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柿崎俊道の「海外アニメ小話」

「グレンラガン」「アイシールド21」──日本のアニメはベトナムでも作られていたっ!!

2007年12月18日 09時00分更新

文● 柿崎俊道

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台湾のベテランが、ベトナムのアニメーターを育てる


 そんなベトナムスタジオには、そんな彼らを引き締める先生がいる。新人教育を担当する台湾出身のベテランアニメーターだ。

 「台湾には腕のいいアニメーターがそろっているんです。30年ほど前に、国内から大塚康生氏などの実力派アニメーターがこぞって台湾のスタッフを鍛えたことがありました。おかげで台湾は下請けスタジオとしてはトップレベルなんですよ。当時のスタッフは経営側にまわりましたが、アニメの技術は後輩たちへ脈々と受け継がれています。スタジオキャッツにも、そうした台湾の方に来てもらいました。彼は日本のアニメのクオリティーを知っていますから、厳しく指導してくれます」

 アニメーターが動画の仕事を満足にできるようになるためには3年はかかると言われている。ベトナムに進出して2年、スタジオが本格始動して1年目のベトナムスタジオは、まだ始まったばかりである。

 だが、それはベトナムのアニメ産業全体にもいえることだ。ベトナムには日本のほかにも中国、フランス、ドイツといった各国からアニメ制作会社が進出しているが、どの企業も本格的に動き出したのはここ2、3年の話なのだ。



ベトナムで、アニメ産業が根付くためには?


 しかし、ベトナムの経済が発展して人件費が高くなったら、韓国、台湾がたどってきたように、下請けに出す「うま味」が薄らいでしまうのではないだろうか。工藤さんも、そのことを心配する。

 「どんな国でもそうですけど、経済発展に勢いがつくと、賃金が安くて、インフラが整っていて、教育水準が高いという時期はあっという間に過ぎてしまうんですよね(笑)。ベトナムのGDP成長率がこのまま伸びていくとするなら、あと5年から10年くらいで下請けとしての魅力は失ってしまうと思います」

 日本を振り返ってみれば、僕らも同じかもしれない。アニメが産業として急成長をしたのは60〜70年代。高度成長期と言われた時代である。人々は賃金が安くても、これからどんどん稼げるだろうと夢を持って、つらい仕事もつらいとは思わずにこなしてきた。現在でも活躍している50代、60代のトップクリエーターは、例外なくこの時代に名乗りを上げた人々である。

 ただし、60年代と今とではスピードが違う。

 日本の高度成長期は20年続いたが、グローバル化が進んだ今の世界は、外国資本が流れ込み始めると、どんな国でもあっという間に発展してしまう。自国にアニメ産業が根付く前に他業種の賃金が上がれば、アニメ好きの若者たちが割のいい職種を選んでしまうかもしれない。


(次ページに続く)

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