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Linuxの現在

1999年07月24日 02時14分更新

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 テンアートニは、Webtopコンピューティングの実現を理念に、LinuxによるネットワークシステムをベースとしてJavaでのアプリケーションシステムを提案してきました。Javaは、一時期のブームが過ぎて衰退したと思っている方も多いと思います。それは、大きな間違いです。水面下では、Javaによる開発ラッシュが起きています。そう、インターネット/イントラネットの普及によって、システム開発プロダクトして浸透したのです。Javaの話は、いずれかの機会に譲り、Linuxに話題を切り替えましょう。

 さて、ご存知のようにLinuxは、サーバOSを糸口に一般に普及し始めました。雑誌のタイトルだけみていると、ここ数カ月でLinuxが一気にメジャーシーンに踊り出た感じでしょうか。しかし、企業ユーザーがためらいなく導入する状況にはなっていません。では、今はどんな状況でしょうか。ちょうど10年前にも、このような状況を体験したことがあります。コンピュータでは、10年大昔ですが、ちょっとタイムスリップして見ましょう。

 その頃、パソコンは、16bit機が普及して、MS-DOSが標準OSとして搭載されていました。パソコンは、主に表計算やワープロなどに利用されていました。すると、ファイル共有とプリンタ共有が必要になりました。当時のインターネットは、学校と研究所のみなので、企業ユーザーはLANなどのパソコンによるネットワークとはほとんど無縁でした。米国市場では、米NovellのNetWareが市場シェアを拡大していました。NetWareは、MicrosoftのMicrosoft Network、LAN Managerと強敵を打ち破り、文字とおりトップシェアの道を歩んでいました。しかし、日本のパソコンユーザーは、スタンドアロンで使用していたのです。

 私が勤務していた会社は、いち早くNetWareの良さを見抜き、日本語対応NetWareの販売を開始しました。これは、英語版NetWareに日本語をかぶせる方法で日本語対応した製品です。まるで、今日の日本語対応したLinuxのようですね。最初は、外資系を中心に販売数を伸ばしました。また、dbase IIIでデータベース処理を行なうパワーユーザーにも受け入れられました。しかし、一般の日本の企業には、なかなか受け入れられませんでした。結局、正式な日本語化と、コミットする日本の企業が必要だったのです。その証拠にNovellの日本法人ができてからは、売れ行きが倍以上に跳ね上がったのです。それも、試験用としてメーカーやSIなどから大きな受注の波がありました。それがおさまる頃には、大手ユーザーから中小ユーザーまで、幅広いユーザーからの受注の波が続きました。

 当時がバブルだったから、こんなに売れたのではありません。ポイントは、日本語化と責任を取る日本企業の存在です。代理店などではなく、最終責任を取る会社(実際にそんな会社はありません)が必要なのです。この構図は、いまだに変わっていません。この辺の詳しい話は、次回にしましょう。

(テンアートニ 佐藤栄一)

テンアートニ

プロフィール
 創立記念日は、Javaが発表された5月23日。1社独占のパソコン環境を、エンドユーザー主導へ導きます。創立してやっと3年目、JavaやLinuxを大学で経験した超若手から、彼らが生まれる前からコンピュータ業界にいる超ベテランまで、多種多様な人間であふれています

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