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水とインターネット、どちらを選ぶ?

2014年10月22日 07時00分更新

文● Matt Asay via ReadWrite

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インターネット無しの生活で、パニックにならないと言えるだろうか?

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水道水、エアコン、冷蔵庫、インターネット…あなたにとって一番重要なのは何だろうか?

世界には、これらが簡単に手に入らない恵まれない地域もあるが、何でも豊富な西欧諸国では、身近にあって当たり前のものとして捉えられている。しかし、今週末、それを覆すような出来事がわが身に降りかかったのである。

私たち一家は、11か月にも及ぶ家の増改築に疲れ果てていた。そのため、まだ入居できるような状態ではない我が家に、一日でも早く引っ越しして落ち着きたい一心だった。全てを準備する時間がなかったため、エアコン、水道水、キッチン家電またはインターネットのなかから、まずはひとつだけを使える選択をしなければならなかった。そして私はインターネットを選んだのである。あなたならどんな選択をしただろうか?

人権としてのインターネット

3年前国連は、インターネット接続が表現の自由を含む人間の自由に欠かせないものだと宣言した。特別報告において、国連はその理由を以下のように説明している:

インターネットは、基本的人権範囲の実現、差別との闘い、そして人類の進歩と発展の促進に必要不可欠なツールであり、インターネットへの自由な接続はあらゆる国において、優先事項とされるべきである。

報告書はさらに、「インターネットの常時接続を実現するようすべての国に呼びかけている」と続いている。

以前の私だったら、歴史的に見て、このような宣言など馬鹿馬鹿しいものだと呆れただろう。なぜなら心のどこかに、毎回同じやり方で権利ばかりを確立しようとする西洋社会に不信を抱いている自分がいるからだ。特に、「お互いそれぞれの責任を果たせばいいだけのことなのに」と思うような内容であればなおさらだ。

しかし、他にもインターネット接続が不変の権利であるべきという意見を支持する相当な理由がある。A Human Rightは以下のように示している:

  • 46億人がインターネット接続無しでは生きていけない:
  • 医療、教育、災害救援などの多くの重要なサービスへのアクセスは、インターネットによって改善され、それに依存している。

同組織は、詳しい数字の出所については触れていないが、ブロードバンド・インターネット接続使用率が10%増加すると、GDP成長率が1.28から2.5%上昇すると主張している。この国際電気通信連合(ITU)の報告は、低中所得国において、ブロードバンド接続使用率の10%増加につき、GDP成長率を1.38%押し上げる効果がある、といった世界銀行の調査を引用したものである。

マット(筆者)の欲求段階説

たった一日インターネットが使えなかっただけで、インターネットの重要さが身に染みてわかってきた。そしてインターネット無しで過ごす一週間を考えただけで、恐怖さえ感じたのである。

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「マズローの欲求段階説(1943)」(Credit: Tom Sulcer)

急かされるように賃貸物件を出て、改築した自宅へ引っ越した私たちは、生活資源において優先順位をつけなければならなかった。2、3日くらい冷蔵庫無しで生活できるだろうか?または、電子レンジ・コンロ無しでは?エアコンはどうだろうか?答えはどれももちろんイエス、である。

一家6人でたったひとつのバスルームを取り合いしながら生きて行けるか?まあ、なんとかなるだろう。

では、インターネット接続を失ったらどうだろうか?その答えは、キーボードの上で忙しく動くことのなくなった私たちの冷たく、死んだような指先を見ればわかるだろう。

マズローの欲求段階説」を考えてみると、ピラミッドの1段目に大変重要なものが欠けていることがすぐにわかる。それこそがインターネットだ。それとも、この考え方は間違っているのかもしれない。なぜなら、インターネットは、一つの欲求として捉えるのではなく、それによってあらゆる欲求を満たしてくれる包括的なひとつの欲求、として考えるべきなのかもしれないからだ。

私の場合、なんとかうまくComcast技術者にお願いして、通常の作業時間を超えてまで数ブロック先の自宅までケーブルを引いてもらった。そしてそのケーブルを自宅前の私道の下から引き上げて、やっと自宅と接続完了となった。インターネット無しの生活は、社会的交流を奪うだけでなく、我が家の家計にも大きく影響していたのだ。

あなたなら何を選ぶか?

もちろん、私は飢餓や低体温症かインターネットか、といった生死にかかわる問題を抱えていたわけではない。ただ、それとは違ったレベルでの不便さを経験していたのだ。もし食べ物かインターネットかという選択を迫られたなら、間違いなく食べ物を選んだことは言うまでもない。

しかし、今回の経験で身に染みて感じたのは、食べ物でさえもインターネットに頼っていたということだった。ドミノピザをオーダーするのにアプリが使えるかどうか、といったことが問題ではなく、食べ物を買う金銭的余裕もインターネットがなければ私の場合、成り立たないのである。

次回、あなたの職場でインターネットが故障してしまったら、周りをよく観察してみるといい。人々はパニックに陥り、仕事はストップしてしまうだろう。

インターネットによる繋がりがますます広がり、インターネットを基礎としたコミュニケーションは、今や私たちの経済、会社、個人の生活の基盤となっている。このことが、「インターネットが基本的人権である」ということを意味するのかは、いまだよくわからない。だが、地球上すべての人に、インターネットを提供できるよう真剣に努力を続けていかなければならないということは、確かである。

マッキンゼーのデータが示すように、全ての人にインターネットを提供するには莫大な費用が掛かる。しかし、接続を提供しなかった場合の被害もまた、同様に莫大なものとなるのである。

トップ画像提供:Shutterstock

Matt Asay
[原文]


※本記事はReadWrite Japanからの転載です。転載元はこちら


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