まずは本質的議論ありき
ハイデフィニションの映像・音響表現による完成された芸術作品は、ともすると鑑賞者を受動的な消費者にしてしまう。一方、抽象度の高いシンボリックな俳句や短歌などの芸術表現は、鑑賞する側の積極的な知的解釈の努力を要求する。これらの作品は、読み手が行間を埋める(解釈)という能動性によって完成されると言っても過言ではない。私は、より深いパーソナルな感動を生むという理由で、後者に重きを置きたい。
デジタル化の利便性や効率性、経済性を論じる前に、感動を呼ぶ表現とは何なのかという本質的な議論をまずしっかりと行う必要性を強く感じている。そしてその次に、そのような感動を呼び起こすために、デジタル技術がどのような役割を演じられるのかを考えるべきだろう。残念ながら、世の中では議論の順番が逆になっているような気がしてならない。
(MacPeople 2007年9月号より転載)
筆者紹介─石井裕
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米マサチューセッツ工科大学メディア・ラボ教授。人とデジタル情報、物理環境のシームレスなインターフェースを探求する「Tangible Media Group」を設立・指導するとともに、学内最大のコンソーシアム「Things That Think」の共同ディレクターを務める。'01年には日本人として初めてメディア・ラボの「テニュア」を取得。'06年「CHI Academy」選出。「人生の9割が詰まった」というPowerBook G4を片手に、世界中をエネルギッシュに飛び回る。









