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2社合同「秋葉原トーク・デスマッチ」(前編)

電気街はなぜ「萌え」たのか?──ASCII×ITmedia対談

2008年07月30日 16時00分更新

文● 藤山哲人

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電子工作と戯れる小学生時代


 さてアキバデビュー当初、小学生の筆者にとって秋葉原と言えば、ガード下のパーツ屋がすべてで、中央通りを越えることはなかった。

ラジオセンター

ガード下にあるラジオセンター。写真は開店前のひっそりとしたひととき

 最初は時計やらラジオのキットを作って遊んでいたが、完動するのは5割ぐらい。半田の腕が甘チャンだったのだ。そりゃそーだわ、小学生だもん。

 しかしキットの種類はそんなにあるわけでなく、やがて電子工作雑誌の工作記事の切り抜きを持っては、店のおじさんに見てもらって部品を手に入れ、基板をエッチング(全面銅箔の基板にマジックで回路を書いて、特殊な液で銅箔を溶かす)するという生意気なクソガキになっていた。とはいえ回路図はさっぱり読めないので、パーツの実装図面がある工作記事専門だ。

在りし日の交通博物館(左)と、館内で展示されていた運転台シミュレーター(右)。機械を操作すると奥の台車が実際に動く

 そして当時は空前の鉄道ブームの真っただ中だったので、帰りには交通博物館によって、何度も何度も運転台シミュレーターで遊んでいた(関連記事)。


 操作すると反応するものが好きなのだ。

運転台シミュレーター マスコンで台車のモーターが動き、ブレーキ弁を操作するとブレーキがかかるって単純なヤツ。当然、運転台の前に流れる風景なんて映りゃしない



「ポケコン」なるものもあった


 今でこそパソコン自体が手のひらサイズにまで小さくなったが、パソコンが登場する以前、手のひらサイズのコンピューター「ポケットコンピューター」(ポケコン)があった。

 コンピューターと言っても、理系の学生が使う関数電卓にプログラミング機能が付いた程度のもの。画面は1行のみで、数十文字のアルファベットとカタカナが表示できるぐらいだ。

 中学時代、親が仕事用に買ってきたそんなポケコンがコンピューターとのはじめての出会いになった。プログラムを作るといちいち面白く反応することにハマり、強引に自分のものにしてBASICをマスター。仕方なく親は「PC-1501」というポケコンを新しく買ってきたが、コレも筆者が強奪してプログラミングしまくった!

PC-1251

シャープのポケコン「PC-1251」。1982年発売

PC-1500

ちょっと高性能なポケコン「PC-1500」こちらも1982年発売

 このころまで秋葉原は家電とアマチュア無線の街だったが、ポケットコンピューター登場の前後でマイコン(まだパソコンと呼ばれていなかった)が流行して、ラジオ会館は一斉にマイコンショップに切り替わり始める。

 文字がディスプレーに表示されるってだけで感動し、アキバの店頭にあるマイコンを何時間も占有して、雑誌のプログラムを打ち込んで遊んでた。今思えば店の方も、マイコン小僧たちが店のマイコンにプログラムを勝手に打ち込んで残していくので、自由に触らせていたようだ。「MZ-80」シリーズ(1978年〜)や「PC-8000」シリーズ(1979年〜)、「BASIC MASTER」シリーズ(1978年〜)などには、いつも人だかりができていたのを記憶している。

 このころには、中央通りを越えてラオックス・ザ・コンピューター館界隈(通称「ザ・コン」。当時はまだなかった)まで足を伸ばしていたが、中央通りに面した店は大型家電販売店。一歩路地を入るとジャンク屋だらけで、ひときわ人を集めていたのが、「ザ・コン」が建つ前にあった「国際ラジオ」という店。

当時アキバ飯を食うと言えば「牛丼 どんどん」か、アキハバラデパートぐらいだった(左)。そこで昼を食べに中央通りを渡ってザ・コンのブロックへ。「牛丼 どんどん」は閉店し、現在はラーメン屋になっている(右)

 工作に必要不可欠な線材が安く買えるだけでなく、電話機やら公衆電話、なんか業務用のいかつい機械のジャンクが並べられていて、胸をワクワクさせる店だった。

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