塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第8回
塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”
表現する動機
2008年07月13日 15時00分更新
プロもアマもない。誰もが著作物の著作者であったり、権利者であったり、利用者であったりする。個人も企業も、たいがいこの三者の立場を併せ持っている。
とすると、著作権制度の内容を変えることは、常に「みんなの問題」である。保護期間の延長のように権利の範囲を広げる方向で変更しようとするなら、それが創作行為や利用行為にどのような影響を与えるのか、国民はそれを許容できるのかをよくよく検討することが必要だ。
ここで「国民」というとき、それは現在の国民のみならず、50年後、100年後の国民を含む。いったん発生した著作権は著作者の生存中+死後50年間にわたって保護され続けるから、100年以上の長きにわたって存続することも少なくない。だから、著作権制度を考えるときは、現時点での近視眼的な利害でなく、遠い将来の日本の文化、社会を展望することが必須なのだ。
折しも世は大公開時代。人々が自分の表現を社会に向けて公開することが、格段に容易になっている。20世紀までは、一部の「プロ」のみが表現をパブリックに公開する手段を持っていた。しかし21世紀は違う。ブログ、ポッドキャスト、写真やビデオのシェアリング。誰もがわずかなコストで、世界に対して自分の表現を公開し、アイデアを発信する仕組みが整ったのだ。
さらに、これらの仕組みは現在、リンクやコメントによって表現のネットワークを広げることができるようになってきている。これから100年の間には、ますます著作物の「相互利用」が進むに違いない。そんないま、権利を拡大し、著作物の利用をしにくくすることは、現在そして50年後、100年後の国民に歓迎されるだろうか。
(次ページに続く)
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