仕事に追われ「最近、小説を読んでないなぁ」と感じているビジネスマンも少なくないだろう。しかし、時として小説は未来を見据える先見力を養うのに、格好の教材となりうる。『文学賞メッタ斬り!』の共著者としておなじみの「トヨザキ社長」が、ビジネスに役立つオススメの一冊を贈る。
『夢を与える』
著者:綿矢りさ
フレッシュな新入社員の隠された一面を見たいなら
IT系働きマンの皆さん、パソコンに向かう仕事で目を酷使する毎日、新聞以外は読みたかねーよとお思いでしょうが、芥川賞作家、綿矢りさの新作くらいは読んでおかれたほうがよろしくてよ。名前くらいはご存じでしょ。もしかして、作家ばなれした可愛らしいルックスもご存じでして? でも、りさたんをナメちゃダメ。愛らしいお顔に反して、中身はひょっとしたら皆さんより大人かもしれませんから。
人気タレントに成り上がった女の子が、セックス映像のネット流出により失墜するまでを描いたこの『夢を与える』は、いかにも今風の女の子の姿を描きながら、芸術家小説や私小説といった日本近代文学の流れを総決算するかのようなスタイルをとって挑戦的。過去の文学的遺産に無自覚なまま、自意識の垂れ流しのように稚拙な小説を書き散らしている先行作家の神経を逆なでする、新人とも思えぬ手練れの小説になっているのです。
主人公・夕子は幼い頃から同一メーカーのCMに出演することで「ゆーちゃん」としての成長をお茶の間に提供し続け、「これから先ずっと、普通の、まじめな、いい子の生活を送る」ことをクライアントと約束します。芸能界で大人に囲まれて育ったがゆえに世事に長けてしまった夕子が、母親にこんなことを言い放つシーンが印象的です。
「大学も芸のうちなのよ(略)。私の場合、技術が上がることよりも、私の人生で何かあったほうがいろんな役が来るんだよ」(略) 「他の子と同じように勉強して合格しなくちゃだめ。阿部夕子が本当に人に夢を与える瞬間は、出演している役を演じているときじゃなくて、私自身の人生で、普通の理想の人生を歩んでいるときなんだから。私は私の人生自体で人に夢を与えてるの」
その後、ダンサーの男の子に夢中になり、セフレのごとき関係に堕してもつきあいをやめず、とうとう赤裸々なプライベート映像をネットに流されると、「私はいろんなことが分かった、夕子は乾いた瞳で思った。当たり前のように世間の人々から得ていた信頼がどれだけ貴重なものだったかということ。空を飛び続けられる鳥などいないこと。不安は蓄積するとどこか祈りに似てくること。そして祈りに似た不安は想像以上に残酷なかたちで叶うこと。いつか社長の言っていた女の子の“肉が固くなる”のに、年齢は関係がない、ということも分かった。私は十八歳の今、肉が固くなった」なんて、飯島愛に似合いそうな独白をするんです。
正直、この小説の中で描かれている芸能界は、わたしたちの想像の範疇です。夕子というキャラクターも、彼女の栄光と破滅の物語も、なぞれるタレントの名前がいくらでも浮かんでくるほどステロタイプといえましょう。でも、それでいいのです。先ほど、“日本近代文学の流れを総決算するかのような作品”と書きましたが、芥川賞受賞作『蹴りたい背中』の大ヒットによって若手作家のホープのような位置に据えられてしまった綿矢りさが、3年ぶりの新作でこんな古風といえば古風、ステロタイプといえばステロタイプな貌を見せるという意趣返しをした、その度胸に感心しきりなんですの。
で、そういうしたたかさを象徴するのが、この作品が掲載された「文藝」二○○六年冬号にある著者近況報告。
「今年の3月に大学を卒業しました。大学にはあんなにいっぱい人がいたのに、卒業後も会うほどのお友だちになれた人はごくわずか。ちょっともったいなかったかなあ……」
装ったかのごとく幼いカマトト文章に思わず目まいが……。
IT系働きマンの皆さん、女の子をナメてかかると痛い目にあいましてよ。どうぞ、この小説を読んで、心に50代の遣り手ババアを飼っている22歳若女子のしたたかさに震撼なさってくださいまし。
豊崎 由美(とよざき ゆみ)1961年生まれのライター。「本の雑誌」「GNIZA」などの雑誌で、書評を中心に連載を持つ。共著に『文学賞メッタ斬り!』シリーズ(PARCO出版)と『百年の誤読』(ぴあ)、書評集『そんなに読んで、どうするの?』『どれだけ読めば、気がすむの?』(アスペクト)などがある。趣味は競馬。
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