塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第9回
塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”
世界の中心で“I”を叫ぶ
2008年07月20日 15時00分更新
このような社会において“I"を説明するための言語、“I"を表現するための言語、それが英語だ。“I"こそ英語の核心。だから、英語を教えるなら、“I"から始めるのだ。私が英語の教師なら、中学最初の英語の授業は“I"に終始するだろう。
言語の習得において、文法を理解したり、語彙をふくらますことはもちろん必要だ。でもその言語社会に生きる人々とその言語を使って交流する際に最も大切なのは、その言語の基礎にある思考様式に則ることだ。相手の文化に寄り添う、といってもいい。英語でコミュニケートするとき、“I"を原点とする英語人たちの志向を理解していれば、やり取りも滑らかになる。
米国社会はこれまで、“I"を表現し、自己の存在や思想、情報を他人に伝達するための媒体を増やしてきた。街にはあちこちに掲示板があって、さまざまな張り紙が掲出されている。そこには、当然のように連絡先として氏名・電話番号・メールアドレスなどが記載されている。各家庭には毎日、有料、無料の新聞が配達される。ケーブルテレビのチャンネル数は何十もある。FM局に至っては、0.2MHz刻みで異なる放送局が番組を放送しているうえ、ちょっと地域が変われば同じ周波数でも異なる放送が流れている。
自分の声を遠くに届かせよう、より多くの人に聞いてもらおうとする人々の意欲は、こうして多様な媒体を発達させてきた。米国主導で発展してきたインターネットもその延長線上にある。ブログやポッドキャストのような新たな仕組みは“I"表現のフロンティアだ。
だから英語人が書くブログは本名や顔写真を出しているものが多い。“I"を表現するために書いているのだから当たり前だ。自分が考えていることを世界に知らしめるためにブログを書き、自分の表現を人に伝えたいから、作った音楽、撮った写真や映像を公開する。この新しい仕組みは、“I"を表現し、“I"を公開するのにピッタリ。「英語人」たちは常に、「自分」という世界の中心で“I"を叫んでいるのだ。
(次ページに続く)
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