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遠藤諭の“ご提案” 第4回

パックマン世界選手権

2007年07月16日 07時00分更新

文● 遠藤諭

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【参考】
パックマンに於ける日米決戦


 東中野から大久保に向かう途中に、8080というゲームセンターがある。

 8080とえば、かつてのマイコン少年たちにすれば、涙も出るような往年の超ベストセラー・マイクロ・プロセッサの名前。ボクもこいつをのせたTK80という日本電気のマイコン・キットをいじくりまわしていたことがあった。それぞれわずか1KずつのROM、RAMにちなんで“キャメル”とニックネームしていたものである。

 例のインベーダ・ブームの頃で、あのゲームには、モトローラの6809という最新型のマイクロ・プロセッサに、やはりNASA御用達で知られるラムテックのディスプレイが使用されているのだと、当時のマイコン少年たちは噂したもんである。

 そんなボクが、一躍それをプレイする方のゲーム・ドランカーに変身してしまったのは、ほかでもないあの“パックマン”が登場してからのことであった。

 毎晩、9時か10時頃、それまであふれていたガキどもが家に帰ったのを見計らって、電話で上田ボーイというのを呼び出す。この男、テレビゲームのために神奈川県相模原から大久保に引っ越してきたというくらいのゲーム・フリークである。

 まず吉野屋の牛丼で腹ごしらえ。それから2台のオートバイを駆って北新宿のゲーム・センターに参じるのである。そして、やるのは決まってパックマンのみ(まれにコピー版のパクパクマンやパックワンであったりもしたが)、他のゲームには全く目もくれない、ボクらは真性パックマニアだったのだ。

 パックマンは80年6月にナムコから発売されたドットイート型テレビゲームの傑作で、レバーを使ってパックマンを操作し、迷路上の240個のドットとパワーエサを食べるゲーム。画面上には、プレイヤーをつけ狙う4匹のモンスター、ブリンキー(赤)、ピンキー(桃色)、ウィンキー(緑色)、ポーキー(オレンジ)がいてパックマンを追いまわすが、パワー・エサを食べた後のブルーコンディションの時には、逆にモンスターをやっつけることができる。また、画面ごとに2回、果物と呼ばれる(スロットマシンのキャラクターを使った)ボーナスドットがあらわれ、これが変わってゆくに従ってモンスターの動きも速くなるなど、難易度も増すという仕掛けになっている。

 ボクらは、何時間も、頭がヘロヘロになるまでパックマンをやった。牛丼にしこたまかけた七味唐がらしのせいもあって、何かに憑かれたように、ただレバーを握り続けたのだ。

 何日も何日もそんな日が続いた。

 ああ、一体ここでこうして、ボクと上田ボーイが、あのニクらしくも可愛いモンスターどもと熱い熱いバトルを輪廻し続けているなんて、この世の誰が見とめてくれるのかしら。なんて、ちょっと思ったりして。しかし、「ボヘッ」という例の音がしてまた開始である。

 上田ボーイのパックマンは、ひとことでいってスピードと強気な動きを身上とする、言わば「攻め」のパックマンで、ハンドルの操作にも力が入る。一方、ボクのパックマンは、逆にモンスターの動きを見てじっと待ってみたり、やりすごしたりするという、「待ち」のパックマンとも言えるものだった。これが案外と見ていて「あ!」というくらいの違いがあっておもしろい。ボクらは互いのスタイルを認めあい、そして、それぞれの技術の向上をたたえあったものだ。

 そんなパックマンだが、この日本で生まれた“電子オニゴッコ”ともいうべきゲームは、アメリカで日本では起きなかったような大流行となったらしい。

 全米で、果物やパワーエサならぬ大量の25セント硬貨をパクつきまくったのである。“MASTERING・PAC・MAN”というパックマンをプレイするための実用書が、ノンフィックション部門の売り上げでベスト10入りしたり、パックマンの発売元ナムコの社長が『TIME』誌の表紙を飾ったり、はたまた、大統領選挙での某有力候補の運動のひとつに「パックマンやり放題」というのがあったなど、日本に於けるインベーダー熱どころではない相当の盛り上がりだったわけだ。

 ところが、日本ではこのロング・セラー・ゲームもそろそろ探さないと見つからないようになってきた。つまり、新作のゲームに押されて、置いていない店が出てきたわけだ。ボクらパックマニアは、棲みなれた大久保を離れ、まだパックマンの残っている安息の地・下北沢に移動しなければならなかったのである。

 ところで、アメリカに於けるパックマンだが、これが『パックマン攻略法』みたいな本が何冊か出ていて、おおむねその状況をつかむことができる。

 たとえば、先日も“SCORE!BEATING・THE・TOP・16・GAMES”という本のパックマンの章を読む機会があった。もちろん、アメリカのパックマンといえども基本的には日本のものと全く同じ、その高得点獲得法を解説しているわけなのだが、どうやらアメリカでは、流行しすぎたため上級者向けのハイスピード・バージョンが登場していたらしい。

 (こうした例は、ボクの友人のもうひとりのゲームファッカー高倉健二くんによれば、彼が第二位となったタイトー主催のインベーダー選手権決勝(ブームのさなか新宿ミラノのゲームセンターで行われた)でオリジナルを遙かに凌ぐハード・インベーダーが登場したが一般にはデビューしなかったそうである)。

 ところで、“MASTERING・PAC・MAN”の著者でもあるその本の著者KEN・USTON氏のすすめるテクニックだが、非常に興味深いのは、あの当時、上田ボーイとボクが連日のパックマンによって、それぞれがしだいに体得したいくつかの手法と、全く同じ考え方がそこに書かれているということだ。

 しかも、あろうことか、KEN・USTON氏の基本パターンは、上田ボーイのそれに酷似しているのである!

 先日、このことを本人に伝えたら、

 「あっ、ホントだ」 と言いつつも、目は、わずかに異なる画面上部でのルートを鋭くトレースしていて、

 「なるほど、ウーむ」 などと、指をボキボキ鳴らしながらさかんにうなづいているのである。

 まあ、当然といえば当然のことなのかも知れないけれど、日本とアメリカで、全く別の人間たちが、ひとつのテレビ・ゲームから、おそらく製作者も読んでいなかったようないくつかのルールやテクニックを引っ張り出していたというわけなのである。

 しかし、そこは、日本チームの方がパックマン発祥の地。アメリカ組も相当のテクニックとパワーを持っていたことは認めるが、わずかにわれわれの方が上を行っていたのではなかろうか? と思われるのである。

 パックマンに於ける超美技中の超美技といえば、パワーエサ付近の通路をたくみに選択し、4匹のモンスターに前後はさまれながらパワーエサに向かうという“平行移動”とボクらが呼んだ技。それからもっとスゴイのが、画面下中央などで、赤いモンスターが全速力で突進してくるときに逆にモンスターに向かってパックマンを翻し、スリ抜けてしまうという“四次元クロス・プレイ”というのもある。これなど、千回以上パックマンをプレイしているパックマニアなら一度ならず体験してるであろう現象で、一種のプログラムのバグなのだが、これを意図的に行うには、やはりその十倍以上の練習が必要である。この辺のレベルまではアメリカ組のKEN・USTON氏、残念ながら達していなかったようだ。

 てな感じで、まずはパックマンに於いて日本勢が面目を保ったかのように見えたのだが、敵もさすがは日夜数百万台のゲーム機が稼働するというアメリカ国、その物量にものいわせて反撃に出てくるのであった。

 いやいや、物量だけの問題じゃあない。まったく凄いパックマニアという呼び名にふさわしい連中が、やはり、ウーム、いたのですね。

 えっと、それはどういうことかというと、その後手に入れた“THE・WINERS・BOOK・OF・VIDEO・GAME”という本なのです。

 この本、前出のような入門者向けのハウ・ツー本ではない。もはや、それらのゲームの多くを手中にした者、そして、常に自らの技術を磨きつつ、次なるゲームの出現に細心の注意を払い続けている重症ゲーム・ドランカーのためのバイブルのような本なのである。そして、登場するのが“GET・ブラザーズ”と呼ばれた、栄光のパックマン・レイヤーたちなのであった。

 彼らはどれだけスゴイか? 彼らの存在によってアメリカに於けるパックマンの本場がサンフランシスコとなったことは間違いなさそうである。彼らは、その腕だけでアメリカ・ビデオ・ゲーム史上の伝説上の人物となったのだ。

 彼らもまた、GETパターンはじめとする必勝パターンをあみだしてプレイしているわけであるが、その構造、どのようにして画面上の240のドット、4個のパワー・エサ、4匹のモンスター、そして果物を食べるかは、KEN・USTON氏はもちろん、残念ながら日本勢のポクらの上を行っていたことを認めざるをえないのである。

 22歳の中国系青年、GEORGE・HUANG、そして、GEORGEとともにUCDで数学の学位をとり、現在ドクターのプログラムにいるED・BAZO、その名も“パックマン・キャピタル”というドーナツ屋のオヤジTOM・FERTADO(36歳)の、つまり、GETブラザーズとは、G、E、T、のイニシャルを持つ3人のパックマニアからなる。

 彼らは牛丼ではなく、ドーナツをパクつきながらパックマンをプレイし続けたという。GEORGEは、一匹のパックマンで48時間プレイしたこともあるという。そして、彼らGET・ブラザーズのプレイするところには、その鮮やかなプレイを一目見ようと常に20~30人のファンが彼らを囲んだ。そこでゲームが終わるのはモンスターに食べられたからではなく、彼らがゲームをやめるからであるという。

 彼らのパターンとしてはまず、リンゴから8番目のキー(ボーナス点のつく果物は、十四画面目からキーしか表示されなくなる)まで有効とされる“GET”というパターンがある。パワーエサを食べる部分に関しては検討の余地を残しているようだが、実にシンプルかつ効率的である。ワープトンネルを使わないというのも大きな特徴といえるだろう。

 9番目のキー以降に使われる“BAZO'S・BREAKER”は、パワーエサの食べ方も含めた一筆書きに近いパターンで、当然のことながらこのパターンでプレイするとゲームは常に51秒ジャストで完了するという。これはもはやパックマンの“完全解”に近いものではなかろうか?

 もちろん、彼らはパターン以外にも多くのテクニックを持ってていて、たとえば、もっともやさしいところでは、4匹のモンスターが完全にパックマンを見失ったままにできるというこれはボクの“四次元クロスプレイ”に似た一種のプログラムのバグを逆手にとった技で、あるタイミングでパックマンをスタート地点にもどし、すぐ右上の角に上向きに停めることで発生する。これによってプレイヤーは形勢の変化を持つことが出来るばかりか、親子代々百年間このゲームを少しずつ続けることだってできる!

 しかし、ボクがもっとも彼らに「負けた」と思わせられたのは、こういったパターンや細かなテクニックではない。たぶん細かなテクニックだけならボクらはそれほど彼等に劣っていたわけではないだろう。それではGETブラザーズのどこがスゴイのかというと、彼らは彼らが“CHOMPER”と呼ぶパックマンだけでなく、同じパックマンの住人である4匹のモンスターはじめとする、パックマン・ワールドの全ての現象について深い理解を求めようとしていた点である。この点で、ただモンスターとやりあうことで精一杯だったボクらとは基本的に異なっているといわざるをえない。

 参考までに付け加えておくと、4匹のモンスターにはそれぞれ「追いかけ」「待ち伏せ」「おとぼけ」「気紛れ」といった性格のほか、それぞれが好きなコーナーを持っている。ブリンキーは右上、ピンキーは左上、ウィンキーは右下、ポーキーは左下である。もっとも、ゲームが究極までいくと状況は一変する。彼らはすべてブリンキーと同じ性格の「追いかけ」となり、身にまとっていたベールを脱ぎ去ってしまうのだ。そして、ベールの下から現れる彼らの正体は、なんと、あの、ウルトラQのナメゴンだったのである!

『東京おとなクラブ』5号=1985年6月1日発行より

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