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立ち上るアジアのLinux インド編 最終回

2000年12月15日 16時17分更新

文● 窪田敏之

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前々回前回に引き続いて、ばんび氏によるインドLinux事情レポート第3回目をお送りいたします。

インドでインターネット

今回のインド出張で、一番気になったのはインターネットにきちんと繋げられるかということでした。インターネットが便利に活用されている今、世界中どこにいっても仕事ができます。

私はどこに出張に行くにもノートパソコンを持参して、出張先でも仕事ができる環境を整えます。デリーでもバンガロールでも中間クラス以上のホテルではたいてい部屋でインターネットを繋げられる環境が確保できます。私は某社のローミングコールを利用しようと思って準備していましたがとても繋がりにくく、1時間チャレンジしてもまったくだめ。仕方なく、バンガロールで宿泊したホテルのビジネスセンターに行って事情を説明し、ホテルが持っているプロバイダを使わせてもらえることになりました。

現地で聞くところによると、どうしてもローミングコールが使えなかったり問題がある場合は、インドに来てからプロバイダーとの契約することも可能です。「Mantraonline」というプロバイダとの契約を本屋さんでできます。契約料金は、1500ルピーです。

インドでは、夜になると電気が使えなくなることもしばしばあります。電気をつけていると、ふっと暗くなったり明るくなったり、真っ暗になったりしていました。最初は、何かあったのかと思い「非常階段から逃げる準備しなくちゃ!」と思いましたが、なんてことはなく、ただホテルのどこも電気が使えなくなっただけだったのです。

私の部屋は2階でした。下にはディスコがあり金曜日の夜はパーティが行なわれていました。電源が落ちるたびに、し~んと静まりかえり、電気がONになるとガンガンと音が響き渡ります。最初は“ドキッ”としましたが、私はノートパソコンで仕事をしていたので急に電源を切られてもまったく気にせず、朝方まで黙々と仕事をしていました。

あの夜はいったい何度落ちたんだっけか^^;

インドって危険な国?

私は今回1人でインドにやって来ました。私がインドに行くと知った多くの人々からたくさんのアドバイスをいただきました。女性が1人で行くところじゃないよ! と言われましたし「嘘でしょ?」と思うような話もあったりしましたが……。

いざインドに来てみると拍子抜けするぐらい普通の国で、安心しました。(な~んだ!)「危険」というのは度合いにより違いますが、日本を基準に考えれば外国はすべて危険ということになります。

私が実際ここで感じた「危険」というのは、次のようなものです。たとえばバンガロールの道や歩道は必ずしも平坦ではありません。歩道なんてひどいもので、半分以上が工事中? みたいな感じで大きい石はごろごろ、砂山は至るところにあるし、穴はいつのまにか出現するし、まっすぐなんて決して歩けません。私は2回はつまづいて転びましたし、3回程は知らない間に足が穴ぼこにはまってしまいました。ころんだ拍子に、砂山に両手をついたと思ったら腕のほうまでズボっとはまってしまい、1人で立ち上がることも困難になったこともあります。そんな時は4人がかりで救出してもらったりとたいへんでした。私は道端でこけまくっていましたので、近くを歩いていたインドの方には、たいへんお世話になってしまいました^^;

救助してくださったインド人の方曰く、「歩道なんて歩いちゃだめ」との教えをいただき、インド人流に車道を歩くことにしたのでした。車やバス、トラックやリクシャーやバイクがぶんぶん走っていても、ぜんぜん気にせずに車道を歩きます。もちろん端を歩いていますが、端にも石がごろごろしたりしているので油断はできません。

インドの道路を車で走っていると、日本では考えられない状況を見てとにかく驚いてしまいます。通常は、片側2車線(真中に一応線がひいてあった)なのですが、信号待ちのラインに車もバイクも自転車もバスも、リクシャーが皆一塊になっているではないですか(--;)

車と車の間に、リクシャーやバイクががんがん入りこんでくるのです。4車線以上かいここは? と思ってしまうぐらいに。そして、青に変わると一斉にみんなクラクションを鳴らしはじめる。

また、驚いちゃいけないのは、ある程度の交差点といえども、信号が無いところが多い。交通量があるのにも関わらず! です。一応、中央におまわりさんみたいな人がいるときもあるけれど、ほとんどの交差点はいません。これで事故が起きないのが不思議なくらい。交差点近くなると、クラクションの嵐と渋滞にはまってしまいます。信号がないので皆が勝手に右に左に直進しようとするので交差点は渋滞となってしまうのです。

そして、クラクションで「どけどけ~」と合図するのでもうたいへん。インドはクラクションを一番使う国でしょう。(これは間違いない!)

人が道を横断するときも、車などがどんどん来ていても一歩づつ車道を進み、渡って行きます。車道のど真ん中で立ち往生して車がすれすれに走り去ろうとも、インドでは気にしていたらいけません。隙間を縫って、道を渡るのがインド流です。ためらったらいけない! 私は、最初道がなかなか渡れなくて参りました^^; 仕方ないので、インド人の塊の中にまぎれてともに横断するしかない! と心に決め、毎回無事に横断していました。この作戦は、バンガロールでもデリーでも多いに役に立ちました(笑)

私がインドで感じた危険というのは上記のようなことで、それ以外は、人々も皆素朴で親切な人が多いです。衛生面は問題がありそうですが^^; もちろん、夜暗い道での1人歩きはインドでなくても危険です。しかし、私が感じたインドはインド=危険という図式にはなりえません。

インド料理はどこにいっても美味しいですし、チャイはとっても甘いけれど、疲れを癒してくれます。私は今回初めてインドに来て、すっかりインドの魅力に吸寄せられてしまいました。インドの長い歴史、文化、宗教、習慣、料理、人々に。

余談

Linuxのパーティーがあった会場には、トイレが1つしかありませんでした。それは男性専用となっていました。女性と男性の比率でいけば男性のほうが圧倒的に多いのですが、女性も少しですが参加していたのに。さてみんなトイレには行かないのでしょうかね?

私は、トイレに行きたくなったのでLinuxer数人がわざわざトイレまでエスコートしてくれました。しかし、男性であがふれていたトイレを見て、「うっがまんしましょ」と思って引き返しました。しばらくして、私がトイレに行かれなかったことを皆が心配していて、彼らのうちの4人が一緒にトイレに行こうと声をかけてくれました(つれしょんではありません)。

「警備の人に交渉して、トイレを一瞬貸し切にして僕らが入り口で誰もこないようにして上げるからね」。ということで一時だけ私専用にしてあげようと、話していたようです。ああ~なんていい話しなんでしょう(;_;)

結果的には、それはかないませんでした。が、その後皆で輪になっていると1人のLinuxerが「仕方ないからインドスタイルでどう?」とアドバイスしてくれました。ん? インドスタイルって何? なんか嫌な予感が……。全員、「あーそうだよ、ここはインドなんだから、インドスタイルがいいよ」、「これも文化だから気にするなよ」「インドの女性は皆するよ」う~げ~それは勘弁してくれ~(T。T)

インドスタイルとは、外でどうぞということでした(笑)

インドでは、外でトイレを済ませるということは別にはずかしいことではないのです。女性も、道端の隅で用を足しています。どこにでもトイレが存在しているわけでもないので、それも文化だということは理解はできますが、インドスタイルなんだからだいじょうぶだよ! と言ってはくれたけど、それだけは思いきることができず、トイレに行きたかったことなんてすっかり飛んでしまったのは言うまでもありません。まぁ皆さんのご好意には感謝感謝^^;

インドのLinuxer日本に上陸

今回のインド出張で会うことができた、LinuxerのArchanとは帰国後も頻繁にメールのやりとりがあり、多くの情報交換を行なっています。

彼は、とてもLinuxに情熱と意欲を燃やしている1人といえるでしょう。そんな彼を、10月末のLinuxWorldにかけて招聘しようということになり、彼は10月30日から11月10日まで日本に滞在しました。根っからのLinuxハッカーであるArchanは日本のLinuxerの間でたくさんの友人を作ってインドに帰りました。ちなみに日本で一番好きな街はやっぱり「秋葉原」だそうです。来年は再来日の予定になっています。もし秋葉原でインドの青年を見かけたら声をかけてみてくださ。彼の名前は、「Archan」です(ちなみに、英語しか通じません)。思いきって、インドの言葉で声をかけるのもいいかもしれません。「Namasute(ナマステ)」(こんにちは)と。

(ばんび)


Arachanもそうですが、はかにもインドには非常に優秀な情報技術者が多く驚かされます。特にオリジナルな仕事が多いのも特徴で、中には「本当にこんな技術実現できるの?」というようなものまでありますが、プロトタイピングができていたりしてさらにびっくりさせられます。インドも本当に将来が楽しみな国ですね。以上でインド編は終了です。次は中国編に行こうと思いますのでお楽しみに。

窪田敏之

窪田敏之/くぼた としゆき

プロフィール
'84年東北大学歯学部卒。その後、東京医科歯科大学博士号取得。 大学院在学中、五橋研究所を設立する。'93年CD-ROM shop Laser5を 設立。国内初のLinuxパッケージを発売する。'95年、国内初のLinux専門 誌「LinuxJapan」を創刊。'96年Red Hat Linux(US)の日本でのメインプロモ ータとして「日本語Redhat Linux」を開発し、販売。 '99年8月レーザーファイブ株式会社を設立と同時に代表取締役CEOに就任。 Red Hat Linux(US)をベースにした「LASER5 Linux」ブランドをリリース。 機能、性能、信頼性に優れたオープンソースソリューションビジネスを 提供している。

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