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塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第12回

塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”

愛はあふれるもの

2008年08月10日 15時00分更新

文● 塩澤一洋 イラスト●たかぎ*のぶこ

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満たされたものはあふれる、何を社会にギブするかが焦点


 インプットとアウトプットを他者との関係からとらえると、「take」(テイク)と「give」(ギブ)に相当する。生まれたばかりの赤ん坊は、母乳を飲んだり、おむつの世話をしてもらったりと、多くのテイクによって生きている。それが次第に笑顔を振りまいたり、指を握り返したり、言葉を発したりと、成長するにつれてギブする範囲を広げていく。

 一方、母親は赤ん坊のテイクに応えるために、際限なくギブし続ける。これこそが「愛」だ。相手を心の底から大切に思う、限りのない愛。母親のみならず、父親も周りの大人も、みんな子どもに対して無償の愛を注ぎ続ける。自分の子は当然、他人の子も同じように大切にする。こうすることで、子どもの心に愛が満ちていく。

 満たされたものはあふれるのが道理だ。十分な愛で満たされた子どもは、他者を大切にする人になる。満たされた心から愛があふれ出て、家族、ペット、友人、そして周りの大人などへと注がれていく。やがて大人になると、自分の子や他人の子どもたちに愛を注ぐのだ。

 こうして愛が無限に循環していく。それは大人がギブし、他者に対する愛を注ぎ続けることによってめぐり続ける壮大なサイクルである。

 インターネットの構造もまったく同じだ。我々が日々目にしているウェブサイトの情報は、すべて誰かが公開したものだ。「give and take」というフレーズが示す通り、誰かがウェブ上にギブしてくれたからこそ、我々はそれをテイクすることができる。


(次ページに続く)

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