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塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第8回

塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”

表現する動機

2008年07月13日 15時00分更新

文● 塩澤一洋 イラスト●たかぎ*のぶこ

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 いまや著作権は国民全員の生活に深くかかわっており、権利者だけの問題ではない。例えば、土地や家屋の所有権や賃貸借の制度が、土地の所有権者だけの問題ではなく、それを借りたり買ったりして使うすべての人や企業の問題であるのと同じことだ。

 不動産の賃貸借に関しては、借りて使う側が過大な不利益を被らないようにするため、社会情勢に合わせて、民法や借地借家法といった法律で所有者の権利を制限するなどの調整をはかっている。すべての国民が毎日何らかのかたちで著作物と接するのだから、著作権に関しても不動産同様のバランス感覚が必要だ。そのために、国民がこの問題の身近さと意味をきちんと理解したうえで結論を出したい。「国民会議」の趣旨はそこにある。

 私たちは毎日、さまざまな表現をしている。メール・日記・ブログ・レポートを書く、写真・ムービーを撮る、絵を描く、プレゼン用のスライドを作る……。これらは一部の「プロ」だけの仕事ではない。国民のほとんどが日常的に行う創造的な行為だ。表現のうまいへたを問わず、どれも著作物としての価値は等しい。

 著作物を創作した人は「著作者」と呼ばれるとともに、著作権を保有する権利者(著作権者)となる。ただし、プロの仕事で生み出された作品の著作権は、契約や法規定に基づいて、著作物の流通に携わる法人が保有していることが多い。

 同時に我々は、日々、他人が作ったたくさんの著作物に接している。本・新聞・雑誌を読む、音楽を聴く、ウェブを見る、コンピュータープログラムを使う──およそみな国民は、著作物の利用者なのだ。


(次ページに続く)

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