さらに教師自身が学校生活を楽しんでいることも大切だ。楽しそうにしている人のところには、自然と人が集まって来て、自分もやってみたくなるからだ。楽しんでいる姿には魅力があるのだ。
教師は授業や講義を楽しく進める。教えているテーマがいかに楽しいか、身をもって伝える。教師自身が本気で楽しんでいれば、児童・生徒・学生も自ずとその楽しさに引き込まれ、楽しさが増幅していく。学校はMacと同じく、「楽しさ増幅装置」なのだ。「学習」が「楽習(がくしゅう)」に、「学校」が「楽校(がっこう)」になる。
そして、大学で行う「学問」もまたとても楽しい。なぜなら学者は、その学問の内容が楽しいから研究しているに違いないからだ。大学の教員は、「学問」がいかに楽しいかを学生たちに伝える責務がある。それが学問の進歩につながるからだ。「学問」を「楽問(がくもん)」にする場が大学、いや「大楽(だいがく)」だ。事実、大いに楽しい。もし学問が「我苦悶(がくもん)」だったら、ほかにもっと楽しいことをするほうがいい。
私は'07年7月末に帰国し、2年ぶりに秋から日本の教壇に復帰する。自ら「学問の楽しさ増幅装置」となって、学生たちとともに「楽問」するのが、いまから大いに楽しみだ。
筆者紹介─塩澤一洋
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「難しいことをやさしくするのが学者の役目、それを面白くするのが教師の役目」がモットーの成蹊大学法学部教授。専門は民法や著作権法などの法律学。表現を追求する過程でMacと出会い、六法全書とともに欠かせぬツールに。2年間、アップルのお膝元であるシリコンバレーに滞在。アップルを生で感じた経験などを生かして、現在の「大公開時代」を説く。
(MacPeople 2007年9月号より転載)









