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“メディア・アートの歴史――アルス・エレクトロニカの20年”

1999年10月25日 00時00分更新

文● 平野晶子

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20日(水)、NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)で、“メディア・アートの歴史――アルス・エレクトロニカの20年”が開催された。毎年9月にオーストリア、リンツで開催される世界的なメディア・アートの祭典、アルス・エレクトロニカ。その変遷を辿ることは、そのままメディア・アートの歴史をひもとくことでもある。アルス・エレクトロニカ・フェスティバル芸術監督であり、自身メディア・アーティストであるゲルフリート・シュトッカー氏を講師に迎え、過去から最新までの作品の数々がビデオやスライドで紹介された。

編集部注:本稿では、“メディア・アート”のつづりを中黒ありとする。また、アーティスト名の敬称を略し

アルス・エレクトロニカ・センターのゲルフリート・シュトッカー氏。ドイツ語ではなく英語で講演
アルス・エレクトロニカ・センターのゲルフリート・シュトッカー氏。ドイツ語ではなく英語で講演



ドキュメントからイベントへ

“ドキュメントからイベントへの移行”――シュトッカー氏はメディア・アート出現の意義をこう定義する。「従って、美術館も作品を保管するだけでなく、ともに制作に関わっていく必要がある。例えば、バーチャル・リアリティー(VR)作品などがよい例だ。一時的なドキュメントではなく、1つのイベントが経験の対象になる」

これは日本人にはちょっと分かりづらい話である。「イベント(event)はよりイベンチュアル(eventual=起こりうる)なものになった」という氏の言葉を手が掛かりにすれば、常に一定の形を保ち、決まった経験しか与えてくれないのが従来の芸術作品なら、新しいメディア・アートはさまざまな経験の可能性を孕(はら)んだものであるということだろうか。

それはメディア・アートの持つ“はかなさ”に起因するとシュトッカー氏は言う。デジタル技術の出現により、例えばジェフリー・ショウの初期のVR作品では電子線の流れに過ぎなかったものが、データセットに変わった。それが単なる絵ではなくデータセットの表現であるということは、マシンがアーティストと同格の存在となったことを意味する。アーティストがいなければ絵が描けない時代は終わった。

写真は最初、純粋に機械的、光学的なプロセスだったが、ビデオアートに至って機械を通しての作品作りというものが広く認められるようになった。テレビを見ている人がその中に入り込み、さらにまたその部屋の中のテレビに入り込み……という無限の繰り返しが、徐々に加速していく作品を見せながら、シュトッカー氏は「ここにインタラクティビティーの素を見ることができる」と解説。以後、ビデオアートは急速に進化し、プロセス指向を強めていく。

つまり、“見る”作品から“経験する”作品への移行である。ここに“イベント”という言葉の意味を解く鍵があるようだ。

 初期から現在までの作品を次々とビデオやスライドで紹介していく
初期から現在までの作品を次々とビデオやスライドで紹介していく



それは音楽から始まった

ここで、最初のアルス・エレクトロニカ・フェスティバルで行なわれたという“スチル・オペラ”が紹介された。「音楽とメディア、機械的なものをうまく組み合わせた画期的なメディア・オペラであり、歌手、俳優、そしてビデオプロジェクターも舞台の一員として参加している」(シュトッカー氏)。つまりは、マルチメディアの走りである。

このように、メディア・アートのアプローチはまず音楽から始まった。パイオニアたちはハイブリッド楽器などを発明しており、現代音楽の鬼才ジョン・ケージもこの流れに位置付けることができる。遡ればロシア人のテルミンが、'20~'30年代に最初の電子音楽を発表している。それが’80年代に至り、一気に華開いた。データグローブを楽器として用いるなどの試みが行なわれたのもこの頃である。それはさらに、音と映像、環境を組み合わせる方向へと発展していく。

「完成された作品は過去のものとなり、オブジェクト自体より、プロセスへと移行する」(シュトッカー氏)。

最前線はAI

こうしてVRの時代が訪れる。これはシミュレーションという概念をもたらした。ユニークなオリジナルから無限に再生可能なサンプリングへの移行である。モニカ・フランクリンの作品では空間の体験そのものが音やビジュアルよりも重要となる。今度はコンテンツからコンテクストへの移行である。このあたりから、作品の社会への影響が語られるようになる。

同時にコンピューター・アニメーションが発達し、これをハリウッドが惜しみない予算を掛けて使うようになった。そんな商業主義的発展を後目に、アーティストたちはAI(人工知能)に目を転じていく。カール・シムズのVR作品では植物の成長をインタラクティブに体験できる。そのインターフェースはシンプルにしようと思えばいくらでもできたはずだ。マウスでも、キーボードでも構わない。しかし、彼はそれに植物の葉のデザインを与えた。そこでこの空間の訪問者は、“植物に触る”という1つの体験を得るのである。

「アーティストと技術者の違いがそこにある。アーティストはインターフェースを考える際、環境というものを考慮する。人間とコンピューターのインターフェースとは、すなわち両者のコミュニケーションであると。技術者なら単なるデータ入力デバイスとしか考えないだろう」(シュトッカー氏)。

こうして「最終的に作品を作り出しているのは観客(ユーザー)である」という考え方が生まれてきた。そしてアーティストは、科学や芸術と社会とのインターフェースになったのである。


日本のアーティストも活躍中

ここから最新プロジェクトの数々が紹介された。岩井俊雄、藤幡正樹といった日本人アーティストにもシュトッカー氏は敬意を表わした。

新しい傾向として、作品の空間的な広がりが増すにつれ、アーティストの概念が個人から集団へと移行しつつあるという。例えば、ある作品では実制作に携わったアーティストたちの他に、コンセプトコンサルタントという立場で参加した人もいた。果たして、この作品は誰の作品と言うべきか。映画制作のように、集団によって生み出されるメディア・アート作品が増えていくことだろう。

なお、シュットッカー氏はこの講演の翌日、尚美学園主催の第4回情報カンファランス“INFOWAR”にも、伊藤穣一氏、福冨忠和氏、西和彦氏らと共に講演者の1人として参加した。BNN出版から発売されたばかりの『インフォ・ウォー』にも、氏の文章が収録されている。

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