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塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第16回

塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”

デジタルの時間軸

2008年09月07日 15時00分更新

文● 塩澤一洋 イラスト●たかぎ*のぶこ

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 しかし、それがデジタルになると、判決年月日を文字で読み取らない限り、新しい裁判例も古い裁判例もまったく同じ様相でモニターに表示される。現状のデジタルツールでは、「時間の経過」は感じ取りにくいのである。従って、そうしたデジタル情報に接するときには、アナログであれば無意識に得ていたはずの要素を、意識して自ら取得するように心がける必要があるのだ。メディアリテラシーのひとつである。

 人間には五感がある。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。このうち、現在の一般的なメディアが伝えられるのは、視覚と聴覚に関する情報のみ。つまり、いまのところ「メディア」とはいわば「目で耳(メでイヤー)」なのだ。

 リアルな世界であれば五感を駆使して感じ取れるもののうち、メディアを通った情報というのは多くの場合、目と耳で感じ取る情報しか伝えない。におい、味、手触りから得るべき情報はほとんど省略されてしまっているのだ。いわばデジタル情報における「失われた感触」である。

 たとえば、コンサートに行って感じ取れる会場の熱気やライブハウスのにおい、体で感じる音の振動といったものは、ウェブ、テレビ、CD、DVDを通しては、想像することしかできない。メディアと接するときは、この「失われた感触」の存在を意識することが大切である。

 逆に、何らかの表現をする際には、その身体感覚をできるだけ再現できるように心がける。アナログな表現であってもたとえば文芸作品では擬態語や比喩といった技法によってリアリティーを伝えようとするし、ゲームの世界ではすでに、「体感」できるものが増えてきている。ヴァーチャルな世界をよりリアルに近づけるために、人の五感に訴えるべく、長年にわたってさまざまな表現手段が模索され続けているのだ。


(次ページに続く)

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