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塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第5回

塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”

「マネ」の循環

2008年06月22日 15時00分更新

文● 塩澤一洋 イラスト●たかぎ*のぶこ

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オリジナリティーの確立で マネする側からマネされる側へ


 マネの是非を話題にすると、たいがい著作権が引き合いに出される。「マネするのって著作権法違反でしょう?」というように。けれども著作権法は、マネを禁ずる法律ではない。第1条には、著作権法の究極的目的は「文化の発展」だと規定されている。人々がそれぞれのアイデアに基づいて自由に表現し、それを社会に公開することによって、豊かな文化を育むことが目的なのだ。

 だからもしマネが創作的表現につながるのであれば、それを著作権法が禁ずるはずはない。独創的な作品を表現できるようになるまでの道のりは長い。誰でも最初は他人の作品をいくつも模倣し、技法をマネすることで表現の仕方を学び取っていくものだ。

 実際、著作権法は「著作権の目的となつている著作物は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる」(第30条)と規定する。さらに第43条は、同様の目的の場合にはそれを改変して用いることも認めている。表現技術の向上という個人的目的で他人の著作物を複製(マネ)したり自分流にアレンジすることは、基本的に著作権の侵害とはならないし、著作権法違反でもないのである。

 特に教育のプロセスにおいては、「著作権法に反するからマネをしてはいけない」などということがあってはならない。マネは学習の基本だからだ。学ぶとは「マネぶ」、習うは「倣う」に通ずるとされるように、「学習」の基礎には模倣があるのだ。

 著作権法はこのことを別の角度からも明示している。第35条は次のように規定する。「学校その他の教育機関(営利を目的として設置されているものを除く。)において教育を担任する者及び授業を受ける者は、その授業の過程における使用に供することを目的とする場合には、必要と認められる限度において、公表された著作物を複製することができる。


(次ページに続く)

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