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塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第14回

塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”

DRMのない音楽配信

2008年08月24日 15時00分更新

文● 塩澤一洋 イラスト●たかぎ*のぶこ

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 iTunes Storeでは、従来の128kbpsのファイルが1曲99セント(日本では150円もしくは200円)で売られている。他方、Plusの256kbpsのファイルは1.29ドル(同200円もしくは270円)。3割ほど高い価格設定だ。音質の向上だけでもその差額ぶんの恩恵はある。しかし両者の本質的な差は、DRMの有無にこそ存在しているのだ。

 DRMは「Digital Rights Managemant」の略。直訳すれば「デジタル著作権管理」。著作権管理と言えば聞こえはいいが、実質的には「コピー制限措置」だ。これが組み込まれているファイルは、規定に従った方法でのコピーや再生のみが可能である。再生機器も制限されてしまう。

 Plusで販売される楽曲ファイルはこのDRMが付いていない。その代わり、「ジャパンiTunes Storeサービス規約」の9条b項(ⅻ)は後段で、「お客様は、個人的かつ非商業目的の使用に合理的に必要な限りにおいて、iTunes Plus商品を複製、保存、ならびに書き込むことができます。」と規定する。この規約に同意してPlusを使うユーザーは、購入した音楽を規約に従って適切に使うと契約したことになる。

 DRMは、すべての人を泥棒と仮定するかのような情けないシステムだ。でも我々は他人の家に鍵がかかっていなくても、勝手に上がり込んで飲み食いしたりしない。鍵の有無に限らず他人の家には入らないのが道義だ。

 DRMも同様だ。DRMフリーだからといって、人々が著作者、著作権者、レコード会社の利益を損ねる使い方をすれば、せっかく歩み寄ってくれたEMIやアップルの尽力を無に帰すことになり、またDRMオンリーの情けない社会に逆戻りする。

 社会が試されているのだ。


(次ページに続く)

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