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【Interactive Education'99 vol.1】――新しい教育の形を考える――

1999年08月20日 00時00分更新

文● 船木万里

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8月19日、20日の2日間にわたり、大手町の日経ホールにおいて“Interactive Education'99”と題する、今後のコンピューター教育を展望するイベントが開催された。インターネットやパソコンを利用した先進的な授業の事例や米国の実例など、さまざまな教育現場からの報告や、教育支援システムの実演が行なわれた。本稿では19日午後のセミナーについて報告する。


講演“自分らしさとの出会いをデザインする――‘interactive’とは、自分で関わっていくこと”

午後最初の講演は、大東文化大学文学部教育学科講師の苅宿俊文(かりやど・としふみ)氏。苅宿氏は、ユニークな形のレモン絞り器を手に登場した。

「これ、何だと思いますか? こんなふうに、レモンを絞るものなんですよね」と、実演してみせる。「レモンを絞ったときに果汁が伝い落ちないように、とがっているんです。どうしてこんな形をしているのか、使ってみて初めて、“なるほど”とわかってくることがある。実際に自分で関わること、それがinteractiveということなのではないでしょうか」と、interactiveの概念を語った。

レモン絞り器を片手に語る、苅宿氏レモン絞り器を片手に語る、苅宿氏



試行錯誤を保証するドローソフト『脳の鏡』

子供たちに、まず自分自身に興味を持ち、自分自身と関わっていってほしい、という教育理念から、苅宿氏は『脳の鏡』というドローソフトを開発した。これは、簡単なお絵かきソフトだが、履歴がすべて記録されるので、絵を描いたプロセスを再現できる。つまり自分の作品を何度でも変更し、たどった道筋を確認することで、自分の考えを整理し、納得することができるというもの。

これまでの授業では、出来上がりを見て先生が感想を述べる、ということはあっても、先生と生徒が作成過程を一緒に共有したことはなかった。作品と、そのプロセスを子供たちが苅宿氏に説明する場面のビデオを見ると、子供たちがプロセスも作品の一部と考え、どういう考えをもって試行錯誤をしたかということを、自分の言葉で語りはじめていることがわかる。プロセスを自分でたどることによって、“描いたときの自分”ともう一度出会うことができる。

この経験により、子供たちが自分自身で“自分らしさ”を発見できるのではないか、と苅宿氏は考える。そして子供たちの言葉を、一緒に画面を見ながら聞き取ることによって、指導者が生徒とコミュニケーションをはかれる、という意味では、『脳の鏡』はコミュニケーションソフトであるとも言える。

『脳の鏡』を使ってフランスの子供が描いた“ふらんすのはた”
『脳の鏡』を使ってフランスの子供が描いた“ふらんすのはた”

 

“らしさ工房”で自分との出会いを

このような“自分らしさとの出会い”を重要と考える苅宿氏は、“らしさ工房”と命名した、子供たちのためのワークショップの様子をこう語った。

「自分自身に興味を持ち、自分らしさを見つけたら、それを語れる場が必要。“らしさ工房”では、美大の学生など、何名もの指導者が子供たちと一緒になって、作業を楽しんでいます。指導者に対しても、自分らしさを自由に語れる雰囲気があることで、子供自身がアイデンティティーを確立していけるのではないでしょうか」

授業風景では、コンピューターを操作しながら、自分の作品を楽しそうに解説する子供、「僕ならこんなふうにする」と横で話す子供、指導役のボランティア学生と共にブロックを組み立てる子供など、それぞれが指導者の“共感的理解”を得て、自由に自分を表現している様子が映し出された。

「子供たちによく“何のために勉強しなくちゃいけないの?”と聞かれます。そのときは“将来困らないため”とか“役に立つ人間になるため”ではなく、“わかる楽しさ、知る喜びを得るため”と言っています。自分自身を理解し、納得するために、勉強という方法を採る。コンピューターも、ただ使い方がわかるというだけではなく、子供たちが自分らしさを確立していく、そのための道具として利用していってほしいと思います」と苅宿氏は結んだ。今後も『脳の鏡』に続く、新しい教育用ソフトを考えているという。

講演“拒否的な生徒が参加するネットワーク学習環境”――ネットワーク環境でつくる“わいわい数学”

次に、福井県大飯郡大飯中学校教諭、藤田剛志(ふじた・ごうし)氏が、ネットワーク学習の実例を報告した。

従来の数学の授業では、教師がすでにある正解を伝達するというだけで、“議論し、数学的な合意を組み立てていく”という本来の数学を取り入れることはできなかった。そこで藤田氏はコンピューターを利用して、課題についての考え方や解決方法、それらについてのコメントなどを生徒が相互にコミュニケートしながら進めるという“わいわい数学”という授業を実践した。
 
この授業は、校内LANで結ばれたコンピューターを利用して十数人のグループが1つの課題に取り組み、共同製作作品として解答をつくりあげる、という試み。この授業のために作成されたプログラムは、自由に描ける各自用の“ノート”、話し合うための掲示板“アイデアの泉”、課題の解答をグループでまとめる“アトリエ”の3画面で構成されている。2時間ではあったが、生徒たちの反応は、「みんなで一緒に問題を解くのは楽しい」、「こういう授業がもっとあればいい」など、おおむね好意的だった。

ネットワークを利用した数学の授業について語る藤田氏ネットワークを利用した数学の授業について語る藤田氏



“わいわい数学”に利用したプログラム画面
“わいわい数学”に利用したプログラム画面



拒否的な生徒が参加できる学習環境

しかし藤田氏は、統計的評価ではなく、いつもは統計処理から外されるような、学習に拒否的な生徒を、新しいネットワークが支援できるかどうかがポイントではないかと考えていた。そこで、学習に拒否的な生徒、孤立しがちな生徒、極端に学力の低い生徒を抽出し、学習活動を観察。授業後にはインタビューも試みた。

「学習に拒否的な生徒たちは最初、意見の交換には消極的だったり、関係ない話を始めたりしていました。テレビの話題や挨拶など、いわゆる“外課題コミュニケーション”しか取ろうとしていなかった。しかし、ちょっとしたことがきっかけで、課題解決に参加するようになるという現象が見られました。これは、コミュニケーションを取るうちに、周囲の発言に誘われて興味を持つようになったり、自分の意見が受け入れられる雰囲気を感じとったからだといえます」
 
授業における、コンピューター上の会話ログを分析してみると、生徒たちの話題は、課題に関する考えを述べる“課題中心的コミュニケーション”、その意見に対する感想などの“課題周辺的コミュニケーション”、そして課題とは関係のない“外課題コミュニケーション”の3層に分かれている。生徒たちはその層の間を行き来し、やる気を見せない生徒を“外課題コミュニケーション”によって誘ったりしながら、課題解答に取り組んでいる。

コミュニケーション学習に置けるコミュニケーションの3層
コミュニケーション学習に置けるコミュニケーションの3層



“察しのコミュニケーション”による参加意欲の向上

 
相手の状態を思いやり、語りかけるという日本に特有の“察しのコミュニケーション”が機能すると、課題とは関係のない方向を向いていた参加者が、課題周辺的、また課題中心的なコミュニケーションへ向かうことが可能になる。学習に拒否的な生徒やコミュニケーションを取るのが苦手な生徒は、授業後に「自分が意見を出しても受け入れられる、自分の居場所があるように思えた」、「自分のペースで考えられた」などの感想を述べている。
 
学習におけるコミュニケーションでは、これまで活発な討論、対立、質問などが重要と考えられてきた。しかし雰囲気を柔らげ、誰もが課題中心的コミュニケーションに参加できるようにするという意味では、外課題コミュニケーションも重要である。真面目に課題に取り組み、課題中心的な話題ばかりで雰囲気が硬直してきたグループでは、外課題コミュニケーションが自然発生するという現象も見られている。こうした雰囲気の醸成を視野に入れることで、コミュニケーションが苦手な生徒、学力の低い生徒なども学習に参加できるネットワーク環境を構築することができるのではないか、と藤田氏は考える。
 
藤田氏がこの試みを実行したのは前任校。今春に転任し、現在は学習に拒否的な生徒が多数を占める学校での「“学びのコミュニケーション”からの離脱文化における学び」を目下研究中である。

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