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アキバを作った“永遠の店長” ぷらっとホーム 本多弘男会長

“本多のオヤジ”のこと ――店舗の人 本多会長――

2008年07月17日 04時00分更新

文● 塩田紳ニ

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「どうしてそんなに売れるんだ?」

 その後、本多会長と鈴木社長は、「ぷらっとホーム」株式会社を設立する。1993年のことだ。当時の資料を鈴木社長に見せていただいた。これは1992年頃に、本多さんと上野の焼き肉屋で詰めた内容だという。それは、店舗販売以外に、自社製品の開発などを含む、意欲的な内容だった。

事業計画書写真

ぷらっとホームの事業計画書

 「発起人は7人で、資本金は一口50万円。みんな投資するというより、本多会長を応援するつもりで出していただいた」と鈴木社長は語る。最初の社員は鈴木さんと本多会長、そしてアルバイトの3人だった。ただ、鈴木社長が本格的にぷらっとホームの仕事に入るのは、3年ほど後のこと。実質、立ち上げ期は、本多会長とアルバイトだけだった。

本多会長と鈴木社長の写真

本多会長と鈴木社長

 ほかでは扱っていないようなキーボードやポインティングデバイス、8台ものコンピュータをつなげるKVM(キーボード/マウス/ディスプレイ切替機)など、やはり、この店も、変わったものが多かった。「品揃え的にも、尖ったやつをやろう」と鈴木社長と本多会長は話していたという。「当時、朝、ファクスをチェックすることから仕事が始まりました。前日海外のメーカーやソフトハウスに送ったファクスの返事が夜の間に着いていたからです」と鈴木社長は語る。国内で販売されていないソフトウェアを空輸したり、海外に出かけてハンドキャリーで持ち込んだりなどしていたそうだ。

 Red Hat LinuxやBeOSなども扱っており、Red Hatのボブ・ヤングやBeのジャン・ルイ・ガセー、各社開発担当者なども日本に来ると必ずぷらっとホームへ立ち寄った。なぜなら、設立当初の彼らの会社の収入の多く部分を「本多のクレジットカードから得ていた」からだ。「どうして、そんなに売れるんだ?」が彼らの決まった質問だったという。

 今では、秋葉原にくる米国人も少なくないが、実は、アメリカには秋葉原のようなところはなく、スーパーマーケットのようなPCショップが点在するだけ、その他は、通信販売である。だから、よほど変わった店にでもいかないかぎり、アメリカ人がLinuxにいきなり遭遇するということはなかったのだ。しかし、秋葉原には、さまざまな店があり、Linuxをここではじめて知った人も少なくない。

 ぷらっとホームは、店舗での販売とは別に、Linuxサーバーなども手がけることになった。1996年ぐらいからだったが、メーカーからの出荷数を累計している調査会社の資料では、Linuxサーバーの年間出荷台数が数千台となっているころ、ぷらっとホームは、8000台以上のLinuxサーバーを出荷していた。主な客は、インターネット関連。特に増え始めた独立系のISPである。ただ、製造は、近くに借りたアパートで、そこでアルバイトたちとハードを組み上げて、OSをインストールして出荷していたという。

 本多会長は、Linux協会の設立を手伝ったり、サーバーを社内に設置するなどの支援をユーザーグループに対して行う。しかし、相変わらず、店舗でなじみ客が来ると話込んだりしていた。筆者も、立ち寄ったときにコーヒーをごちそうになったことがある。

次ページ「変わる秋葉原」に続く

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