五感が使えないコミュニケーションに誤解はつきもの
人間がコミュニケーションするときには、視・聴・嗅・味・触覚の五感をすべて使う。それでも誤解が起こるのが意思の疎通のむずかしいところである。
ところがインターネットを使ったコミュニケーションでは、相手と直接会って話すのとくらべ、五感のうちの視覚しか使えない(一部に聴覚)。おまけにその視覚を使ってやり取りされる情報の中身の多くは、「文字」に偏っている。つまりネット・コミュニケーションは、基本的に不自由なものである。
だから悪意などないのに歪んだ解釈をされたり、逆に誤解されがちな表現になってしまうのはよくあることだ。
とすればそんなまちがいが起こりやすいネットの特性を理解した上で、受け手と送り手の双方がそれに注意を払いながらリテラシーを働かせる必要がある。
ではまず受け手の側の問題から行こう。
前述の通り、ネット上のコミュニケーションでは五感をフルに使えない。だから人間の判断は(その予兆を感じると)、より疑う方向へ、悪く解釈する方向へと振り子がふれやすい。
これは急に目隠しされたときのことを想像すればいい。
突然、目が見えなくなったにもかかわらず、あなたは今までと変わりなく平然と道を歩けるだろうか?
きっと見えない前方の空間を手探りし、「何かぶつかる障害物はないか?」と疑うはずだ。万一の事態にあらかじめ備えるため、状況を自動的に悪く解釈するのである。
つまりマイナスの方向へ過剰反応するのは人間の防衛本能であり、ネット上のコミュニケーションではそういう状態(疑心暗鬼)に陥りやすいということだ。
防衛本能は感情的なしこりの原因になる
とすれば情報の受け手の側はそんなネットの特性にもとづき、自問自答してみる必要がある。
「相手は本当に自分に対して悪意があるのか?」
「文字数制限や速く書くためなど、何らかの制約のせいで相手の文言が短く言い切る断定表現になり、それがキツイ印象を与えているだけではないか?」
「(SBMなどで)彼らは示し合わせているわけじゃなく、1人1人がバラバラに自分に対して反対意見をコメントした集積が、たまたま『あの状態』なのではないか?」
身を守るため瞬間的に硬くしたカラダの緊張を解き、「過剰反応だったんじゃないか?」と自分の否定的な解釈を検証してみるのである。
困ったことにこうした防衛本能からくるネガティブな解釈は、自分の「生存」が脅かされていると感じてのものだけに、往々にして人間の情動に強い揺さぶりをかける。感情的なしこりの原因になりやすい。いわゆる「気を悪くする」というやつだ。
そんな状態の人はとかく、「相手は自分に敵意があるにちがいない」という視野狭窄に陥り、なかなか事態を冷静かつ客観的に判断しずらい。
こうした認知の歪みから抜け出すコツは、まず「自分の感覚を疑ってみる」の一語に尽きる。
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