよね、使ってみて。NTよりも快適に、低スペックのマシンで動いて、開発で使ってますとか」

やまだ「京都(のLC98)でも衝撃でしたね」

宮原「京都のときでもガンガン配ったり、“やるよ”とか宣言したり、それはもうゲリラですよね、完全に。会社のコントロールの利かないところでいろいろとやらざるを得なかったのが、やっぱり去年」

佐渡「あれ、どう考えても会社のコントロールであんなことをしているようには見えませんよね」

宮原「まあ、ほとんどクビかかってますね(笑)。逆に言うと、今は通常製品に近いかたちで、逆に会社としてはつまんなくなった。だけど、行って、やって、マーケットからは認められたっていうのは、今年1年で間違いなくありましたね」

「で、“オラクルがやったんだからいいよね”っていう、いい意味での免罪符が発行できたと。“オラクルがやったんだから、うちがやったっていいじゃないの”という」

Oracle 8の売上は、日本の2週間=米国の半年

吉岡「それで重要だと思うのは、宮原さんのアプローチっていうのは、ある意味で非常にラディカルなんですよ。組織の枠とか壁とかを取っ払って、自分がおもしろいと思っている信念に従って本能的に活動して、それを認めさせちゃったわけよ、社長までいってね」

「ひょっとしたら、別にオラクルじゃなくても、ほかの会社でもできるかもしれないのに、結果として、それを表現しえたというのは宮原さんぐらいしかいないわけですよ、この1年でね。あとはそのフォロワーで、“オラクルからやってるから私も行こう”っていうフォロワーだけなんですね」


日本オラクル(株)でプリンシパルエンジニアを務める吉岡弘隆氏。'99年まで米オラクル本社に赴任しており、シリコンバレーのプログラマー事情に詳しい。『Oracle8i 最新テクノロジガイド』(アスキー刊)など、執筆の分野でも活躍している

吉岡「だけど、こういう人たちがいっぱい出てくれば、別にLinuxというビジネスだけじゃなくて新しいビジネスも、ひょっとしたら日本でもHappenするんじゃないかっていう希望を与えてくれた。そういう意味では、今年の10大ニュースの一つは、“宮原マジック”だったっていう評価を与えてもいいと思います」

「それはたまたま同じ会社にいるから言ってるんじゃなくて、彼の動き方というのは社内にいても、“こんなことやっていいのか!?”みたいな話はいっぱいあるわけです(笑)。だけどそれをやったっていうのは、実績を残したというのは非常におもしろいと思います」

「で、さらに言うと、2週間で1000本のライセンスを売っちゃったと。最終的には4000本か5000本ぐらいでしょう」

宮原「今4000本ぐらいですね」

吉岡「それって、アメリカで半年ぐらいかけて、どうにか売るか売らないかのライセンスの量だよ。それを日本で2週間ぐらいでガーッと出しちゃった。そこはやっぱり結果残してるしね。会社だったら売上を上げれば何やっても自由っていう部分あるから」

「そこの、ネクタイ締めてるおじさん族をコロッとやらせるテクニックと、コミュニティーの人たちにもそんなに反発を受けないようなテクニックとっていう、非常にバランスの取れたおもしろい展開を、今年1年したんじゃないかなっていうのは感じますね」

Linuxのブレイクで、企業がLinuxにリソースを投入

編集部「では、Linuxに企業が入ってきたという話はいったん閉じて、吉岡さんに今年の印象に残ったニュースを挙げていただきたいんですが」

吉岡「さっき言ったとおり、商用データベースが入ってきたっていうのは一つ、やっぱりあると思うんです。それはもう総括したんですけどね」

「それで、LinuxWorldのカンファレンスとエキスポの大盛況というのは、宮原さんは“そんなのあたりまえだ、オレはそれを演じたんだ”みたいなこと言ってるけど、1年前から考えると、1万人規模、2万人規模のカンファレンスとかエキスポが日本でできるっていうのは、なかなかなかったんじゃないかなっていうところです」

佐渡「それはほとんど奇跡ではなく、前々からずっとそういう種をまき続けてはいたんですよ」

宮原「まあ、必然なんだよね。このタイミングで、雰囲気的にもLinuxをNTの代わりに使いたいと」

佐渡「いつかはこうなるとずっと思って、いろいろ種をまき続けていて。LC98なんて、あの企画なんて1年以上前からボクが考えていたネタで。何とかいけそうだなっていう勝算が立って、実行してみて、その間にいろいろなベンダーとかが対応してきたので、うまく乗せることができたというのがあります」

「そういうのもあって、IDGの話がきたときは、その話を断るという選択肢もあったんです。で、数人のコミュニティーの人たちとも話をしてみて、あまり乗り気ではないという人たちもいて、それでもオレはうまくやったほうがいいんじゃないかなという気がしたんですよね」

「あのときは1週間ぐらいの間に速攻で、実行委員会となるような、プログラムを全部決めてくれるような人たちを決めて。 IDGのほうには、日本で初めてやるわけですから、ノウハウとしてはまったくないわけですから。とにかく日本で何とかできるような人たちをそれぞれ集めて来たわけです」

吉岡「1999年というのは、日本でLinuxが離陸した元年みたいな感じだと思うんですよ。それで一方、Linuxとかオープンソースが持つ課題っていうのが、ビジネスという観点から見ると、いろいろ出てきたんじゃないのかなっていうことも思う1年ですね」

編集部「課題っていうのは具体的には?」

吉岡「たとえばビジネスで使うとしたら、いつも言われてることなんだけど、サポートをどうするのかって話があるわけです。あとは、研究開発をどうするのかと。たとえばSGIが企業としてLinuxにリソースを突っ込む。そのときSGIが何をやっているかというと、自分たちのプロプライアトリーな(独占的な)ノウハウをどんどん出しているわけですよ。それもソースコードをね、GPLという形で。それは従来のビジネスモデルからはちょっと理解不可能な、あるいは説明が難しいようなビジネスモデルでやっているんです」

「たとえば大規模システムを作るときに、ノンストップのものを作るときにね、コミュニティーがそういうノウハウを持っているのかとか、そういうものに対するコードを書けるのかというと、なかなか書けないと思うんです。やっぱりそういう大規模系はベンダーとかね、ある程度のリサーチコミュニティーというところが貢献してたんだけど、今後はSGIにしろIBMにしろ、世界の錚々たるリサーチスタッフを持っている人たちがね、クラスターのノウハウを突っ込んで、GPL*で世界にオープンにして」

*GPL=The GNU General Public License。Free Software Foundationが掲げる理念に基づいて、明文化されたソフトウェアライセンス規約。ソフトウェアの使用条件として、自由(ソースコードを含めた再配布など)を妨げないことを使用者に要求している。

吉岡「研究開発というのを誰が担うのか、どうやって担うのか、どういうふうにコミュニティーに貢献していくかというのが、従来の趣味でやっている人たちが夜中に、自分の好きなコードを書いてったっていうフェーズからね、一歩違ったところに行きつつあるんじゃないかと。そのとき企業とコミュニティーの関わり方のニュアンスが変わってくるのか変わってこないのかというのが課題になっているのかなと」

編集部「企業の人たちがそうやってリソースに突っ込むになってきたっていうのは、今年になって初めて出てきたわけですか?」

吉岡「そうですね、今年、顕著になったという感じですよね」

ペイドプログラマーがLinuxに貢献しはじめた

編集部「企業側の人たちとコミュニティー側の人たちの間で、摩擦と言ったら変ですが、こういう出来事があったとか、あるいはこういうふうに実はうまくいっているというのはないですか?」

吉岡「私、8月に風穴さんとの対談で、“日本のプログラマーは元気ない”というふうなことを言ったんです」

編集部「おっしゃってましたね」

吉岡「そうしたら、いろいろご意見いただいて、“日本でも元気のいいプログラマーはいくらでもいるんだ”っていう話をうかがってね。そういう人たちのことを、私が単に知らなかっただけだというようなご意見をいただいて。じゃあ、その元気のいいプログラマーにお話をうかがってみたいなと強く思ったんです。それがきっかけになって、日本でも一生懸命、元気のいいプログラマーの人たち何人かと知り合いになって、直接お話できる機会を持ったりとか、あるいはセミナー開いてもらったりとかやったんです」

「そこでちょっと違うなと考えるのは、従来は1人でプログラムを書いて、夜中に自分の仕事とは別でやっていた人たちが、会社の時間を使って会社のリソースを使って、会社の仕事のためにGPLのコードを書く人たちが出てきたと、日本でもね。そういう人たちがいっぱいおもしろいコードを書き始めると、やっぱり質的に変化があるんじゃないかなというような感じがして」

「実際問題、今GPLのソースを書いている人たちというのは、夜中に自らの時間を使ってハックしている人たちもいっぱいいるんだけど、それ以上に、企業に雇われてコードを書いている人。たとえばそれはレッドハットとかターボリナックスかもしれないし、IBMとかあるいはSGIっていう企業なのかもれないけど、ペイドプログラマーが自分のタレントを使って世界に貢献している。その企業のためだけではなく、世界に貢献しているというのが、如実に現われているのが'99年ですね」

宮原「受託開発系の会社さん、中小のところで、自社で作ったプログラムをオープンにするっていう動きは顕著ですよね、今年は」

編集部「今までなかったんですか」

宮原「今までなかった。まあ、Javaで開発する会社も多いんですけど、そういうところってクラスを逆に読めば、ソースコード引き出せるわけじゃないですか、Javaだから。そういうのわかってるし、隠す必要もないから、“ここまで作れる技術力があるんだから、仕事ください、案件ください”という感じでオープンにしちゃってるんですよね」

「で、こういうノウハウを持ってるから、それこそパートナーになって一緒に仕事をやりましょうと、全部手の内をさらすことによってね。逆に言うと失うものがない会社さんほど強い。そういう会社ほどやっぱり技術をたくさん持ってる」

「去年(オラクルが)Linuxを始める契機になったのが、いろいろな中小系のソフトハウスさん、ずっと回ってるんですよ、北から南まで。そういうところでやっぱりNTに辟易してると。自分たちに技術力があるのに、(NTの中身が)わかんないからお客さんに対して満足なサービスを提供できないと、サービスなんですね。だからサービスで勝負するっていう感覚が中小にはある」

「で、中小企業ってどうやってできているかというと、やっぱり大手企業のやり方に我慢できなくてスピンアウトして中小企業を作るソフトハウスとか多いと思うんです。どんどんサービス志向になってきて、そこにLinuxって、マッチしてますからね、間違いなく」

ハッカーが表舞台に出てこない原因は、日本人の気質にあり!?

編集部「いま吉岡さんがおっしゃったような動きに関して、JLAの立場としてはどういう意見がありますか?」

佐渡「JLAとしては別にないですけど。いつかの対談で吉岡さんが言ってましたけど、1ヵ所違うのは、“日本にはハッカーがいない”とか、それは明らかな間違いだと思う」

風穴「そのフレーズが独り歩きしちゃって、そこに要約されちゃって。全体の趣旨としてはそうじゃないんですけど」

鈴木「正確には日本にはハッカーがいないっていうよりは、ハッカーがいても日本人っていうのはどうも表に出たがらない」

宮原「見えないんだよね」

吉岡「いっぱいいるんだよね」

鈴木「あるいはハッカーの素質はあるんだけど、それを見せられるような立場にいないと思うんだ。名前出せないとかね」

やまだ「会社から、“名前、出しちゃダメ”と言われたり。企業外活動認めないとかね」

鈴木「たぶんいるとはみんなが思ってるのに、わからないという。知ってるのはごく近くにいる人だけとか」

佐渡「カーネルのパッチ程度だったら、jpドメインでもそこら中に置いてあるじゃん、って感じだからね。だから、別に全然そんなことは(ハッカーがいないなんてことは)ないんだけど、結局そう見えてしまうような構造が、けっこう問題かなと。だけどこの1年で、そういう行動をやや変えるキッカケを作ることができたのはいいのではないかと」

吉岡「私が一つ言いたかったのは、プログラマーがプログラマーとして幸せに生きる社会というのがあったら嬉しいなと。それが日本で今あるのかないのか。たとえば自分がやったことを公表できないというふうに会社から言われているんだったら、それはどう考えてもアンハッピーですよね。そうじゃなくて、自分がやったことを広く、まあ宣伝する必要はないけど、それによって多くの人にリスペクトされる社会のほうが、リスペクトされない社会よりは嬉しいなと」

佐渡「だからといってアメリカがそういうのを、自分の会社でやったことを全部公表できるかといったら」

吉岡「もちろんそれは違いますけど」

佐渡「それにプラスして、日本人の気質とかというのもあるよね」

Linuxビジネスでも、顔の見えるサポート体制が求められてきている

宮原「そもそも日本のIT業界って、寄らば大樹的なところって、必ずあるわけですよ。中身が同じだとしても、ホワイトボックスよりもメーカー製のサーバーだっていうだけで安心してユーザーが使う。技術についても、やっぱりどこどこの技術だからっていうふうな感覚がすごい強い」

「それに対してLinuxっていうのはあまりにも対極にありすぎて、個人主義的なところがすごい強い。なかなかエンドユーザーで技術がわからない人ほど受け入れにくい部分があって、この折衷案をどこに持って行くのかというのが、たぶん2000年の課題になると思うんです」

「未だに、今年はLinuxはサービスのビジネスだって言われていても、誰も答えを出していない。企業としても、ユーザー側としても、全然見えてなくて。それ、どうするのといえば、たぶん来年の課題になるんでしょうけどね」

「そういう中でプログラマーが、日本だったらやっぱりメーカー系の人たちが自社のハードのためにガリガリとコード書いて、“ボクが書いてるから安心です”みたいな感じでやるのも、一つ面白いんじゃないかと」

佐渡「だから今の状況って、だんだんそういう状況になってますよね。今までいろいろ発表してきた人間が、ビジネスを展開しようとしている会社にどんどんと入っていくという。アメリカなんて本当に、特定の会社に人が集まってきてますよね、たとえばVA(Linux Systems)とかVAとかVAとか(笑)」

宮原「エンドユーザーのレベルからいって、Linuxを採用するときに、“Linuxに詳しい人を1人派遣してくれますか”とかという話になるわけです。何かあったら対応できるように詳しい人を1人常駐してくださいというふうに、ある程度のコストはしょうがないっていうユーザーさんも必ずいるんですよ。そういうのに対応できるか。詳しい人がいて、顔が見えてサポートできる体制を作れるかっていうのが、今は求められていますよね」

佐渡「そうでしょうね」

宮原「全員が全員、カーネルのハッキングできる必要は全然ないと思うけど」

佐渡「カーネルのハッキングする人は、そんなに増えなくていいですよ」

宮原「それは一部でいいと思うのね」

佐渡「そんなに爆発的に増える必要はないんですけど、マーケティングとかそういうのをちゃんと活かしていけるビジネスの展開を考えると、下を支える層が今よりも数倍になるだけじゃだめですよね」

宮原「なんか問題があったときに、じゃあ誰々に対してこういうふうにレポートすれば、それがどうなるのかっていうのが返ってきて、仕組みづくり」

編集部「ビジネスのことを考えるのは、企業でやっている人たちが中心になってやっていかざるを得ないでしょうね」

佐渡「そうでしょうね」

宮原「本質的にビジネスと言ったときには、技術者は除かれると思うんですよ。ビジネスがあって、ビジネスニーズが生まれて初めて、それへのサポートの技術って要求されてくると思います。だから、クリエイティブな技術がまずあって、それを売るっていう売り方ができて、それでさらにこの辺どうなってるのってなってきて、また技術に戻っていくという考え方」

佐渡「今までのLinuxの発展って、自分たちの都合がいいことをやってきたわけじゃなくて、Linuxを使っているカーネルを使っている人たちがいて、そのユーザー層がいて、一般の人たちですね、その人たちのニーズにうまく耳を傾けてきて、そのニーズを吸い取って発展してきた。それでできたらうまくビジネスに使える」

「今だったらビジネスの世界で、そのニーズに応えなくちゃいけない。だからビジネスのほうに展開するにはビジネスの声に極力傾けて、技術を吸い取っていかなければいけないんです」

宮原「そのへんのキャッチボールが、ちょっとまず肩慣らし程度で始まったかなという」

佐渡「そういうビジネスをうまく受け取るようなニーズも、どうやったらそういう素地はできるのかなというのがだんだんとでき上がっているのか、いないのか。よくわかんないような」

Linux界の古参と新入りはお互いに宇宙人!?--上の人と下の人の橋渡しをする存在が必要

編集部「ビジネス側からのリクエストはうまく吸い上げられていると?」

やまだ「まだ、そこまでは行ってない」

佐渡「2000年の課題としては、うまく吸い取れるようになりたいねと。本当にビジネスに展開するんだったら、そういうビジネスの方面のニーズをどんどん吸い取っていく」

宮原「橋渡しビジネスね」

編集部「橋渡しをする人は、結局企業内の人になるんでしょうか?」

宮原「さっき3月の分析をお話したとおり、上のほうと下のほうの、その間の橋渡しをしてあげる人がいなかった」

鈴木「わからないことを上に上げるとか。上に出たのをちゃんと下に落とすとか、間に挟まって上に上げる人がね、いなかった」

編集部「間の人っていうのは、開発まではしないけど、ある程度コードとかのことはわかるっていうレベルの人ですか?」

宮原「きちんとしたフィードバックパスを持っていてくれるということですね」

佐渡「3月のときは、上のほうにいた人たちは裾野のほうに集まってきた人たちを“こいつら何だ”とか思って、裾野のほうに来た人たちはやっぱり上の人たちを“何この人たち”みたいな感じで、両方ともなんか宇宙人を見るような目で見ていたんですよ(笑)」

鈴木「そのへんレッドハットなんか、モノとしてはそんなでもないのに、うまくビジネスが動いている。というのはレッドハットが出しているサポートがネームド(指名)で、この人にすべて投げれば、次へ渡してくれる部分がサポートして提供される。それを提供しているというのは使う人にとって、この人にさえ言えば、次の人にちゃんと渡してくれるだろうと、パスを提供している」

宮原「そういう意味では、ボクとしては“Linuxやってます”って言い出したのって、ここ1年ぐらいなわけです。Linux自体は3年ぐらい前から触ったり、ウェブサーバー作ってみたりしていても、本当にエンドユーザーレベルで、提供側というか橋渡し側というか、それになりたいと思ったのはここ1年ちょいぐらいのことです」

「今までやってた人って、先行者利益をもっと取って、今までやってきたことを広げつつ、それを自分の仕事にしていく。みたいなことを、もっともっとやっていくべきだと思うんだよね」

編集部「そうした利益は、いまの枠組みだと、確実に得られるという保証は全然ないですよね」

宮原「でもそれをやらないと……。やっぱり中間の部分ですよね。一番上まではなりきれなかったんだけれど、エンドではありえないという人たちが、中間の部分が一番いま美味しいところだから、そこのところでなんか活用して、食えると思うし、それでチャレンジして、やったことを無駄にしないことが一番重要だと思うけれど」

「今年、そこが一番盛り上がってほしかったんだけれど、残念ながらいままでNTでユーザーに対してシステムを提供していた人が、Linuxに乗り換えましたレベルで、マーケットっていうかユーザー層が盛り上がっちゃったんで。今までやってた人、“5年使ってますからサポートばっちりですよ”とか、“Debianでサービスバリバリですよ”とか、そういうのが今年なかったのはちょっと残念ですね」

吉岡「でも、サービスをずっと5年間やってた人なんて1人もいないんだから。そのサービスを提供するっていうノウハウと、たまたま技術的に詳しいというのはまるっきり違うノウハウだから、それは創業者利益はあまり関係ないですよ」

宮原「今のニーズってそんなに深いところを求められなくて、知ってる人だったら“そんなの知ってるからRead the fucking manualだ(FAQを読め)”っていうようなところが、実は一番ビジネスマーケット大きいんですよ。そこのところで、自分が今まで踏んできたところを、もう一回棚卸しして整理して、横展開するだけで、けっこうビジネスになるわけなんですよ」

やまだ「それが難しい」

宮原「そう。そこのところに、やっぱり“Read the fucking manual”の人たちっていうのは、残念ながら横展開というのはあまり思いつかない」

やまだ「っていうかね、何となく通り抜けてしまうから、どこに何があるのかとか、あんまり」

宮原「うん、“なんでそこに引っ掛かるの?”とかいうところ」

(Vol.3に続く)

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