松井功さん(44歳)
株式会社インターアクティブデザイン 代表
インターアクティブデザインの松井さんは、友人や知り合い約10人から出資金400万円を募り、1997年に起業。会社規模を順調に拡大させていくが、共同経営者や社内スタッフとのコミュニケーション不足が原因で、一時期存続の危機に陥る。それを期に原点に返り、経営、社員、そして会社とは何かを改めて考えることになった。起業と運営の厳しさ、そして社内コミュニケーションの大切さなどについて話を聞いた。
起業までの道のり | |
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1986年 | 大学卒業 |
1986年 | 大手システム開発会社に入社 |
1988年 | 系列の総研(シンクタンク)に異動 |
1990年 | 元の部署に戻り、マルチメディア利用技術の研究開発に着手 |
1997年 | 有限会社ビューテックラボを設立 |
1997年 | 株式会社化 |
2006年 | 株式会社ウェブワーカーズと合併、株式会社インターアクティブデザインに |
コンピュータと人の親和性を追求して、よりよいシステムを作る
大学卒業後、松井さんは大手システム開発会社に入社した。そこで松井さんは、パソコンのミドルウェア開発の仕事に就く。そして入社2年半ほど経過したとき、松井さんのもとに系列の総研への出向の話がきた。松井さんは総研への出向を承諾する。時代は大型の汎用機からパソコンへシフトしていたときであり、誰もがコンピュータを使えるようにするユーザインタフェースを研究するのが目的だった。
「一部の人にパソコンが少しずつ使われ始めていた1988年頃、コンピュータを分かりやすい、使いやすいものにすることを目指した研究に従事していました。ディスプレイの記号や文字、デザインをどう認識するかといったことから、社会の中のコンピュータの役割、コンピュータだけでない社会科学的なことまで、広範囲に及ぶ研究です。その研究の中で、MIT(注1)のメディアラボを見学したとき、今ではあたり前になった約1600万色というカラー表示を見て、衝撃を受けた憶えがあります。その頃マルチメディアという言葉が流行っていて、コンピュータと人の親和性が言われ始めていました」
注1:MIT
マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)の略称。
2年の総研勤務を終え、元の部署に戻った松井さんはMITのメディアラボで体験した「人にやさしいコンピュータ」を実現しようとする。そして誕生したのがタッチパネルで商品を選んでいくシステムである。今では当たり前のような技術であるが、当時としては非常に画期的なものであった。松井さんはデザイン面、ユーザビリティなどの面で、このシステムを追求したいと考えていた。しかし、マルチメディア時代に対応した仕事を会社でやるには限界があったという。会社は、研究開発への理解は示してくれていたものの、まだ海のものとも山のものともつかぬマルチメディア分野への本格的な進出には、至らなかったのである。そこで独立を決意する。
「自分たちがやっていたタッチパネルと同じようなシステムでも、他社がやっているものは精度やデザインにもレベルの低いものがまかり通っていたんです。そこで、私たちはそれではダメだ、自分たちは創造性を大切にし、より美しいものを作り、世に出そうと考えました。そこで設立した会社には、ビューティとテクノロジーを合わせた造語で、ビューテックラボという名称を付けました。1997年のことです」
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