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Linuxのウソ(2)――Linuxは「何をしてもよい」?

1999年08月02日 00時00分更新

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 前回、「Linuxは『タダ』?」というタイトルで、Linuxを「無料OS」と捉えるのは正しくない、という話を書いた。これは、Linuxを「無料OS」と紹介するようなメディアが増えてきたことへの危惧が動機となっている面もあるが、その一方で、ユーザーの中にも、そういう捉え方をする人が見受けられるようになってきたことに対する「物言い」でもある。

 もちろんLinuxは、それがどういうものかを正しく知らなければ使ってはいけないというわけではない。しかし、ユーザーとLinuxとの関係が、金銭だけでケリがつく「無機質な」関係ではない以上、やはりユーザーは、Linuxの「自由」について正しく理解しておくべきなのではないかと、いささか「頑固ジジイ」風ではあるが、私はそう思うのである。

 Linux(のカーネル)は、「GNU General Public License Ver.2」、略して「GPL」または「GPL2」と呼ばれる使用許諾条件のもとで配布されている。これは文字どおり、使用を許可するための「条件」であり、Linux(カーネル)を利用するに当たってユーザーがすべからく守らなければいけない「約束事」であり、逆に、これを遵守しないのなら、Linuxを使ってはいけないということになる。

 よく、フリーソフトウェアに「使用許諾条件」があるというとビックリする人がいる。確かに、一般にソフトウェアの使用許諾条件といえば、ユーザーに対して、そのソフトウェアの使用を許可する範囲を定める目的で使われるもので、「自由に使ってよい」ことを標榜するフリーソフトウェアとは、一見、相容れないもののように感じられるかもしれない。もちろん「フリーソフトウェア」といっても千差万別で、中には、著作権者がそのほとんどの権利を放棄した「パブリックドメインソフトウェア(Public Domain Software、略してPDS)」に近いものもある。

 こうしたPDS(あるいはそれに近いソフトウェア)が著作権者の権利を放棄したり、明示的に使用を制限しないことで(結果的に)「フリー」であるのに対し、GPLには、あえて著作権を留保し、著作権者の権利を行使することによって「フリー」であることをユーザーに求め、フリーソフトウェアであることを自ら守ろうという意図がある。たぶん多くの人が、PDS的なソフトウェアもGPLのソフトウェアも同じように「フリーソフトウェア」として認識しているかもしれないが、そこに込められた「フリー(自由)であることに対する熱意」には、明らかな温度差があるのである。

 GPLが守ろうとしている「ソフトウェアの自由」とは、簡単にいえば、「利用の自由」、「改変の自由」、「再配布の自由」という3つの自由であり、このGPLを策定したGNUプロジェクトを推進するRichard M. Stallman氏にいわせれば、それはユーザーが本来持っているはずの「権利」ということになる。したがって、昨今話題になっている「オープンソースソフトウェア」も、Stallman氏にとっては「不完全なフリーソフトウェア」としか映らず、そのため彼は機会あるごとに、「ソースコードを公開するだけでは真のフリーソフトウェアとはいえない」と力説している。

 「過激すぎる」といわれるStallman氏の考え方に与するかどうかはともかく、GPLによって保護されたソフトウェアを利用するユーザーは、こうしたソフトウェアの自由を妨げてはいけないという使用許諾条件を遵守する必要がある。具体的にいえば、GPLのソフトウェアに利用を制限するような別のライセンスを付加して配布することはできないし(利用の自由)、プログラムは必ずソースコードを入手できるようにしなければならない(改変の自由)。また、再配布する際には、ソフトウェアそのものの対価(配布手数料などの実費を除く)として金額を要求してはならないし、オリジナルの入手先(方法)を示すとともに、それがGPLによって保護されていることをきちんと伝えなくてはいけない(再配布の自由)。

 Linuxと、それを利用するユーザーとの関係が「金銭だけでケリがつく『無機質な』関係ではない」といういい方をしたのは、Linux(カーネル)がGPLに基づいて配布されており、そのユーザーは、フリーソフトウェアであることを守る「義務」があるからなのである。その意味で、Linuxのユーザーたるものは、フリーソフトウェアに無頓着であってはいけないと思うのだ。

「Linuxのウソ」というタイトルで、「Linuxそのもののウソ」という内容を想像された方、ゴメンナサイ。ここでは「Linuxについてよく言われるフレーズの『ウソ』」という意味で使っています。

(風穴江)

風穴 江/かざあな こう

プロフィール

風穴江

「月刊スーパーアスキー」誌(1998年7月号で休刊)にて1993年ごろからLinux連載を担当。1998年3月からフリーに。1999年4月1日からは「月刊Linux Japan」(LASER5出版局)の編集長も務める(エイプリルフールではない)。1967年、青森県生まれ。青森県立八戸高校卒。

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