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石井裕の“デジタルの感触” 第17回

石井裕の“デジタルの感触”

思考とツールのインピーダンス・マッチング

2007年11月11日 01時41分更新

文● 石井裕(MITメディア・ラボ教授)

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インピーダンス・ミスマッチング


 先ほどインピーダンス・マッチングという言葉を使ったが、ここでは「インピーダンス・ミスマッチング」の例について書きたい。

 私がまだ若かったころ、最初期のデスクトップ・パブリッシング(DTP)が一大旋風を巻き起こした。スクリーンで見たままのイメージをレーザープリンターから美しく印刷できる「WYSIWYG」(What You See is What You Get)の世界に強く魅せられてしまった。その結果、こともあろうに当時アルダス社が開発していた「Page Maker」を思考の道具として使うという愚かな過ちを犯してしまったのだ。

 2次元のページレイアウトにどのようにして情報を美しくレイアウトするかという非本質的な問題ばかりが前面に出てきてしまい、本来集中して考えるべき思考の論理構造はなおざりになる。表面的なページデザインに神経が向いてしまった結果は、もちろん散々たるものとなった。

 レーザープリンターから出力されるシャープなフォントや図形群による表面的な美しさは、本来力を注ぐべきだった文章の説得力の欠如を覆い隠す。一見完成した文章を思わせる美しい印刷結果と、そのためのレイアウト編集作業は、思考を先鋭化するプロセスに対してほとんど貢献してくれなかった。



構造化レベルに適したツールの選択


 仕事が必要とする情報構造と、ツールが支援する情報構造の間のインピーダンス・マッチングは、適切なツールを選ぶための必要条件である。特にその仕事が思考の上流工程に位置するのか、それとも下流工程に位置するかによって、ツールが内包するデータ構造の強さに関して適度な構造化レベルを選ぶことが重要になってくる。簡単な例を挙げよう。

  1. 「紙」
  2. 「テキストエディター」
  3. 「表」
  4. 「スプレッドシート」
  5. 「リレーショナル・データベース」

 このリストを下るほど、より強い特殊なデータ構造が内包されていく。

 紙は鉛筆を使って何でも書くことができる。文字でも数式でも、図表でも、絵でも何でも構わない。すなわち、紙の上に鉛筆で表現できるデータ構造は極めて自由である。

 続くテキストエディターは、データ構造は一次元的な文字列に限定されるが、それでも比較的自由に好きな内容を入力可能だ。

 表は、2次元の表形式というデータ構造を内包し、関係構造の表現を助けてくれる。スプレッドシートの場合には、データの入ったセルの間に多様な数式によって「制約関係」を定義できる。さらにマクロ機能を用いて簡単なプログラミングも実現する。これは、それ以前のツールに比べて、より強い特殊なデータ構造を内包しているということだ。

 最後のリレーショナル・データベースは、関係代数の理論に基づいた情報の管理/表示/検索をパワフルに提供する。しかし、テキストエディターや表のような自由度はない。

 ここでの重要な課題は、思考が上流から下流へと向かってより明確な構造を持ち始めるに従い、それに呼応した適切なレベルの情報構造化ツールを選び取ることである。しかし、それぞれのステージごとにほかのツールへとスイッチするとしても、それは思考の流れを一貫して支援する観点からは必ずしも好ましいとは言えない。ユーザーの思考の進展に応じて、ダイナミックに構造化のレベルを変えられる柔軟な知的生産の道具が、これから強く求められるだろう。

(MacPeople 2006年11月号より転載)


筆者紹介─石井裕


著者近影

米マサチューセッツ工科大学メディア・ラボ教授。人とデジタル情報、物理環境のシームレスなインターフェースを探求する「Tangible Media Group」を設立・指導するとともに、学内最大のコンソーシアム「Things That Think」の共同ディレクターを務める。'01年には日本人として初めてメディア・ラボの「テニュア」を取得。'06年「CHI Academy」選出。「人生の9割が詰まった」というPowerBook G4を片手に、世界中をエネルギッシュに飛び回る。



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