Teach For Japan 松田氏に聞く、ITと教育の関係
正解主義から脱却し、20年、30年先の時代を逆算した教育を
2014年05月14日 11時00分更新
Teach For JapanというNPOの存在をご存知だろうか?
米国には学部卒業者を採用して教育困難校に送り込む「Teach For America」というプロジェクトがある。2010年にはグーグルやアップル以上の人気志望先となった。このしくみを、日本の環境に合わせながら取り込み、日本の教育そのものを変えていこうというのがTeach For Japanだ。
Teach For Japanの創設者で代表理事CEOの松田 悠介氏にお話を伺っていこう。
松田 悠介──お話を聞いた人
Teach For Japan 創設者/代表理事/最高経営責任者。日本大学卒業後、2006年に体育科教師として中学校に勤務。体育を英語で教えるSports Englishのカリキュラムを立案。その後、千葉県市川市教育委員会 教育政策課分析官を経て、ハーバード教育大学院修士課程(教育リーダーシップ専攻)へ進学。卒業後、外資系コンサルティングファームPricewaterhouseCoopers Japanで人材戦略に従事。2010年7月に退職し、Teach For Japan の創設代表者として現在に至る。
体育教師から留学、コンサルティングへ、異色の経歴はなぜ?
遠藤 Teach For Japanといわれて聞き捨てならないなと思ったのですよ。
Code For America(自治体のサービスレベルをウェブで改善しようという米国のNPO)が、IT業界では非常に注目されていましたからね。それで、松田さんが登壇されたセミナーに参加して、「これは凄い取り組みをされている人がいるんだな」と驚きました。
しかも、その松田さんの取り組みに対して、その後のパネルディスカッションに出てきた文科省の方が、「松田さんの取り組みは、いいんだけど100年かかる」とおっしゃられたのも驚きでした。私はそれを“ほめ言葉”と捉えたのですが。
松田 そうでしたね。
遠藤 Code For AmericaもTEDなどで紹介されて、全米を上げて盛り上がっているように見えますが、まだ本当に数えるほど小さな成果が出た段階なんですね。じゃあ、Teach For Japanってどういうものか? 松田さんご自身すごく特殊なキャリアを持たれているわけですけと、そのあたりから伺えるとうれしいのですが。
松田 私はもともと日本の教育を変えるという大きなことは考えていませんでした。教育に携わろうと思い始めたのは自分の原体験からです。私には簡単に言えば“いじめられていた”時期があるんですよね。小学生のときに、自分のあだ名をクラス全員が大合唱する精神的にきつい経験をしたけれど、先生は何もしてくれなかった。1対多のつらさが身にしみて、地元から抜け出したいという一心で中学受験をしました。
ところが、中学では身体的ないじめがあった。体が小さくて柔道技を食らう。誰も助けてくれない。そんなとき恩師の松野先生と出会って、単にいじめを仲裁するのではなくて自分と向き合ってくれた。半歩先を見据えて自分をエンパワーしてくれるような「二人三脚で進む教育」をしてくれる先生だったのです。自分のことを見てくれていて、期待してくれていて、そしてサポートしてくれる。それが自分にとってはすごく大きかったと思っています。だからそんな厳しい環境にいる子どもたちと向き合える存在になりたいなと思い、体育教師を志しました。
遠藤 熱い想いを持って体育教師を目指されたんですね。
松田 そうなんです。でもなってみると必ずしも教員全員が熱い思いを持っているわけではない。子どもではなく黒板に向き合って授業するような教員もいて、学級崩壊してしまっている。一番許せなかったのは、こうした教員が職員室に戻ってきて、子どもたちのせいにすることです。「今日もあいつがうるさかったから授業にならなかった」と。でも「これってちょっとおかしいな」と思った。私は子どもが悪いってことは何ひとつないと思うんです。
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